第10話 おーちゃん その4

「で、あーさん。聞きたいんですけど」

 本題も終わり、食後のコーヒーが出てきた。

 あの時やめようとした私と、「続けるよな?」と問いかけたいっくん。でも、いっくんはすっぱりと太鼓を辞めると宣言し、私は惰性で続けることになった。

 受験とか、環境とか。

 いろんな言い訳があるのに、続けると言ってしまった。あとには引けない。いつだってそうだ。なんだかんだ、流されるまま、動いている。前会長に勧められて、いっくんに促され、先生に背中を押され。今は、なんの意志で続けるのだろう。あーさんへの、哀れみ?

 あーさんは紅茶を頼んでいた。たっぷりのミルクと砂糖を注いで、甘々にしている。

「おーちゃんはブラックで飲むの? 大人ねえ」

 私がコーヒーを飲み始めたのは、中学校の終わりごろからだ。

「おっまえ、まだコーヒーも飲めないのか⁉ だっさ」

 いっくんは得意げに、カフェオレを飲んでいた。私はロイヤルミルクティーの缶を握って、迎えを待っていた。

 中学校時代、太鼓の日は、いつもいっくんの家に泊めて貰っていた。同い年だし、いっくんのお母さんは娘が欲しかったのだと、いたく私のことを可愛がってくれた。全く恐縮しない私の親も親だった。いつも「悪いわねえ」と言いながら漁師からのお裾分けのお裾分けを私に持たせていた。 

多分、そのころから、親は私を島から出したかったのだ。「ええとこやろ、向こうは」嫌味のように言っていたが、そう思わせるように差し向けていた。だけどやっぱり、来るたびに思うのだ。私は島の方が好きだと。

船の最終便は夕方なので、それに乗って本土に上陸、帰りは朝イチの便で帰っていた。フェリー乗り場からまっすぐ会館まで歩いていき、練習後はいっくんと一緒に、自販機の前でいっくんのお母さんを待つ。小学生ならまだしも、中学生にもなってお泊りかよ。うちの弟は、ケッと笑ってきたが、私は相手にしなかった。好きな人の家で過ごせるのだ。喜んで当然だろう。

 その日も並んでベンチに座って待っていた。みんながさっさと帰っていく中、大人たちはまだ残って練習をしていた。ドンドンドン。心地よいリズムが響く。

「何飲む?」

いっくんが、がま口を出しながら聞いてきた。そして、さっきの会話に戻る。

「だって、コーヒー苦いじゃん」

「当たり前だろ。コーヒーなんだから」

 その次の日、私は家に帰ってコーヒーを飲んだ。苦くて苦くて堪らなくて、砂糖を入れても無理なものは無理だった。それでもずっと飲み続けた。いつの間にか、あの不快な苦に慣れていき、甘みがなくても飲めるようになった。おはぎのお相手は、大抵コーヒーだ。あんこと苦みはよく合う。

 残念なことに、高校生になってもいっくんはカフェオレ派だけれども。

「デザートはどうする?」

 あーさんに促られて、私は黙ってメニューに目を通す。善哉にした。あーさんはモンブランを頼んだ。運ばれて来るまで、お互い無言だった。

「しばらく、使わせてね」

 ケーキと善哉を運んできた店員さんに、あーさんはそっとウインクした。人払いの合図らしい。店員さんは、軽く頷いて去っていった。ランチを食べていた周りのお客さんはみな帰っていた。内緒話をするには丁度いい。

「で、何が訊きたいの?」

「単刀直入に聞きます。被害者は誰なんですか?」

 先生が猥褻をしたのは、太鼓教室の生徒だと報じられていた。それが何歳なのか、どんな人なのかは、一切情報がない。

「それがね、私たちも誰も分からないの。昨日の話し合いには、おーちゃん以外の全員が参加していたんだけど。誰も名乗り出なかったわ」

 そりゃそうだろう。

「逆にね。そんなニュースが出回り始めたのに、練習に来てた子がいるってことが問題よ」

「でも、行かなきゃバレるじゃないですか」

「事件が起こったのは先月なの。それから今まで、その子は、何食わぬ顔して、練習を受けていたことになる。加害者の先生の指導をね」

 おーさんが何を言っているのかよく分からなかった。

「何が、言いたいんでしょうか」

「先生、もしかしてハメられたんじゃないのかなって。個人的に先生に恨みがあったのか、示談金目当てなのか分からないけど」

「……考えすぎじゃないですかね?」

 私はカップを傾けるが、コーヒーは口元に流れてこない。すでに空だった。そっと元の位置に戻した。

「先生はいい人だった。だけど、心良く思っていない人だっているはずなんさ。例えば、今の会長とか」

まさか。会長の差し金だとは思えない。ハニートラップを使ってまで、先生を蹴落とす動機は見当たらない。そもそも、会長はうちらの太鼓チームに興味がない。多分、目の上のたんこぶとすら思っていない。なによりも、旅館経営に忙しいのだ。あのおじさんは。

「仲が良すぎてこじれた可能性もあるわよね。先生にみんなよく懐いていたから。ほら、いっくんとか、うーくんとか」

 あーさんは、あえておばさんの名前を口にしなかった。つまり、おばさんを疑っているのだ。ついでに、私もあーさんの中では容疑者の一人なのかもしれない。被害者と言う名の、容疑者。あーさんは冗談っぽく口にしているが、目は笑っていなかった。

「わかんないじゃないですか。そんなこと」

「ねえ、怪しいと思わない? デキててもおかしくなかったと思うのよね。あの子と先生。二人とも、自分たちのことを太鼓バカって評していたんだし。

 あの子は、ここに来てすぐ彼氏と別れたから、先生に乗り換えたって不思議じゃない」

 あーさんらしくなかった。あんまり人のことを詮索するタイプじゃなかったのに。どうしてこんな、事実じゃないかもしれないことを口にするのだろう。被害者は誰なのか、気になっている時点で私も同罪な気がするけど。

 ウエイトレスを呼ぼうとして、人払いされていたことを思い出した。私は、断りもせずに、あーさんのポットを奪う。コーヒーが入っていたカップに、紅茶を注いだ。机にセットされている砂糖とミルクをありったけ足した。

 おばさんと先生は、本当に仲良しだった。少なくとも、私が練習に行った時には、いつも一心不乱に叩いていた。小学校の指導も必ず参加していたし、二人の会話から、頻繁にプライベートでも会っていたことは窺えていた。ありえない話ではない。おばさんは本当に太鼓が好きで、先生のことが大好きだった。それは周知の事実だった。だからと言って、関係を持っていたようには思えなかった。

「うち、高校生ですよ。そんなえげつない話、よくできますね」

「おーちゃんだからしてるのよ。こんな話、男の子たちには聞かせられないわ。それに、私たちは、昔からの付き合いじゃない」

 ともに前会長の指導を受けてきた同志。あーさんは私をその一人として認めてくれていた。多分、太鼓の腕も。

「ねえ、二人で調査してみない?」

 私は黙って善哉をつついた。冷めきったお餅とあんこは、くっついたままどろどろに溶けていた。おはぎならほかほかの作りたてでも、冷めて硬くなってもおいしい。

 ああ、おはぎが食べたい。おはぎは私にとって、死の味だ。

  

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