第29話 こっこ その9

「太鼓、叩いてみないか? こっこちゃんにはその才能があると、あいつが言っていた」

「あいつ?」

「お前たちの師匠だよ。あいつは、あんたの太鼓を高く評価していた。惜しい存在だから、もう一度戻ってきて欲しいってな」

 センセーはぼさぼさの髪の隙間から、ギラギラと欲を見せた目を光らせている。

「あいつがそこまで言うなんて珍しいことだったんだ。なあ、お前の太鼓を教えてくれよ」

「ヤです」

 どうしてそこまであたしの太鼓にこだわるのか。叩けば、なにか分かるのか。

 その答えが出ないまま、センセーはあたしの前から姿を消した。

「ね、おーちゃんはなんでそこまでして太鼓を叩きたいの?」

「先生への復讐です。こんなことになったのは先生のせいだ、って責めたいんです。

うちちが可哀そうな目に遭えば遭うほど、同情心も集まる。やりましょう。このチームが泥船なら、沈めちゃいましょう。

四年前、全然知らない会長の知り合いが来て、勝手に指導者になって。チームの色が変わっていった。いっくんは一番にその虜になって、蟻早さんも簡単に絆された。置いてかれたのは私だけ。蟻早さんはまだ、私の味方でいてくれたけど、ずっとずっと……、私は会長の太鼓を続けたかった」

おーちゃんの言葉は、口から出れば出るほど、温度を失っていく。白い息が出てきそうだ。言葉は、氷の粒となって、あたしたちに降り注ぐ。

ふと、疑問に思ったことを、あたしは口に出していた。

「おーちゃん。叩く時に、バチをパンパンってするよね。あの癖、いつついたの?」

 少なくとも、あたしが居たときはしていなかった。つまり、ここ数年でつけた癖だ。言われている意味が理解できないと、おーちゃんは首を傾げていた。女の子は何も言わない。答えを知っているからだ。

「まあ、自然についた癖なら、それでいいんじゃないの」

 あたしがセンセーの太鼓を叩いているのを見たことがあるのは一度だけ。冬のステージ。その時、バチを叩く儀式をしていたのは一人だけだった。それが今ではおーちゃんの中にしっかり染みついている。悪いことだとは言わないけれど、半紙に墨をたっぷり吸わせた筆を垂らしたかのように。センセーは、太鼓チームやこの街を、じわじわと侵食していた。あたしが太鼓に背中を向けている間に。見ていられなくて余計に逃げた。私も同じように取り込まれてしまうことを、無意識に恐れていたのかもしれない。

「あたしも真似してみようかな。袖をぱっぱっ、バチをカンカンってね。ついでに裸足になって。そうすればもっと上手く叩けるかな?」

 あたしの冗談は、冗談として通じなかった。

「ようやく、太鼓を叩く気になりましたか?」

 二人に期待の顔が浮かんでいる。しまった、自分で墓穴を掘った。ここで叩いたところで、あたしが恥を晒すだけだ。

 おーちゃんは先程までのクールな表情を崩して、うっすら笑っている。

「こっこちゃんの太鼓、久々。楽しみです」

「うちは、初めて見る……。うちとセッションします? それともソロで打ちます?」

「ソロで。多分、初見であたしに合わせるのは無理だと思う。メチャクチャ下手くそだから。それでも良ければ」

 どうして、一番注目度が高い時に、カメラの前で太鼓を打つことになってしまったのだろう。自分で言っておきながら、どうしようもない恐怖があたしを襲う。だったら言わなきゃよかったのに。そうなのだ。言わなきゃ良かった。なのに言ってしまった。前の会長とセンセーの顔が交互に浮かぶ。何度誘われても断り続けた。それなのに、ここで太鼓を叩いてしまうのは、物凄い敗北感だ。

だけど、比べたいと思ってしまった。『碧楼閣』での仕事と、太鼓の演奏。どちらが楽しいのか。太鼓じゃないと結論を出したかった。女将さんの言うことは正しくない、と証明したかった。

 また明日、仕事を休まねばならない。流石にそれはまずいので、昼休みだけ抜けさせてもらうことにした。

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