第8話 おーちゃん その2
太鼓メンバーのグループチャットを見たのは、全てが終わった夜だった。
『先生のことで、話し合いたいことがあります』
みんなのまとめ役、あーさんの発言のあと、メンバーの半数がグループを抜けていた。え、何が起こっているの?
日中は多くの人が集まっていた奥の間も、片づけ終わった今では、がらんとしている。未だに漂う百合の香り。百合の香りと、死の香りは似ている。死体の匂いを消すために、あえて強いを対抗させているのか。暗い和室の中、私はあーさんに電話する。
「もしもし」
「ねえ、おーちゃん。今日みんなに聞いて回っているんだけどさ、おーちゃんは、この先も太鼓続けたい?」
薄々察した。何かあったのだ。それも、良くないことが。私はごくりと唾を飲み込んだ。あーさんの声は、一段と冷たく聞こえた。落ち着いて聞いてね、の前置きがあってから衝撃的な言葉を告げられた。
「先生がね、逮捕されたの。女の子に、ひどいことをして」
「……え?」
「小学生は、半分くらいが抜けるそうよ。かーくんとか、熱心な子もいたんだけどね……。親御さんの言うことだから、私も止められる立場になかったわ」
「すぐ、そちらに戻ります」
「急がなくていいのよ。ゆっくり考えて」
電話が切れた。先生が、逮捕された。島にはまだ情報が伝わっていないのか、その話題を出している者は誰もいなかった。噂が広まる前に、私はここを発たなければいけない。
同じ高校のいっくんからも連絡が来ていた。いつもなら、胸を弾ませてタップするが、今は陰鬱な気持ちでしかない。なんとなく、メッセージを開かなくても想像がついた。
『おーちゃん、俺は太鼓を辞める。受験も近いし、ちょうどよかった』
簡素な文章だった。いっくん的には、もう終わった話なのかもしれない。どうして、私は今ここにいるのだろうか。もし、向こうにいたのなら。みんなとの話し合いに参加できていたなら、引き留めることができたかもしれない。でも、現実はそうじゃない。事件も、話し合いも向こうで起こっているけど、私はこっちにいる。みんな知っていて、私が知らない時間があった。それがとても寂しかった。島で過ごすということは、こういうことなのかもしれない。テレビもスマホもある時代。だけど、それでも、世間に少し遅れている。それが、島暮らしなのだ。
次の日。船のデッキに立って、私はいっくんに返事をした。
『犯罪者に指導されていたって事実を残しておきたくないんでしょ? 内申点に響くから』
根が真面目ないっくんは、高校入学時から、推薦で都内大学の進学を狙っていた。わが身の保身にすぐ走る。それが、いっくんの悪いところであった。
返信はしばらく来ないだろう。なんてったって、今は平日の真っ昼間。そんなに慌てて帰らんでいいさね。引き留める声を無視して、私は強引に本土へ足を向けていた。
『まだ事情聴取中だ。犯罪者と決まったわけじゃない』
返信は案外早かった。授業中に携帯をいじっているのだろうか。非行な生徒だ。
『でも、先生は事実だと認めているそうね』
『さすがおーちゃん。話が早いな』
皮肉にしか見えなかった。他人から見れば、キツい言葉の応酬に感じるが、私といっくんの会話はいつもこうだった。お互いに、痛いところを突き合う。でも、そんなことができる気の置けない存在。だから、私はいっくんが好きだった。
フェリー乗り場に着く。乗ったときには気にならなかった潮の匂いが鼻にツンとくる。海は暮らしの風景の一つだ。いつだって、どこだって、そこにある。だけど、いっくんはそれが嫌だという。都会に行きたい。ビル群の中で働きたい。最先端のモノに触れていたい。私にはそんな上昇志向はない。
「長旅、お疲れ」
出迎えてくれたのは、あーさんだった。忙しいだろうに、私のためにわざわざ車を出してくれていた。
「うちにとっては当たり前のもんさね」
「お、訛ってるねぇ~」
冷やかすあーさんは、どことなく疲れて見えた。当たり前だろう。今、先生の件や太鼓の件で、てんてこ舞いに違いないのだから。
