第38話 私 その1
この市では、毎年三つの祭が開かれる。そのうちの一つは、潮目温泉街、もう一つは、更に県北の街で、そして最後の一つは市の中心街で行われる。最後の祭は、県内三大祭りに数えられ、多くの来場者で賑わう。大きな花火が上がるわけではない。どちらかと言えば、地元のみんなで酒を浴びるように飲んで仲良くなろうという意図の面が強い。だけど、今では立派に大きな祭になってしまった。我々が所属している『さけ太鼓』は、この祭と共に生まれたらしい。祭を賑やかすために太鼓を叩くメンバーが集められたのだとか。
それが時代と共に、大きくなったり、小さくなったりして、今の『さけ太鼓』がある。そして、今日。その歴史は幕を降ろすのだ。
午前中は雨が降っていた。みんな、心配そうに空を見上げていた。だけど、天気だけは人間の力ではどうしようもない。不安な気持ちを隠し切れないまま、カッパを着て、太鼓の搬入に勤しんだ。雨天でも祭は決行。但し、ステージは場合によって中止する。それは会長やお祭りの実行委員の意地悪とかではなく、なんでもない当たり前の取り決めだった。中止と言われていない限り、準備を進めるしかない。私たちは、あーさんの白いバンに、次々と太鼓を積んでいった。もちろん、それでも足りないので、近所のおじいちゃんたちに軽トラを貸してもらう。何往復かして、太鼓を会場に運び込んだ。それだけでかなりの力仕事だ。だけど、疲労の顔はない。目をギラギラさせて、今か今かと出番を待っていた。
やっと、のど自慢大会が始まった。となると、出番は次だ。天気は、見事な曇り空。なんとか、持ちこたえていると言ったところだ。下には幾つもの大きな水溜まり。環境がいいとは言えないが、大雨が降らないこと以外は、全てラッキーだと思うしかない。
どうせだから、と私たちは、会館にあるすべての太鼓を持ち出してきた。おーちゃんの発案だ。大太鼓が不慮の事故で使えなくなってしまった。大会に出られなくなった上、この祭でチームは畳むことになった。こうなると、やけっぱちだ。誰も反対しなかった。みんなで打って、終わろう。話し合った結果だった。
締太鼓を五つ、長胴太鼓を十五個、そしておまけに釣り太鼓。
少し前まで、三十人ほどいたチームは、半分以下に減ってしまった。現在は、太鼓の数より、人数の方が少ない。それでも、すべて使うつもりで持ってきた。編成もだいぶ変わった。どうなるかは、神のみぞ知る。
「この揃いの法被を着るのも最後かぁ」
うーくんはしみじみと呟いて、右と左の袖を交互に見た。濃い水色。波の色だ。足袋は、既に水を含んでいて、灰色に汚れている。いつもなら汚れを気にするところだが、最後だからどうでもよくなっていた。
おーちゃんは、こっこさんに無理矢理法被を着せようとして、拒否されている。
「最後なんだから、一緒に打ちましょうよ」
「いやよ。私は『さけ太鼓』のメンバーじゃないから。その代わり、みんなの雄姿、しっかり記録に残しておくからね」
こんな日まで、ライブ配信をする予定らしい。大袈裟なカメラに、ご立派な三脚まで用意している。しかも宣伝のつもりなのか、こっこさんは『碧楼閣』のユニフォームを着ていた。そのことについて蟻早さんは、ノーコメントを貫いている。
小学生たちは、バシャバシャと水飛沫を上げて追いかけっこしてはしゃいでいた。いつもなら、あーさんが「しゃんとしなさい!」と一喝するところだが、今日は注意する気がないようだ。ぼんやりと、思い思いの行動を取っているメンバーを眺めている。『さけ太鼓』も見納めだと、心のフィルムに思い出として残しているのか。
私は静かに、あーさんの元へ近寄った。
「少しだけ、話をしませんか?」
「もうすぐ本番よ」
「構いません」
私は未だに迷っていた。師匠が逮捕されて以来、私はほとんどバチを握っていない。こうして法被に着替えたにも関わらず、まだステージ上で太鼓を叩く覚悟が出来ていない。今から叩くのは、三曲とも経験がある曲。だけど、ぶっつけ本番でうまくできるほど、私は太鼓歴が長くない。失敗するどころか、みんなの足を引っ張ることは、目に見えていた。
