第25話 こっこ その5

 一週間、おーちゃんは会館の前で太鼓を叩き続けた。そのうち、ギャラリーも増えだした。中には、声を掛けてくれる人もいる。

「よぉ、ねーちゃんたち。先生の代わりに毎日太鼓か?」

 センセーは毎朝太鼓を叩いていた。この地域では周知の事実だ。その活動を、引き継いでいると思われたのだ。

「そうです」

 これが、センセー大好きっ子の女の回答。

「いいえ、違います」

 これが、センセーのことが大っ嫌いなおーちゃんの回答。

 おじいちゃんは困った顔をした。慌ててあたしはフォローする。

「ほ、ほら、次に出るお祭りの練習をしているんです。もう半月ありませんし。プロモーションも兼ねて。これでお客さんは、いつもよりがっぽがっぽ……」

「え? 今年、太鼓のステージはないって聞いたんだが」

 あたしたちは顔を見合わせた。聞いてない。あたしたちは、聞いてない。

「そ、それ。どこで」

「さっき張り紙もらったんさね。ほれ」

 見慣れたお祭りのビラ。毎年、使い回しだ。ひったくって確認する。

『ステージ演目:ちびっこダンス・カラオケ大会・ビンゴ大会』……本当だ。『さけ太鼓』も文字が一文字もない。

「そんな」

 おーちゃんは胸元からスマホを取り出した。『お問い合わせはこちら:お祭り実行委員会』の後に続く番号に電話を掛けている。

「私、『さけ太鼓』のメンバー、鴻と申します。お話させてください」

 いよいよ、どうしようもないところまで来たのかもしれない。あたしたちは、静かな怒りを持ち、公民館へと向かうことになった。

 市街地の公民館は無駄に立派だ。数年前に建てられたばかりで、無駄にお洒落で、無駄にきれいで無駄に……。いや、ひがむのはよそう。一応、『さけ太鼓』の拠点となっている会館がうちらの街の地区の公民館代わりだが、結構貧相だ。赤レンガ風の外壁は遠くから目を細めてみれば綺麗に見えるが、実際はかなりのボロさだ。中だけは定期的にリフォームしているため、フローリングや壁はピカピカだが、使う団体は少ない。太鼓チームか、趣味で集まったハンドメイド集団だけ。それぐらい寂れているのだ。

 中学生や高校生が一階のフリールームで勉強をしている。不登校児のうーくんも、ここで勉強すればいいのに。ちらりと思ったが、知り合いがいないとも限らない。海辺を散歩するほうがよっぽど楽しいのだろう。

 先方は、三階の会議室で待っていると言う。二階から上は段々と祭りで使う道具でごしゃごしゃとしている。埃をかぶったおしゃぎりを見ていると、拭きたくて仕方がなくなってくる。旅館の仲居としての掃除魂に火が付きそうだ。そんなあたしを置いて、二人はとっとと階段を上がっていく。エレベーターを使わず、階段を利用するのは太鼓を叩く者としての意地らしい。

「やあ、いらっしゃい」

 そこにいたのは祭りの実行委員長、志野さん。だけではなかった。憎き会長の姿もある。思わず睨みつけてしまう。公民館はクーラーが付いていて、ひんやりを通り越して肌寒い。さっきまで電気代が勿体ないと、クーラーも付けずに練習していたおーちゃんたち。嫌でも会館と比較してしまう。

「まぁ、座りなさいな」

「お茶の一つもないんすか」

「自分で出しな」

 あたしは給湯室へ向かう。志野さん、おーちゃん、女の子そしてあたしの分だけ茶碗を出した。流石に大人げないか。あたしはいやいやもう一つ準備した。但し、クソジジイの前に置くときだけ、多少荒々しくなったのは、ご愛敬だ。

「蟻早さんから聞いてないのかね」

 口火を切ったのはクソジジイだった。答えたのはおーちゃんだ。

「聞きました。うちの講師の不祥事で、祭りのステージに出られなくなるかもしれないと」

「出られなくなるかもしれない? そういう風に聞いたのか? 祭りには出られない。そうきっぱり言うように伝えたはずだが」

 そんな。おーちゃんの顔が青くなる。蟻早さんは、気を使って本当のことを伝えなかったのか。会長は、座り心地の悪いパイプ椅子で何度も身じろぎしている。助けを求めるように志野さんの方を見れば、クソジジイの顔を横目で見ながら頷いた。

