第33話 えっちゃん その3
太鼓の面は、牛の皮から作られている。それを教えてくれたのは、先生だ。
「太鼓を打つ上で、最も大切なことは何か知ってるか?」
「はい、姿勢です」
答えたのは、いっくんだった。
よくおーちゃんにちょっかいを出したり、出されたりして、じゃれている。おーちゃんが、いっくんのことを好きなのは、誰が見ても分かることなのに、なぜかいっくんは気付いていないようだった。熱心に、先生のことを見つめている。それが面白くないおーちゃんは、少し拗ねていた。私も、うーくんに構ってもらえない時はそんな顔をしているのかもしれない。直そう、と思った。
練習の前に、先生が太鼓の講義をするようになったのは、私が入ってからだ。太鼓初心者の人に、太鼓のことを知ってほしい。親しみをもってほしい。それが先生の狙いだった。
私よりも少しばかり早く始めたうーくんには、必要のない講義だった。既に太鼓が大好きで、親しみを持っているからだ。
だけど私にも必要がない。つまらない話よりも、一分一秒でも多く太鼓を打ちたい。
「じっとしてられねえのか」
うーくんがツッコんだ。周りからくすくすと笑いが起こる。
「自分に跳ね返ってくる言葉を、よく言えるわね」
じっと座っているのが苦手なのは、うーくんの方だった。正座をしていたかと思えば、すぐに足を崩して、胡坐を掻く。だけど、いつの間にか三角座りをして、膝に頬杖をついている。落ち着きがないとはこのことだ。
「まずは太鼓の成り立ちから。太鼓が使われ始めたのは、いつからか知っているか?」
私たちの言い合いもそっちのけで、先生のありがたーい講義が始まる。有難いことは重々承知しているんだけど、どうしても、難しい話が始まると、脳みそがシャットダウンしてしまう。そのまま瞼も閉店ガラガラ。シャッターが閉まりだす。
次に起きた時は、もうみんな太鼓の準備を始めていた。私も慌てて起き上がる。頭がぐらりと揺れた。あーさんの目が、少し怒っていた。おばさんは半笑いだ。みんな、私が寝ていたことに気付いていたようだ。恥ずかしい。寝たくて寝たわけじゃないと言いたい。決して、先生の話がつまらなかったからではない。
「よくそんなに寝られるな」
うーくんは信じられないという顔をしていた。学校が忙しい私とは違って、そこらへんをぶらついて好きなように太鼓を叩いているうーくんとは違うのだ。一日中、暇を持て余しているうーくんなんかに、眠気が来るわけない。
「いいじゃねえか。それだけ寝れば、元気よく太鼓を叩けるってもんだろう。俺のつまらん話なんて聞かなくていい。いい太鼓が叩けるならな」
嫌味を言われているのか、褒められているのかさっぱり分からない。だけど、先生はにやにやといつものように笑っていたので、良しとすることとした。
元気いっぱいに叩いたつもりでも、私の音は、みんなよりも小さくて通らない。先生が、そっと私の肩甲骨に手を添える。その手がそっと下に行き、くすぐるように私の腰を撫でまわした。思わず、背筋が伸びた。
「そうだ、その姿勢をキープ。一番使う指は小指だ。ここがうまく使えないと、音はならない。太鼓を叩くのに、大事なことは三つだ」
先生の人差し指が伸びる。
「一つ、良い姿勢を維持すること」
中指も立った。
「二つ、小指に全神経を集中させること」
最後に、親指が出る。薬指を出さないのは何故だろう。カッコつけかな。
「三つ、太鼓を知ることだ」
いつの間にか、この場にいる全員が、先生の言葉に耳を澄ませていた。私だけに言われているはずなのに、一言一句聞き逃すまいと、熱心なチームメイトが聴いている。
「太鼓を知るのは、難しい。終わりのない勉強をしているようなもんだ。小学生は常識を学ぶために、中学生は高校受験のために、高校生は大学受験のために、大学生は就活や研究のため。そして、社会人は会社のために働いている。それはな、ゴールがある勉強だ。
だが、太鼓を学ぶということはゴールがない。わしは太鼓を学び始めてもう五十年経つが、未だに太鼓のことは分からん。さっぱりだ」
五十年間も、分からないものを追っかけている先生はすごい。まだ十五年も生きてない私には無理だ。私が太鼓を叩いたところで、何も分かることはない。
「今月末、太鼓のことを知るために、みんなで旅行しよう。バスはこっちで用意しておくから、参加者はわしに言うように」
この言葉はみんなに向けられた言葉だった。頷く人もいれば、首を振る人もいた。後者の人は、もう予定が入っていると残念そうに断っている。
予定は無かったが、行く気もなかった。太鼓は練習時間だけで十分だ。
「えっちゃんは絶対来い」
有無を言わせない先生の口調。行く気はないのに、頷いてしまった。
「よし」
先生は満足げに頷いた。どうしても私を行かせたいらしい。だから、さっきから太鼓の極意について話してくれたのか。気乗りしない顔をする私を、うーくんは睨んでいる。私の態度が気に食わないらしい。亀みたいに首をちぢめて、うーくんの視線を避ける。
旅行をしたところで、太鼓のことが分かるとも、太鼓が好きになるとも思えなかった。
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