叩くか。叩かないか。
あーさんと、話をしてから決めよう。そう思った。
「ちょっとだけよ」
あーさんは、ゆっくり歩き始めた。私も後に続く。
『さけ太鼓』の法被は、よく目立つ。周囲からの目線が痛い。この一か月で、うちのチームの評判はうなぎ登りだ。勿論、悪い意味で。
ネットでは言われたい放題で、あることないこと書かれていた。温泉街の人たちは、表向きは声援を送ってくれていたが、見えないところでは「よくもまあ恥さらしな……」と嘆いていたのも知っている。当然の反応だと思う。騒げば騒ぐほど、『さけ太鼓』の名前は大きくなる。名前が大きくなればなるほど、先生の悪事が知られていく。
先生の本名を検索エンジンに入れれば、真っ先に、忌まわしき記事がトップに躍り出る。私はそれを何度も眺めては、消した。何度も何度も検索を掛けては眺めて、消した。
幾ら見ても、先生の行いは消えない。不思議だった。そんなことする人じゃないって、真っ先に否定できなかった自分が、今でも腹が立つ。でも、事実を認め、示談に持ち込んだ先生の話を聞けば聞くほど、それが動かざる真実なのだと、私に現実を突き付けてくる。
自分から話しかけた癖に、あーさんになんて声を掛ければいいのか分からなくなっていた。今、自分が何を話したいのかも、見失いそうだ。それでも、聞かなければないことがある。単刀直入に聞くのも憚られて、私は言葉を探し続ける。
痺れを切らしたのは、あーさんの方だった。振り向いて、こちらの方を向いた。
「先生に、会ったわ」
周りに話を聞かれないように、声を低く、小さく、出している。
あーさんが、先生と会った。私はゆっくり瞬きをした。
「事件の話は、しなかった。ただ、大会は辞退したこと。『さけ太鼓』のチームはなくなることを伝えたわ」
「それで、先生は、なんて言ったんですか?
『お前の目論見通りうまく事が運んで良かったな』
こんなところですか?」
今度は、蟻早さんが、ゆっくりと瞬きをした。
「何を言っているのか、よく分からないんだけど」
蟻早さんは、殊更にゆっくり、発音した。誰かに聞かれることを恐れたのか、左右に目が動いた。私は、場所を変えるつもりはなかった。
「あなたが、師匠を嵌めたんでしょう。蟻早さん。おーちゃんは、私が色仕掛けを使ったと思っていたみたいですが」
「誰もがそう思っていた、いや、今でもそう思っているはずよ。それほど、あなたと先生は仲が良かったじゃない」
「はい。でも、誓って、師匠とはそういう関係ではありませんでした。太鼓だけの関係でした。仮に、私と師匠が男女の関係にあったとしても、こんな状況にはなっていません」
「どうして?」
「師匠に迫られたら、私は全力で応えるつもりでしたから。私の中で、太鼓と先生はイコールで結ばれています。太鼓について知れるなら、私は先生に食われても良かった」
「こんな場で、なんてこと言うの」
ずっと鉄仮面を被っていた蟻早さんの表情が崩れた。
「蟻早さんでしょう? 色仕掛けを掛けて、脅したのは。お金目当てですか? それとも、前会長の『さけ太鼓』が変化していくのが、見ていられなかったからですか?」
私の言葉に、蟻早さんは黙り込んだ。そう簡単に、認めてはくれないと思った。でも、正解はそうなのだ。『太鼓の教え子に手を出した』記事の内容に嘘が無いならば、被害者はおのずと限られてくる。
まず、私が除外できる。私じゃないことは、私が誰よりも理解しているからだ。
次に怪しいのがおーちゃんだった。何故なら、誰よりも先生のことを一番毛嫌いしていたからだ。幼い時から、前会長のもとで太鼓を習っていたおーちゃん。先生を貶めるという動機を持つのに十分だ。だけど、『さけ太鼓』を存続させたいと真っ先に立ち上がったのを見て、違うと確信した。
