第9話 おーちゃん その3
三年前ぐらいの話だ。
珍しく、雪が降らない冬だった。何もしないのはもったいないだろう、と急ごしらえで開催された祭りだった。お祭り好きは県民性だ。せっかく出歩ける冬を、みんなで共有しようと思う心は誰しも同じ。
年に一度の、大きな祭りでは半年分の酒を消費する。その日はまさに、有象無象とか、人間動物園と表現するのがぴったりなほど、みんな荒れ狂って飲む。
その冬に開いた祭りは大規模でなかったものの、景気づけにとおじさんたちはいつもの祭りと同じように瓶を煽っていた。
雪国にとって、雪は諦めるしかない自然のもの。毎日早く起きて、雪かきをして。ご丁寧に自分ちの前に雪を持ってきてくれる除雪車に中指を立てながら、もう一度雪かきをするのがお約束。そんな厄介な雪がないことは非常に喜ばしい。その反面、そんな異常気象に怯える気持ちもある。雪解け水がなければ、稲は元気に育たない。だから、おいしいお米は食べられない。死活問題だ。
そんな問題から目を背けるため、おじさんたちは酒を飲む。それを横目に、私たちはステージに上がっていた。
「どうもぉ~。毎度お馴染み『さけ太鼓』です。ご存じのお通り、前会長は先日、みなさんに愛されながら、天寿を全うしました。七十歳でした」
おじさんたちの手が止まった。誰もが、天に向けて盃を傾けた。
「秋に引き続き、冬の時期にも、太鼓を叩ける機会を頂きました。亡き師匠に捧げたいと思います。聞いてください。『祭り太鼓』」
あーさんのしんみりとしたMCの裏で、準備していた小学生たちが一斉に構える。隅にいた先生は、ひと音叩いた。
ドン
それが、合図だった。みんなは一斉にドンドンドンドン……と力いっぱい叩きだす。収集がつかなそうな轟音に、祭りの会場にいた人間はみんなこちらに目を向けている。しめしめ。袖で待機していた私は隣を見た。横では、ヤンキー座りをして頬杖をついたいっくんも、こちらを向いてにやりと笑っている。
今まで演奏していない曲だ。前会長を引き継いだ先生のお披露目も兼ねている。先生自らが、ステージに出たいと言い出したわけじゃない。みんなが先生に提案したのだ。
「先生もやりましょうよ」
「でも、前の会長は演奏してなかったんだろ? 恥ずかしいし、いいさ」
照れ屋のようだった。見た目は、チンピラみたいないかつい感じなので、意外だった。初対面の時や練習の時は、惜しげもなく、演奏姿を披露していた。どんどん人前に出ろと言っておきながら、いざとなれば、自分は出たくないらしい。矛盾じゃないか、と文句を言いたくなった。
「えー、いいじゃん」
後押ししたのは、いっくんだった。何故か、いっくんは先生とすぐ仲良くなっていた。私も流れのまま同意したのだった。
このステージの隅っこで。私は更に矛盾した気持ちを持て余していた。
見てろよ。これが、生まれ変わったうちのチームだ。
いやだ。前会長のチームが消えちゃう。
ドドン
先生の音で、ピタッと音が途絶えた。ピンと張りつめた空気。
トン、トン、トン、トン……。
あーさんの優しい音が響く。
ダン、ダン、ダン、ダン。
先生のいかつい音が加わる。
カッ
小学生たちが飛び跳ねながら、叩き始める。わが子の頑張りをカメラに収めようと最前列を抑えていた親御さんたちも、笑顔で手拍子している。
先生マジック。
「太鼓は静と動だ。メリハリで空気ががらりと変わる。客席の心を掴め」
なるほど、こういうことなのか。じゃあ、今まで楽しく叩いてきた太鼓ってなんだったんだろう? 不安でいっぱいになった私の隣で、いっくんはすげーを連発している。
「俺、高校になっても太鼓続ける。おーちゃんだって、そうだろ?」
「うち……」
正直、やめようと思っていた。前会長が死んで、うちのチームの色がどんどん塗り替えられていく。嫌だ。なのに、私は喉に突っかかった言葉を出せないでいた。
今は、お互い違う中学校に通っている。受験がうまく行けば、私といっくんは同じ高校だ。そうすれば、ここで会う必要はなくなる。学校で毎日会えるのだから。
もう一人の私がささやく。ここで頷いておけば、学校以外でも会うことができる。いっくんを独占できるんだよ?
