第40話 私 その3

「みんな、お疲れさまでした。疲れたでしょうから、今日はこれで解散とします。親御さんが来ていない子は、誰かに連れて帰ってもらうなり、迎えを呼ぶなりすること。ケータイは私のを貸してあげる」

 ケータイ一つじゃ回らないだろう。私は自分のスマホも献上した。おーちゃんも「使って」と差し出している。

「これで、『さけ太鼓』の活動はおしまいです。みんな、今日まで練習よく頑張ったね。その成果が、よく表れていたと思う」

 本心の言葉ではないだろう。だれがどう見たって、今日は最悪の出来だった。ここ数日までのリハーサルは、うまく行っていたと聞いていた。チームの足を大きく引っ張ったのは、間違いなくこの私だ。やっぱり、叩くべきでなかった。謝ろうと口を開きかけた瞬間、蟻早さんに邪魔をされた。

「てことで、今度『さけ太鼓』のお別れパーティーをしましょう! 辞めちゃった人も、どしどし誘ってください。今日の打ち上げも兼ねてね。それじゃ、解散」

 パンパン、と手を打たれて、みんなは思い思いの場所へ散っていった。私が口を挟むタイミングはなかった。蟻早さんは、子供に電話番号を聞いて、親に連絡を取るのを手伝い始めた。おーちゃんは、自分の携帯を渡したまま、辺りをきょろきょろとした。あ、と声を上げて、つかつかと歩き出す。その方向には、あの男の子二人がいた。いっくんと、眼鏡の男の子。

「何しにきたの!」

 おーちゃんはいっくんの胸倉を掴んで怒鳴りこんでいる。二人の間に男の子が割りこもうとして、失敗している。三人はそのまま言い争いに突入している。太鼓を辞めろだの、なんで続けないのだの、かっこよかっただの、そんな話から、「なんで私の彼氏と一緒にいっくんがいるのよ」「いや、今は俺が彼氏だし」よく分からないが恋愛の縺れた話に変わっていた。甘酸っぱい恋愛が美徳に見えるのは青春の特権だと思ったが、これは骨肉をめぐる争いへと発展しそうだ。子供たちの恋愛関係に、大人が首を突っ込むことほど無粋なものはないので、そっとその場を離れた。

 あてもなく、ぶらぶらと歩いていた。一歩一歩踏み進めていると、カメラをケースに収めたこっこさんが駆け寄ってきた。

「さっきの、配信、五千人もの人が見てくれてたの!」

 五千人。つまり、一万個の目。こんな形で、師匠が言う目標を思い出すことになるとは。口酸っぱく言われていた一万人には届かなかったものの、一万個の目に、私たちは映った。勿論、今まで五千人もの前で、太鼓を叩いたことなんてなかった。この騒動があったからこそ、成し遂げられた偉業だ。

「こっこさんの、お陰です」

「いやいやいや、そんなことないよ。みんなの演奏が良かったからっすよ」

手をせわしなく動かしながら、こっこさんはお世辞をくれた。

「そいで、センセーなんだけど、さっさとどっか行ってしまったんさ」

「そうですか」

 私が師匠を探しているように見えたのだろか。こっこさんは、親切にもそう教えてくれた。落胆はしていない。話さないで済むならば、それまでだ。

「そいじゃ、私は蟻早さんに挨拶してくるっす」

 じゃ、と片手を上げて、こっこさんはひょこひょこと小走りで駆けていった。小学生たちは解散だが、太鼓の積み下ろしをしなければならない。でも、まだ暫く掛かるだろう。

 屋台は、最後の売り込みをしているところと、そそくさと片付けに入っているところの二種類に分かれていた。その列の間を、水色の法被を纏ったままの私は進んでいく。

 ぬかるんだ地面を進み、気が付けば、ステージの前にいた。さっきまで私たちがいたステージには、もう誰もいない。ベンチも片付けられ、周囲はがらんとしている。じっとステージを見上げる。時期も場所も違ったが、私の人生に師匠と太鼓が加わったのは、ステージからであった。私の人生から師匠と太鼓が除かれる最後の瞬間も、ステージだった。

 カランコロン。気の抜ける下駄の音が響いた。ビシャビシャと水溜まりの水を跳ねさせながら、その人は、私の隣に並んだ。

「よぉ」

 いつもと変わらない調子で、その男は私に話しかけてきた。だけど、私は隣を向かない。前を向いたまま、動かない。

「お前らの演奏、聞いたよ。ひでえもんだったな」

 空を見上げる。頭上の雲は、ところどころ切れ間があり、光が差していた。

「示談に収めてもらって、不起訴になった。昨日釈放されたばかりだから、まだしっかり休めてないんだ」

「蟻早さんにいくら渡したんですか?」

「知りたいか?」

 知りたくない。

「金の他に条件を出された。

 その一、二度と太鼓には触れないこと」

 それは先生にとって一番つらいことなはず。でも、それだけのことをしたのだ。その報いを受けるのは当然だ。

「その二、二度と教え子たちに近寄らないこと」

 当たり前だ。

「太鼓はお前にやる。好きなように使ってくれ」

「あなたのせいで『さけ太鼓』は今日で解散になったんですよ。太鼓貰ったって、しょうがないです」

「いいや、『さけ太鼓』がなくなったって、太鼓は叩くだろう? お前も、おーちゃんも、あーさんも。俺の太鼓で良ければ使ってくれ」

「私は、叩きませんよ」

「いいや、叩くね。俺は知ってる。お前は今日のへったくそな演奏で満足するような人間じゃない。心臓の奥まで音を響かせろ。まだ叩けるはずだ」

 男は、どこからともなくバチを取り出した。そして、強引に私に握らせてくる。白いバチは、生暖かくて気持ち悪かった。なのに、少しだけ感じた師匠の匂いに、泣きそうになってしまった。懐かしい。もう、嗅ぐことはできない。私は持たされたバチを、男の胸に押し返した。要らない。あんたのバチも、あんたも。

「叩けよ」

 男は再度言う。あんまりにもしつこいので、つい、言ってしまった。男の顔を見て言ってしまった。

「えっちゃんに二度と近付かないのなら」

 男は微かに目を見開いた。そんなことまで知ってたのか、小さな声だった。

 一か月も留置されていないのに、師匠は師匠でなくなり、ただのやつれた男になっていた。ロクなご飯を食べさせてもらえなかったのか、太鼓が叩けない環境下にいたからか。

 ああ、死んだのだ。そう思った。私が大好きだった、太鼓一筋だった師匠は死んだのだ。

「蟻早さんやおーちゃんが羨ましい。前会長のように、綺麗に死んでくれればよかったのに」

 わざと傷つく言葉を選んで言った。男の表情は変わらないままだった。

 私と男の間に光が差した。すべての水溜りが、光を反射してキラキラと輝く。眩しい。

「どうしてまだ、生きてるの?」

 子供のように無垢な声を出して、私は問うた。後になって思い返せば、この世にこれほど残酷な言葉は存在しないと思った。だが、その時の私は、冷静さに欠いていた。目の前の相手を、言葉のナイフで刺し続けることに必死だった。

先生はいよいよ顔を強張らせた。何も言わずに去っていった。

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