あんまり考えたくない話だが、うーくんが被害者の可能性もあった。師匠の家や会館で、一緒に叩いていた時間は、私と同等か、それ以上だろう。師匠も、うーくんのことはお気に入りだった。でもそれは、孫を可愛がるおじいちゃんの目線であり、性的な目ではなかったと私は信じたい。逮捕前後で、うーくんは太鼓に対する態度を変えなかったので、可能性は低いと見た。不登校になったのは、友達とのいざこざだったと聞いている。だからもし、先生とトラブルがあれば、真っ先にチームから離れる。そんな子だ。
そんなうーくんにべったりなえっちゃんは、師匠が来なくなってから、前よりも更に明るくなっていた。つい先日まで、スランプに悩んでいた様子だったが、うーくんが大太鼓を破いた日、何かを『掴んだ』らしい。どのようにして得たのかは分からないが、確実に太鼓がうまくなる特急券を掴み取った。先生と何かあったようには見えない。
そして最後。最近、『さけ太鼓』に顔を見せるようになったこっこさん。だけど、それは事件後、しばらく経ってからの話だ。怪しいけど、被害者であるセンは薄いと思っていた。でも、今までのチームを崩されたくないという動機を持つことは有り得た。私がちょっと嫉妬してしまうくらい、先生にしつこく勧誘されていたのも知っている。だけど、違った。『さけ太鼓』の名前が大きくなってしまったのは、隣の県のチームに宣伝をお願いしたことがきっかけだ。わざと悪評を広めて『さけ太鼓』を潰すつもりなのかと思ったが、みるみるうちにネットの海に『さけ太鼓』の名前が広がることに動揺していた様子は、嘘ではなさそうだった。前会長が亡くなる前から『さけ太鼓』を抜けているのに、今になってわざわざ潰す必要性もない。第一、こっこさんは誰よりも今の会長を目の敵にしている。『さけ太鼓』を潰すなんて、今の会長が喜ぶ真似はしない。
以上。すべて「……のように見える」「……だと思う」がオンパレードの憶測だ。推理でもなんでもない。私の主観しかない妄想だ。ちなみに、事件後に太鼓を辞めた、いっくんやかーくんの可能性は考えていない。おーちゃん曰く、いっくんはもう『さけ太鼓』のことなんてどうでもいいと言わんばかりに勉強しているらしい。一方かーくんは、「本当は太鼓を叩きたい」と親御さんにせがんでは止められている。この二人は、私と同じように先生を崇拝していた仲間だ。
「みんながそれとなく私のことを被害者じゃないのかと疑っていたように、私も密かに『さけ太鼓』のメンバーを疑っていました。
記事によると、先生が行為を及んだのは、逮捕される更に一か月前、七月七日。
その日、蟻早さんは何をしていたか、覚えていますか?」
「さあ、忘れちゃったわ」
「何曜日だったかも忘れちゃいましたか?」
「そうね」
「木曜日でした。師匠が、唯一太鼓に触れない日です。蟻早さんは当然、ご存じですよね。
月曜日と金曜日が『さけ太鼓』の定期練習。
火曜日と水曜日が小学校の出前教室。
『さけ太鼓』の本番が近い土日は、その練習。無い日は、家で太鼓か、どこかの大会の審査員をしていましたよね。もしくは、太鼓資格者検定の試験監督」
曲がりなりにも、先生は太鼓業界から認められる存在だった。だから、太鼓屋さんでの知名度も高い。墨田さんのお弟子さんまで顔を知っているのは当然だった。
「木曜日、師匠の奥さんはガーデニング教室へ出掛けるのは、誰もが知っている事実です。その間、家を留守にできないからと、先生はその日だけ、家にいますよね。周りが見えなくなるからと、太鼓も叩いていませんでした。
だから、色仕掛けを使うにはもってこいですよね。邪魔が入ることはありません。
私は、木曜日に先生と会ったことは、一度もありません。それはうーくんも同じです。私たちは、太鼓をしない先生に近寄ってないんです」
蟻早さんは、私の話を聞いているのかいないのか。絶妙に分からない顔をしている。
本題はここからなのだ。
「あの日、私はいつも通り退勤して、『さざなみ荘』に行きました。そこで偶然、いっくんと会いました。『いつも一緒にいるおーちゃんはいないんだね?』と聞けば、『学校を休んで島に帰っているのだ』と返事がありました。つまり、あの日、おーちゃんはこの街にいなかったということになります」
