第20話 あーさん その6

 思い出の『さけ太鼓のテーマ』。この曲は、前会長も先生も思い出してしまう曲。複雑な心境である。賛成ではある、あるのだが。

「あの人が考えつかないような流れを組んでみたんですけど。どうですかね?」

 おーちゃんは「先生」と呼ばなくなってしまった。「あの人」と口に出す時ですら、口調が堅くなる。以前よりも熱心に、太鼓を叩き続けているおーちゃん。そのやる気はどこから来ているのか。先生への怒りか、いっくんへの怒りか。ほかのものなのか。自分でも持て余している感情のすべてを太鼓にぶつけている。鋭い音は、太鼓を通して拡散されていく。前よりも音が遠くまで届かなくなっていることに、おーちゃんは気付いているのか。

「いいんじゃないのかな」

 辺りを見回せば、今日来るメンバーは全員揃っていた。今ほど来たばかりらしい子は、先生の教え通り、念入りに柔軟をしている。

「太鼓をする前にアップをしよう」

 先生にそう提案された時、蟻早は意図が掴めずにいた。確かに、ほかの楽器に比べれば、体を大きく使う必要がある。ただ、怪我するほどではない。体力づくりの一環かと思っていたが、先生は蟻早だけに、小声で囁いた。

「目的はお互いの今日の調子を見ることだ。機嫌がいいとか悪いとか、体調の良し悪し、怪我の有無。そのすべては音に繋がる。ひとりひとりを観察するのは俺たち指導者だけじゃだめだ。みんな、自分で仲間をチェックする必要がある。これは、その訓練の一環だ」

 この四年間で、『さけ太鼓』の練習の隅々にまで、先生の太鼓魂が息吹いている。それを消すことは簡単ではない。その教えのすべてが正しいとは思っていないが、失くす必要もない。その一方で、もうすべてをなかったことにするかのように、練習前のアップを辞めた子もいる。おーちゃんがその一人だ。まるで反抗期のような態度だ。

 ゆっくりと息を吸って、覚悟を決めた。悪い知らせは、蟻早の口から言わねばならない。

「みんなに、話があります」

 太鼓を叩くのをやめて、みな蟻早を取り囲んだ。よくない話であることを察している。ちらりと見遣れば、鯉川は壁に凭れて、外部のものとして大人しくしていた。

「もしかしたら、の話なんだけど。次のお祭り、私たち『さけ太鼓』は参加できないかもしれません」

 衝撃が波となって広がった。様々な感情を乗せた目が蟻早に向けられる。舞台の上でもそうだ。上手いなあ下手だなあ、そんな観客の表情はすぐに分かる。

「どうして」

 一番に声を上げたのはおーちゃんだった。当然だ。彼女はここ最近、熱心に太鼓を打ち込んでいた。あまつさえ、選曲の構成を頼んだのも他でもない蟻早だ。本当に、申し訳ない気持ちで一杯だ。それでも、蟻早がどうこうできる話ではない。ただ、今は事実を伝えるしかなかった。

「今日、今の会長と話をしたの。祭りの運営協議会で、我々の先生のお話が出たみたいなんさ。先生は、世間的に許されないことをした。新聞で見た人もいると思うけど、先生は自身が起こした行為を事実だと認めています。

 みんなには覚えておいて欲しいんだけど、逮捕された時点で、罪人になるわけじゃないの。十分に調べられて、裁判所で言い渡されて初めて罪となるの。だから、真偽が分からなかったんだけど……」

 蟻早は目を閉じた。

「けれど、先生は罪を認めた。本当かどうかは分からないけどね。ただ、本人が言っているから、そういうことなの。先生は、女の子をいじめた。それはしてはいけないことだし、よくおっしゃっていた『太鼓魂』に反するわ。それは、みんなも理解できるかな?」