「ちょっとドライブでもしようか。お昼まだでしょ? 海の見えるレストランが最近できたの。ランチが評判らしいけど、知ってる?」
私は首を振って、あーさんの大きなバンに、小さなトランクをそっと置いた。時期になれば、この車には、たくさんの太鼓がぎゅうぎゅうに詰められる。
「じゃあ、決まりね」
あーさんは海岸沿いの道を走らせていく。
「いっくんは、やめるって聞きました」
「そうみたいね。あの子は、少し神経高ぶりだから、余計に許せないのかもね。ちびっこたちの親も、教育に悪いからって、やめさせたわ。あの子たちに関しては、私たちもボランティアで教えてきたわけだから、どちらでもいいのだけど」
そう言っている割に、運転手のあーさんは苦しそうな顔をしていた。
うちのチームに、縛りはない。ただ、太鼓が好きであれば、この町が好きであれば、だれでも入会可能だ。小学生からは月謝を取らないが、中学生以上であれば、月謝という名の、会を運営していくための必要経費が取られる。基本的に、ショバ代とか、ガソリン代とかに消えていく。
来月には、市街で開かれるお祭りのステージにお呼ばれしていた。大体のメンバーが参加予定だったが、これでは出演も危ぶまれる。あーさんは、きっとその諸々の調整もしているはずだった。
おーちゃんはどうしたい? その一言をいつ出そうか、あーさんはずっとタイミングを探っているようだ。なので先に言っておくことにした。ご飯を前にして話すには、重たい。
「私は、続けます。今更、こういうのはあれですけど、私は先生のこと、そんなに好きじゃなかったので」
「……そうね。おーちゃんは、そうだったものね」
正直、悲報を聞いて驚いた。でも、ショックではない。あり得る話だと思ってしまった。
時々、先生は変な目をしていた。もしかしたら、それは私の気のせいかもしれないし、その通りだったのかもしれない。一番熱心だったおばさんは、そんなことを一つも気にしていなかった。一生懸命、先生に教えてもらっていた。いっくんもその同類だ。先生のことが大好きで、純粋に太鼓が好きだった。だから今、やめようとしている。おばさんはいまだに続けるかやめるか、迷っているらしい。あっさり続けることを選ぶ私たちのことをどう思っているのか。それはおばさんの心のみ知る。
古ぼけたバンは、グネグネとした道を苦労しながら駆けていく。海の景色が高速で流れた。潮の匂いは、分からなくなっていた。それほど、海の匂いは、私の血潮となっている。
オーシャンビューが売りのレストランは、東京から脱サラしてきた店主と、料理人の奥さんの夫婦で切り盛りしているお店だった。タイミング良く、並ばずに座れた。
私はパスタ、あーさんはピザを注文した。運ばれてきたところで、あーさんは再び太鼓の話題を持ち出した。
「こんな状況でなんだけどさ、そろそろどの曲やるか、決めないとなんだよね」
おおよそこれをやろうというのは決めていたが、メンバーの半数が抜けた今では、演奏できる演目も限られてくる。編成もやり直しだ。
「正直、私は先生の後始末で精一杯でね。次のことも考えられないのよ。できれば、おーちゃんに手伝ってほしくて。丸投げ、ってわけじゃないの。残ったメンバーだけで、できるものを考えてほしくて」
「うち、『流れ太鼓』は絶対やりたい」
私のお気に入りの曲だ。みんなで一つの太鼓を叩いていく演目だ。入るときは前の人と一緒に叩き、少しずつずれて、次の人へと繋いでいく。波のように流れていく曲を『流れ太鼓』と呼んでいる。実質的な全員ソロなので、失敗すると如実に分かる。緊張度は尋常じゃないが、達成感も半端ない一曲だ。音色だけでなく、リズムの取り方にも個性が出る。うちのチームはこんなメンバーなんです! と紹介するにはもってこいだ。ただ、難易度も激むずなので、ちびっこたちは叩かない。高校生以上が叩くことを許される曲だ。
太鼓が叩きたくなってきた。うずうずしながらパスタをフォークに巻き付ける私を見て、ピザのチーズを伸ばし切ったあーさんは苦笑する。