「なるほど」
「おーちゃんは先生に猥褻行為をされていない。いっくんも、学校にいたので潔白です」
被害者探しをしているのに、なぜ『潔白』という言葉を使わなければならないのか。だけど、私のこの話は被害者イコール先生をハメた犯人の図式が成り立つ前提で話をしているので、正しい。
「お風呂から出たら、佐藤支配人とこっこさんがいつものように話し込んでいました。『今日は蟻早さんがお休みの日だから大変だ』と。蟻早さん、『碧楼閣』のお仕事は、木曜がお休みですよね」
「そうね」
「そのあと、私はうーくんとえっちゃんに会いました。二人は、会館の前でいつものように喧嘩していました。学校に来いだの行かないだの。
あの日、うーくんは丸一日、えっちゃんに追いかけられていたらしいんです。えっちゃんが学校をサボってまで追っかけていたのは、どうしても給食に出ていた七夕ゼリーを食べてほしかったからで……。そんな言葉を交わしていたことを記憶しています。
会館の前に、何があったか知っていますか? そう、笹です。師匠が飾っていた笹に、その場にいたメンバーと面白半分で短冊を付けました。
太鼓がうまくなりたいとか、成績を上げたいとか、健気なことを書いていました。さやさやと笹が揺れていました。その時、蟻早さんと師匠は、何をしていたのですか?」
「私が、色仕掛けを使って、先生に迫ったとでもいうの?」
「そうです」
七夕の日、私は偶然にも師匠と蟻早さん以外の『さけ太鼓』メンバーの顔を見ている、もしくは近況を聞いていた。だからその日、師匠の部屋に上がりこめたのは、蟻早さんだけ。そんな考えは甘いだろうか。
「何よりもですね。太鼓の音が教えてくれました。蟻早さんの音色だけ、明らかにみんなと違っていたんです」
「……私は、いつだって、いつも通り叩いていたわ」
「そうなんです。蟻早さんだけだったんですよ。『先生が逮捕された』っていうニュースが出る前後で、音が変わらなかったのは。蟻早さんだけなんです。こっこさんも含めて、『さけ太鼓』のメンバーは、全員、音の質が変わりました。動揺、驚き、怒り、恐れ、諦め。全部の負の感情が音色に乗っていました。太鼓を辞めたいっくんやかーくん、そして蟻早さん以外の、うーくん、えっちゃん、おーちゃん、こっこさん。この一か月で、様々な音が鳴っていました。私は、事件後、ずっと耳を澄ませていました。みんなの太鼓を聞いたら、何かが分かると思ったんです。目論見通り、蟻早さんだけ、異質だと分かりました。
太鼓は嘘を吐きません。『太鼓魂』は、その人以上に、太鼓の音になって響きます」
「太鼓の音、ねえ……」
蟻早さんは頬に手を当てた。
「私にそんなこと言われても、分からないけど。真実は闇のまま、それでいいと思うのよ。きっと先生も、この先、逮捕されるまでの経緯を語ることはないと思うわ」
本人の口から、話が聞きたい。そう思うことは何度もあった。でも、知らない方がいいこともある。純潔な気持ちだけで、太鼓が叩ける方がおかしいのだ。
「それでも聞きたい? 私が先生に迫った話?」
ここで、蟻早さんはやっと私の意見を肯定した。やっぱり、蟻早さんが先生と淫乱な行為に及んだのだ。
「どうして……」
「あなたが言う通り、私は今の『さけ太鼓』が嫌いだったの。おーちゃんと同じよ。先生を、後継者として受け入れたくなかったし、チームの色が変わるのも嫌だった。でも、同志だったおーちゃんは、態度では反抗してても、知らず知らずのうちに先生の太鼓に影響されていた。
知っているでしょう? 太鼓を叩く前の変な癖。あれ、先生が来てから真似しだしたのよ? それも無自覚ときた。すっかり染められちゃって、情けない。
先生が『さけ太鼓』を、勝手に大きなチームに仕立て上げようとしたことは、本当に腹が立った。だけど、もっと許せないことがあった。えっちゃんのことよ」
えっちゃん? どうしてここで、えっちゃんの名前が出てくるのだろうか?