「僕は、先生のことを随分と買っていたんだけどね。いつだって、どの祭も盛り上げてくれた。前会長から継いで、君たちのチームをよく指導していたことも知っている」

「だったら」

「だからこそ、がっかりした。そんな風な人には見えなかったんだけどね。残念だ」

 おーちゃんは黙りこくった。女の子も拳を固く握っている。仕方ない、私が後を継ぐ。

「てっきり出られるもんだと思って、いっぱい練習してきたんですけど。いろんなところにも宣伝しちゃいましたし」

「それは君たちが勝手にやったことだろう」

 なんてこと言いやがる。失礼すぎる態度のクソジジイに掴みかかろうとして、失敗した。女の子は私の脛を蹴ったのだ。それもかなり強めに。地味に痛い。

「では、もう『さけ太鼓』のチーム出演はないということですか」

「そうだ。何度も同じ話をさせるんじゃない。蟻早さんからきちんと聞いておけ」

 女の子は席を立った。帰りましょう、とおーちゃんとあたしを促す。

「君たちも気の毒だ。純粋な太鼓バカの指導者かと思えば、ただの色ボケじいさんだったとはな。君たちにきちんとした太鼓を教えてきたのかも怪しい。君たちも狙われたりしてないかい? 何かあったのならすぐに言いたまえ」

 おーちゃんは無言で立ち上がって、扉の方へ向かう。

「サイテー」

 あたしも立ち上がる。中指を立ててプイっとそっぽを向く。

「そんな調子だと、今後ステージに立てることもないだろうよ」

「それは志野さんたちが決めることでしょう」

 志野さんの方を向けば、申し訳なさそうな顔をされた。

「犯罪者がいたチームはね。ちょっとね」

 もう返す言葉もなかった。センセーと一緒に太鼓を叩いたことはなかったけれど、それでもかつて活動していたチームを侮辱されたことには変わらない。

「大人になりなさい、鯉川さん。君のその行動は、蟻早さんにも『碧楼閣』にも迷惑が掛かることを知りなさい」

 あたしは乱暴に扉を閉めた。交渉の余地などなかった。いつの間にか、あたしたちの知らないところで、勝手に物事が進められていく。その歯痒さを通り抜けることが大人になるということならば、ずっと子供のままでいい。いい歳してみっともないことは分かっている。でもこれは、あまりにひどい仕打ちじゃないだろうか。そんなの、見過ごせない。

 駐車場を突っ切って、あたしたち三人は無言で車に乗る。運転するのは女の子だ。見慣れたあたしたちの温泉街が見えてくると、安心する。でもここも、お祭りも、あのクソジジイの牙城の一部でしかない。

 車は会館の前を通り過ぎて、左手に曲がる。道が違う、とおーちゃんもあたしも言わなかった。行先が海なのは、分かっていた。

 夏の日本海はとても綺麗なコバルトブルー。青空とは違う色が、広がっている。もう少し県北に行けば、遊覧船に乗って岸辺の岩石を楽しめるスポットもある。全国各地から人がやってくる観光名所だ。

 これが冬になるとそうもいかない。すべてが色を失い、灰色に変わる。雲一面の空。強風によって、波は高く打ちあがる。泡立って真っ白になる。シャボン玉のようにふわりと浮かび上がる泡は、波の花という。そして、後ろを振り向けば、山も白く染まっているのだ。見る景色すべてが白色なのに、くすんでいて、どこか灰色に見える。強風の勢いは、言葉にできないほど半端ない。海岸から少しばかり離れている『碧楼閣』や『さざなみ荘』はいい。問題は、浜辺と目と鼻の先にある『蕉風館』だ。駐車場にいるだけで、風に煽られて飛びそうになる。自分の体重がこれほどまでに頼りないものであることを思い知る。海の近くへ行こうなんて、とてもできない。