「うちも、続ける」
絞り出した声は、掠れてしまった。だけど、いっくんの耳にはきちんと届いたみたいだ。満足げに頷かれた。
小学生たちの出番が終わった。次はいよいよ私たちの番だった。この後に控えている高校生の先輩たちがポンと背中を押してくれた。受験だったり、進学だったり、就職だったり。みんなこのステージを最後に、うちのチームから抜けると決めていた。社会人のあーさんたちを除けば、私たちが一番年長者だ。それがどうしようもなく、不安だった。
得意げに帰ってきた小学生たちを入れ替わりで、私はステージに出た。体が重くて重くて仕方なかった。今日は叩けない日だと、悟った。
顔を上げると、太鼓の先に見知らぬ女性がいた。大袈裟なくらいマフラーをぐるぐる巻きにして、分厚いコートを着ている。その隣には、連れの男性もいる。恋人だろうか。
女性は目をキラキラさせて、端を一心に見つめていた。うわ。と思わず口をへの字に曲げてしまう。お目当ては先生だ。先生のことを知っているファンなのか、今ファンになったのかは分からなかったが、惚れていることは明らかだ。隣のいっくんと先生から、「顔!」と目で注意を受ける。はいはい。私はきりりとした顔に戻した。クールと言われているイメージを、そのまま太鼓に乗せる。それが私のスタイルだった。
先生がバチ同士をぶつけたのが合図。いっくんが小さく小さく太鼓を叩きだした。音が大きくなってきたタイミングで、私も加わる。
前会長に捧げられる曲ではなかった。私の中で、太鼓は終わっている。前会長に言われるがまま、やってただけ。これからも惰性で叩くんだ。
自分で出した音は、聞けたものじゃなかった。
「おーちゃん、何考えて打ってた?」
「……なんにも」
ステージ終了後。みんなが太鼓を片付けている中、私だけ先生に呼びだされた。お説教だとすぐにわかった。もうやめます! と大声で言って、法被を投げつけて帰ろうか。そう思った時。
「あの、演奏、めちゃくちゃ、やばかったです! 良かったです! 感動しました!」
ステージ裏に飛び込んできたのは、さっきの女性だった。隣に男性の姿はない。
「定期公演とか、やってたら教えてほしいんですけど」
「そんなに良かったか。ありがとう。ほら、おーちゃん」
先生に促されて、私はいつも配っているチラシを一枚手渡した。
「基本的に、この辺である祭りには必ず出てます。チェックして貰えると嬉しいです」
「あー! おじいさんの次に、抜群にうまかった子だ! すごい! 良かったです」
「ど、どうも」
「チラシありがとうございます。また来ます」
女性は嵐のように去っていった。「ありゃ台風女だな」先生も頭を掻いていた。
「ワシもおーちゃんの太鼓、めちゃめちゃ好きなんだけどな。今日くらいは、感情を爆発させて打ってもよかっただろうに」
「……」
「悲しさも太鼓に乗せられる。その感情は、伝えてもいいと、ワシは思う」
不覚なことに、ぼろぼろと大粒の涙を流してしまった。先生の前で。
先生は抱きしめるとか、頭を撫でるとか、背中をさするとか。セクハラ紛いなことは一切しなかった。ただ、冷たい視線で、ただ私を見下ろすだけだった。
「このチームに加入したいんですけど! 師匠!」
あの時の台風女が会館の扉を叩いたのは、冬が終わった春だった。
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