「先生は、しょっちゅうえっちゃんに悪戯をしていた。近頃では、こういうのよね。『ロリコン』って。
あなたも薄々思うところがあったでしょう? えっちゃんはそれを性的なものと捉えていないことが幸いしたけど。前にね、見ちゃったの。先生が、えっちゃんの服の中を弄っているところを」
ダメだ、想像するな。分かっていたのに、その情景を思い描いてしまった。何をされているのか分かっていないえっちゃんと、そこまで計算して手を出す先生。
「太鼓にあれほどの情熱を注いでいる変人よ。歪んだ性癖を持っていてもおかしくないさ」
「それは分かりません。一見普通の人だって、特殊性癖を持つ人はいます。問題は、それを抑え込むか、法を犯してまで自分の欲望に溺れるか、そのどっちかです」
「そうかもしれないわね。とにかく、先生はえっちゃんを狙っていた。それだけは、本当に許せなかった。今の会長が『さけ太鼓』に圧力をかけるように差し向けるのと、私が誘惑するのと、どちらが早いかと思いながらやってみたけど」
「じゃあ、会長が『さけ太鼓』の出場を取りやめにしようとしていたのは……」
蟻早さんが頷いた。取りまとめ役を担う蟻早さんが『さけ太鼓』を潰したいと考えていたのなら、こんな状況が生まれるのも簡単だ。大会を辞退したのも、苦渋の決断でした、という顔をしていながらも、内心は笑顔だったのかもしれない。
「『さけ太鼓』を潰したい、とも、えっちゃんよりも私にしておきなさい、とも言わなかったわ。ただ、抱きついただけ。先生は、よく分からないまま抱き寄せてくれた。たった一度の、それだけの行為で、先生を逮捕させることができた。
真実なんて、言えないでしょう? 万が一、ありのままの話が漏れてしまったら。えっちゃんは、自分は性被害者なのだと思い知らされる。そんな思いはさせられない」
初めて記事を見たとき。私は先生を許せないと思った。女として、そして太鼓を叩くものとして、今まで積み上げてきた私の全てを崩されたと感じた。どうして自分じゃなかったのか。自分なら許してあげたのに、受け入れてあげたのに。
そんな身勝手な考えを持っていた。
今は、ただただ、激しい怒りに満ちていた。気持ちが悪いロリコン師匠への怒り。そして、被害者を詰った自分への怒り。
私の思い描いた通り、被害者は先生をハメるために行為に及んだ。だけどそれは、自分自身をスケープゴートしてまで、小さな女の子を守るための行動だった。
「私の行動は褒められた行為でないことは、重々承知よ。私は、『さけ太鼓』を潰したくて、動いたの。その事実には変わりないから、そうなんさ、って。納得してくれない?」
偽悪的に笑う蟻早さん。
「私、蟻早さんのこと、ずっと勘違いしてました。本当に、」
すみませんでした。と頭を下げかけて思った。さっきまで何も知らずに詰問していた私は、謝る資格すらない。中途半端な頭の位置で、不自然に言葉を止めた私。頭上で、ふっと蟻早さんが柔らかく笑った気配がした。
「ついこの前までスランプだったえっちゃん、ここ数日で格段に成長したの。あなたも知っているでしょう? 『太鼓を知る』ことが出来た瞬間を見られなかったのは、残念さね。あんたが先生と出会った、太鼓と出会ったあの時と同じだよ。……私のこんな立ち振る舞いで、そんな姿が見られたなら、私はもうそれで十分だと思っている」
私は、項垂れる。
「さあ、本番よ。えっちゃんの太鼓姿、しっかり見ておやり」
蟻早さんは、踵を返してステージへと足を向ける。
「あ、あーさん」
たまらず、私は声を掛けた。時間が無い。言葉を投げたからには、何か言わなくてはならない。だけど、頭が真っ白になっていて、何も出てこなかった。そんな私を見て、蟻早さんは小さく微笑むだけだった。そのままスタスタと去っていった。
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