 この夏の爽やかな景色を目につけておこう。浜辺に来る度にそう思う。だが、今はそんな気分でなかった。

「うわあああああああああああ」

 おーちゃんは靴と靴下を脱いで、勢いよく海へと乗り込んでいく。

 バーベキューを楽しんでいたファミリーがぎょっとした顔を向けていた。おーちゃんは思いっきり足を蹴り上げて、叫んでいる。

「大人のバカーーーーー。先生のバカーーーー。死ねえええええええ」

 こんなおーちゃん、見たことがなかった。困り果てているあたしを見て、女の子も続いて海へと入っていった。

「叩かせろ、ばっきゃやろ~~~~~~~~~」

 すべての鬱憤を海で晴らしている。ちょっと青春っぽいけど、引いた目で見てしまう。

一緒に混ざる気にはなれなくて、「すみませんねえ」とお隣のファミリーに謝っておいた。「いえ」と若干引いた返答をされた。それ以上に答えようがないとも言える。

 二人は、いつの間にかお互いに海水を掛け合っていた。水着姿でなく、私服を着ている女子二人組がじゃれ合っている姿。周りにいた人たちはちょっとずつ距離を取っていた。

「怒ってるのか、遊んでるのか分からないわね」

 いつの間にか、蟻早さんが隣にいた。騒ぎを聞きつけて、様子を見に来てくれたのか。

「蟻早さん」

「私もさっき聞いたのよ。伝える間もなく、直談判に行っちゃってまあ」

 呆れた、と顔に書いてある。すみません、と謝るしかない。一番迷惑を掛けているのは蟻早さんだ。

「あなたたちもこれで満足したでしょう。特にあんたは、このままだとクビになるわよ。女将さんと今の会長は仲がいいんだから」

「……それは嫌っす」

 でも、このままみんなが太鼓を叩けなくなるのは何か切ない。出来ることがあるのなら、手伝ってあげたい。

「じゃあ、どうしたらいいんすかね。昔いたところが無くなるのは、悲しいっす」

「太鼓は、どこでも叩けるわ。鯉川もね」

「……叩く暇はないっす。あたしは仕事一筋なんで」

「その割に、仕事中よくしゃべることしゃべること」

「……最近女将さんに似てきてません?」

 蟻早さんは心外だ、心の底から嫌そうな顔をした。

 散々潮を浴びた二人は、疲れたのかとぼとぼと陸に上がってくる。上から下までびしょびしょだ。それですっきりしたのならいいのだけれど、二人の表情は晴れないままだ。

「迷惑を掛けるのがお得意ね」

 二人は項垂れている。一部始終、あたしたちの行動は筒抜けだったことを知る。

「もうやめましょう。お祭りに出られなくても、練習できるならそれでいいじゃない」

「叩ける舞台がないってのに、練習する意味あるんですか」

「大会がある」

 蟻早さんが何を指しているのか、あたしには分からなかった。女の子に説明を求める。

「九月に、太鼓連盟主催の全国大会の地区予選があって。どんな団体も出れるからって、先生がエントリーしてくれたんです。祭は、その前哨戦として、必要なものだった」

「なんだ。祭が一番の目的じゃなかったのか」

 前の会長とやっていた時は、お祭りの舞台を目標に、みな練習していた。数年経てば、目標も変わるのかもしれない。時代が経てば、流行るものが変わるように。観客は全員顔見知りで、誰かの家族か、地元の知り合い。気恥ずかしい中、下手くそな演奏を精一杯やるのが『さけ太鼓』チームだった。やっぱり、あたしが戻れるチームではない。

「祭りは大切にしてる。いつだって、そこがホームだと思ってるから。でも、ぶっつけ本番が怖いから、ここで手ごたえを感じておこうって」

「去年は、全く歯が立たなかった県予選、今年は突破したんです。出来れば、もっと上に行きたい。会長にぎゃふんと言わせたい。なのに、先生が急にあんなことをして、人数も減って……。でも、やるしかないんです。みんなで。この祭りで自信つけなきゃ、本番だってうまく行かない!」

 願掛けにしていたのか。みんなが祭りにこだわっていた理由が分かった。でも、あたしには分からない。そこまで人目に晒してまで、太鼓を叩きたい理由が分からない。女の子は静かに言った。

「一万人の前で叩きたい。それが、私たちと先生の目標だから」

 それだけの為に太鼓を叩いているのか。滑稽ではないのか。

「明日も続けますから」

 女の子は、その言葉を残して、車に乗った。住まいは市街地のほうだ。あたしたちは無言で見送る。

「おーちゃんは?」

おーちゃんの学校と寮も市街地の方にある。おーちゃんは首を横に振った。

「『さざなみ荘』に寄って帰ります。蟻早さん、おばさんはシロです。寧ろまだ……先生のことは、信じてるみたいでした」

「そう」

 あたしの目の前で、薄ら寒い会話が繰り広げられている。怖い。おーちゃんに探るよう指示していたのは蟻早さんだった。もしかしたら、昨日の涙は演技じゃないのかと疑ってしまう。多分違うと思うけど。

「蟻早さん、私たちはまだ戦います」

「あのねえ、会長直々に言われたんでしょう? 祭は出られない。大会への練習を続けなさない。もう少ししたら、隣の県のチームと打ち合わせしなくっちゃ」

「なんの打ち合わせですか?」

「次の大会のバスよ。一緒に行けば、経費も浮くから」

「向こうは手練れだもんね。毎年全国大会に行くか行かないかってところだから羨ましい。色々学ばなくっちゃ」

 おーちゃんが胸の前で拳を作っている。気合が入っているようだ。

 ふと、思いつく。

「蟻早さん、色々と忙しいでしょう。あたし、その役割やりますよ」

 どうせなら、大きく巻き込んでしまおう。あたしの一番は大会じゃなくて、お祭りだ。みんなにはお祭りで叩くことを諦めないで欲しい。そのステージで叩くことは、前の会長が大切にしていたことだ。どうしてそれを、みんな忘れてしまったのか。大会の前哨戦とか、リハーサルとか。そんな気持ちだから、祭を降ろされるのだ。思い出してほしい。『さけ太鼓』のホームは祭なのだ。

 そのためにあたしは、なんだって利用することにした。

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