 優しく噛み砕いて言った。つまり、先生自身が、普段みんなに言っていたことを、守らなかったということになる。

「祭りの人たちは、そんな指導者がいた『さけ太鼓』がお祭りに出るのは嫌だと考えている、と会長に言われたわ。これも、本当のところはどうなのか分からない。ただ、舞台に立たせたくない、と暗に言われたの」

「そんな!」

「許せない」

「信じられない」

怒りで顔を真っ赤にさせたのは、おーちゃんと鯉川そしてあの子だった。

「じゃあ、祭りの人に直談判すればまだ可能性があるってことですよね!?」

「うち、会長に文句言ってくる」

「やめなさい。それが現会長の目的よ。更に騒動を大きくして、本格的に私たちの活動を制限するのもあり。私がありのまま伝えて、みんなのやる気を無くして、自ら出演を取り下げさせるのもあり」

「なにそれ。ずるい」

「……それだけのことをしたのよ。先生は」

 法に触れれば、どういう状況になるのか。自分一人が泥を被るだけでない。家族はもちろん、血の繋がりのない仲間にだって、被害が及ぶ。今回の事件で、そのことをみんなに学んでほしい。蟻早はそれだけを願った。今後、このチームは長く続かない。たとえ、祭りに出ようが出まいが、会長に潰されるのは目に見えている。

「納得できません」

 おーちゃんは静かに言った。俺を指導者と認めてほしい、そう問うた先生。あの時も、みんなが先生の演奏に飲み込まれていた中、一人だけ意見を言った。あの時と同じような目で、おーちゃんは必死に訴えている。

「気持ちは分かるわ」

「分かってもらわなくて構いません。うちは嫌です。祭りに出られなくなることも、前の会長とうちらの、このチームが消えることも」

「だけどね」

 おーちゃんは鯉川とあの子にも訴えかける。

「そう思いませんか!? おかしいじゃないですか。だって、うちらは何も悪くないのに!」

 全くもって、その通りなのだ。すべては、大人のご都合だ。

「うちは……うちは……」

 目を彷徨わせて、おーちゃんは言葉を探していた。その間に、蟻早はほかのメンバーに向き直る。

「勝手な都合で振り回してごめんなさい。みんなは、祭りがあると思って練習を続けて頂戴。……もし、私の力及ばずで、叩けないことがあったら。その時は、ごめんなさい」

 蟻早は深く、深くお辞儀をした。不祥事を起こした先生の分。潰そうと企む会長に振り回られている分、そして自分の分。三人分だ。

「あーさんは何も悪くないです」

 頭を垂れたままの蟻早に、言葉を投げたのは、あの子だった。

「私は、ずっと迷ってました。大人の癖に、逃げてしまって……あーさんばかりに、仕事を押し付けてしまって、申し訳なかったです。

 私は、戦います。私は、これからも、このみんなで太鼓をしたい」

 今日話をしたのは、失敗だったのかもしれない。蟻早は早くも後悔しはじめていた。言うんじゃなかった。みんなを無駄に混乱させただけでなく、変な方向にやる気を出させてしまった。失敗だ。

 もうどうにでもなれ、と投げることは出来ない。

「お願いだから、大人しくして頂戴」

 おーちゃんは言葉が見つかったのか、ぐっと顔を上げた。その瞳には光が宿っている。

「じゃあ勝手にやります。これからうちらたちが何しようと、うちらの責任。チームは関係ない。これでいいでしょ?」

「わかりなさい。先生の件がそうならなかったから、この状況にあるのよ」

 声を荒げてしまった。おーちゃんは一瞬ぎょっとした顔をして、唇を強く噛んだ。

「太鼓、一つだけお借りします」

 そう言って、おーちゃんたちは会館を去った。

 その翌日、おーちゃんは高校の中庭で勝手に太鼓を叩いた。そのせいで、おーちゃんは学校から大目玉を食らった。

 そのことが蟻早の耳に入ったのは、しばらく経ってからだ。

「夏の終わりのお祭りでライブをやります!」

 高らかに、おーちゃんはそう宣言したらしい。顛末を聞けば聞くほど頭が痛くなった。

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