第23話 こっこ その3
そう思っていたのに。こんな形で太鼓を再開させることになるとは思わなかった。
『碧楼閣』の改装だって、本当は反対だし、頭痛の種だ。だけど、お客さんを取らないことは不幸中の幸いだった。こっちの問題について、足りない頭をすべて回せる。
今、会館にいるのは、あたし、OLの女の子そしておーちゃんの三人だ。冷房代が勿体ないので、開けられる窓をすべて解放している。それでも、暑い。茹でダコになりそうだ。
「この前、学校でかましてやりました」
にこりともせずに、おーちゃんは話を切り出した。さっき、高校の補習はいいの? と聞けば、「先生に来るなと言われました」とさらりと答えた。一体何をしたのか。
「中庭で、太鼓を叩いたら怒られました」
おーちゃんは舌をペロッと出して見せた。
「こっこさんの真似です」
言われなくても分かる。
「あのねえ、おーちゃん。そこまでやらなくても……」
「外堀から埋めていくことは大事です。宣言したら、出演取り消しもなくなるかも」
甘い。この高校生、一体何を考えているのか。あたしの隣で、女の子も頭を抱えている、と思ったら爆笑していた。
「だははは、サイコー。チームごと、なくなるかもよ?」
「それでもいいと思ってます。チームじゃなくても太鼓は叩ける」
先日、チームを守りたいと言っていたのはどの口なのか。
「うちは……」
ちらりと、女の子の顔色を伺いながらおーちゃんは口に出した。
「うちは、先生のことが嫌いでした」
センセーのことが大好きな女の子が、衝撃を受けている。先生のことを嫌っている人がこの世にいたのか! そう言わんばかりの顔だ。当たり前だが、誰でも好かれる人間などいない。
「だから、先生のことは別にどうだっていい。太鼓のチームだって、もともと会長のチームだったのに。どんどん変えられた」
おーちゃんの目に憎しみの感情が宿っている。
「うちは前会長の太鼓が叩きたい。先生のことなんか、知らない。でも、太鼓を叩く舞台が減らされるのは嫌。うちは太鼓を叩きたい。それだけ」
おーちゃんはバチを握りしめている。女の子は、そう、と小さく呟いただけだった。こういう時、どうすればいいんだろう。意見が対立している二人。あたしはこの前まで部外者だった人間で、挟める口など一ミリもない。さて、どうしたものか。考えるのは、苦手だ。思い立ったら動く。ひとまず、意味もなく網戸の位置を直してみた。
日差しが眩しい。山の緑も眩しい。蝉が騒がしく鳴いている。夏だ。波乱の夏だ。外は快晴なのに、あたしたちの上には雨雲が浮いている。じっとしていても、始まらない。遭難した船底で震えていても、座礁するだけだ。自分たちで、舵を取らないと、そう決めたのが、あたしたち女子三人衆だ。
女の子は考えが纏まったのか、ゆっくりと話し始めた。
「私は先生のことが好き。でも許せない。だから、どうしたらいいか分からなかったわ。鯉川さんと同じように、太鼓から距離を置こうかなって思っていた。でも、私にとって、太鼓は趣味じゃなくて、なんというか、生きがいで。太鼓は、先生で、先生が太鼓だから。
私は、太鼓を続ける意味がないの」
「なのに……」
「でも、とりあえず続けてみようかなって思った。チームの窮地だし。先生のことは、太鼓を打ちながら考えることにしました。許したいけど、許せない」
「白黒つけなくてもいいんじゃないのかな。別に、どっちの気持ちを持っていてもいいでしょ。あなたはあなたの『太鼓魂』を探せばいい。センセーの言ってた『太鼓魂』は、もしかしたら正しいものじゃないかもしれない。でも、あなたはあなただから。太鼓を叩く気持ちが穢れたわけではないでしょう」
この中であたしが一番年上だ。そんな中で、でかい口叩けるのは気持ちがいい。前の会長や、蟻早さんがあたしのこの言葉を聞けば、怒りのチョップが落ちてくるに違いない。
女の子の揺らいだ目がすっと定まった。そんな女の子に、おーちゃんは目を向ける。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「はい」