「こんなことになっても、おーちゃんは変わらないね。本当に太鼓バカ」
「それを教えてくれたのは、今は亡き前会長でしょ。あーさんだって同じじゃない。……楽しかったよね、昔は」
「こら、高校生が黄昏るんじゃありません」
あーさんは、私にピザを一かけら渡してくれた。遠慮なく頬張る。
あーさんも私も、もともとは前会長のもとで太鼓を習っていた。潮目温泉の組合会長兼町内会長を務めあげていた前会長は、この温泉街のリーダーだった。おじいさんから続くこの太鼓の伝統を途絶えさせたくないと、太鼓チームのリーダー三代目を立派にこなしていた。もともとは町内に住んでいる者のみが加入できたらしいが、前会長が門戸を広げたおかげで、私も参加できるようになった。
温泉旅館を経営して得た利益を、惜しみなく太鼓に注ぎ込んでいた。町の小学校や中学校に太鼓を置き、放課後には自ら訪問して子供たちに指導していた。前会長の死後、先生や私たちが、その活動を引き継ぐ形をとった。体育祭や文化祭などが近い時期には、週に数回、チームのみんなで出張する。かーくんがうちのチームに入ったのも、太鼓教室がきっかけだった。無邪気にバチを振り回したり、はしゃいだり、太鼓に飽きて鬼ごっこをしはじめたりするみんなを見ていると、自分の小学生時代を思い出した。
小学校の時、学校で太鼓を叩かされていた私は、たまたま観光にきていた前会長に見初められた。
「残念ながら島の学校で太鼓教室はできない。うちのチームに来ないか?」
その言葉に誘われて、私は本土と島を往復していた。私の打つ姿に感動したから誘ったのだと、前会長は言ってくれたが、私にはよく分からなかった。
「どんな者には才能は存在する。鴻さんは太鼓だな。鴻さんの打つ太鼓は本物だ」
「本物とか偽物とかあるの?」
「……いつか分かる時が来るさ」
そんな会話をしてすぐ、前会長は息を引き取った。私の中で、綺麗なまま、亡くなった。癌だったらしいが、全然気付けなかった。そういえば、前会長が太鼓を叩いていることは一度も見なかったな。振り返ってやっと思い立った。
太鼓を習っていたものはみんな、前会長の死にショックを受けていた。うちの村長とも仲が良かった前会長。葬儀の時、村長は人目を憚らず、おんおんと泣いていた。おじいさんがおじいさんのために、泣いているのを見るのは、初めてだった。「おーちゃんのこと、良くしてくって……」の言葉には、私もうるっとしてしまった。
前会長の息子は、協会の役職を丁寧に辞退したという。その代わりに引き継いだ今の会長は、温泉の経営に力を入れているものの、太鼓には一ミリも興味を示してくれなかった。うちのチームの面倒は見きれない。解散にしようと告げられた。
偉大なる指導者を失くしたうえ、チームまで消えてしまう。私たちは子供から大人まで、心神喪失していた。もう何も考えられない。そんな瓦解寸前のチームに現れたのが、先生だった。金はないけど、太鼓の知識と腕はある。自分をチームに入れてくれないか? そう、売り込みにきた。弱りきっているところにうまく付け込まれたような気がして。悪質な詐欺師のような気がして。ずっと認められないでいた。太鼓の腕は、超一流だったけど。
前会長と違って、先生は惜しみなく、自分の太鼓を叩く姿をみんなに見せていた。前会長は、言葉で指導していたが、先生は適当な言葉が見つからない時は、自分で「こうだ」と叩いて見せた。先生の音を聞くたびに、チームのみんなは震えていた。
これが〝本物〟の太鼓の音なんだと。
所詮はアマチュアだから、なあなあでいいじゃない。そんな仲良しこよしじゃだめだと思ってしまった。先生が現れて、引き寄せられるようにおばさんもチームに加入した。おばさんというにはまだ若い。二十代後半の女性だ。地元は遠い土地らしいが、縁あってここまで来たらしい。どうして来たのと聞けば、「男を追っかけにね」と惚気た答えが返ってきた。でも今は独り身らしい。……つまり、破局したのだ。
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