「蟻早さんが言うには、先生はハメられた可能性もあるということらしいです。誰かが、何かしらの目的を持って、先生にハニートラップを仕掛けた。そういう見解みたいなんですけど、おばさんはどう思いますか?」
「私、人に言われるまでその可能性を全く考えなかった。初めて事件の概要を聞いたときは、怒りで頭がいっぱいになっちゃって。そんなことするはずないって、ずっと一緒に叩いてきたから、分かるはずなのに。だから、その可能性は否定できない」
「あなたじゃないんですか?」
その場が、凍り付いた。
「ちょっと、何を言い出しているの⁉ 失礼でしょう」
見かねてあたしは間に入って止める。でも、おーちゃんの口は止まらない。
「みんな、ひそかに思ってました。あなたと先生が関係を持っているんじゃないかって。いつも一緒でしたよね。だけど、関係が拗れて、警察に言いつけたんじゃないんですか?」
「やめな」
あたしはおーちゃんの頬っぺたを手のひらに挟んで、こちらに顔を向かせた。おーちゃんはむくれた表情のままだ。らしくないよ、と諫めたが、効果は薄い。まだ言い足りないことがあるようだった。
「鯉川さんも、そう思いませんか? あなただって、先生とこの人が一緒に歩いているところを何度も見てるでしょう。一緒に食事だってしてた。そういう関係にあったって疑っても仕方がない。先生は奥さんがいるのに、なんでそんなに一緒にいるのって」
「サイテーだよ。おーちゃん」
両手でおーちゃんの頬を強めに叩いた。見れば、おーちゃんの目から、涙が溢れている。
「先生のせいで、おばさんのせいで、いっくんが、いっくんが辞めちゃったじゃん……」
昔から猪野くんのことが好きだったおーちゃん。あたしが居たときから、おーちゃんといっくんは絶えず喧嘩しながらも、一緒にいた。この一件で、いっくんと一緒に太鼓を叩けなくなった。だから、おーちゃんは先生を恨んでいたのか。
おーちゃんの涙は止まることを知らない。はじめは声を抑えていたのに、段々と嗚咽が漏れだした。その音はどんどん大きくなっていく。おーちゃん自身で止められないみたいで、肩をずっと震わせている。よしよしと私は背中を擦ってあげた。女の子は困ったようにうろたえていた。
「だってぇ……だってぇ……いっくんに、ふ、振られて……。ごめ、ごめんさい、むしゃ、くしゃして。酷いこと言って、すみません、でした……」
「いっくんに振られたの?」
おーちゃんは頷く。女の子がぎょっとした顔をしていた。相思相愛だと思っていたようだ。あたしもだ。
「だからって、八つ当たりはだめよ」
「すみません……」
おーちゃんはしばらくの間泣き続けていた。もう、作戦会議どころではなさそうだ。
女の子は、恐る恐る、おーちゃんの頭に手を置いて、撫でた。その顔は、慈しみがある。
「どうして私にしなかったんだろう」
女の子は、囁くように言った。
「私なら、性欲の捌け口にしてくれて良かったのに。私なら、警察に言わないであげたのに。私なら……」
おーちゃんの涙が止まった。あたしの背中を擦る手も止まった。女の子の、おーちゃんの頭を撫でる手は止まらない。
「もしも先生が本当にやっていないのなら、帰ってくる場所を守るために戦いたい」
「……やっているなら?」
女の子は優しく微笑んだ。
「私が局部を切ります」
おーちゃんとあたしは飛びのいた。
犯人だなんてとんでもない。所謂、メンヘラ女だ。あたしたちは腕を擦った。
「おーちゃん」
女の子に名前を呼ばれて、おーちゃんはびくりと肩を震わせた。
「さっき、学校の中庭で太鼓叩いたって言ったわよね。評判はどうだった」
「じょ、上々……」
「そう」
女の子は髪を掻き上げた。さっきまでの弱弱しい姿はどこにもない。これから戦いに挑むような、戦士の顔だ。目には闘志が、手にはバチが握られている。
「その案、パクらせてもらうわ。秘策なんてないから、地道にやるしかない」
女の子は、鋭い目を光らせる。おーちゃんは黒縁の眼鏡をずり上げた。頬に乾いた涙の跡が残ったままだった。
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