第3話 うーくん その1


小学生の時、どちらかと言えば学校が好きだった。勉強も別に嫌いではなかったし、体を動かすのも好きだった。授業中は、なかなか問題が分からないクラスメイトに赤ペンを持って教えてあげていたり、昼休みには外に出て遊んでいたりした。

 中学校へ上がる時、正直わくわくしてた。これから先、もっと色んな事を知れて、いろんな友達ができて、自分の世界が広がっていくんだろうな。そう思っていたのだ。

俺は期待しすぎたのかもしれない。

 結論から言うと、入学しても何も変わらなかった。俺は、今までと同じように教室で勉強をして、放課後には部活をした。なんとなくテニス部に入って、そのままみんなでゲーセンに寄って帰った。それが普通なのだと、味気なさすら感じなかった。

 そのまま三か月が過ぎた。クラスや学年内では、それとなくグループができて、それとなく仲間内で遊ぶのがある種のデフォルトだった。そんな中、いつもぽつんと一人でいる奴がいた。そいつは、いつも指を忙しなく机に叩いていた。

 そいつとの出会いが、俺の世界を変えた。

トントントントントン……。

その異様な様子から、クラスメイト達は遠巻きにそいつを見ているだけだった。かく言う俺も、その一人だった。

 ある日、たまたま部活をサボった。練習試合のメンバーを決める日だった。スタメン確実、と周囲におだてられていた俺だが、あえて行かなかった。先輩を差し置いてまで、試合に出たいとは思えなかったからだ。つるんでいるメンツもまだ部活中だったので、俺はアテもなくゲーセンに足を向けた。いつもより数時間早く行けば、ゲーセンの雰囲気がずいぶん明るい。日没ギリギリに締め出される時は、哀愁が漂っているが、今は子供っぽい空気が流れている。国民的キャラクターマシンから香る、甘ったるいポップコーンの匂い。

 お馴染みのコインゲームをやろうと、奥へと向かう。そこで、妙にピリピリとした空気を感じた。だれでも知っている、太鼓のゲーム。正確なリズムでおもちゃの太鼓を叩く男は、俺と同じ制服を着ていた。同じクラスのあいつだ。画面上では、太鼓のキャラクターがくるくると踊っている。流れてくる音を寸分の狂いもなく叩くその姿は、出来のいいマシンを見ているかのようだった。一曲終わるまで、気配を消してその背中を眺めていた。「結果発表~」と声がしたところで、声を掛けてみた。

「よお」

そいつは驚きもせず、自然な態度で振り向いた。

「やあ」

その返事は、学校での孤独な態度を感じさせない明るいものだった。

「交代しようか?」

 俺がてっきり順番待ちをしていると思ったらしい。俺は大きく手を横に振った。

「見てただけ。お前、うまいんだな」

 これが、俺とあいつが初めて会話らしい会話をした瞬間だった。

「もっとうまい人はいる。僕の家にもこれがあればいいんだけどね」

「これって?」

 そいつはそっとゲームの太鼓を撫でた。流石に、筐体がある家庭は少ないだろう。てか、買えるものなのかフツー?

「十分うまいだろ。プロじゃん」

「プロだもん」

 少しだけ誇ったように、そいつは笑った。学校で笑っているところなんか、見たことがない。屈託のない笑顔はガキっぽかった。

「もうすぐ大会なんだよね。今年から部門が変わるから、最高難易度で戦える」

 今まで、太鼓のゲームのうまい人は何人も見てきたが、大会に出るレベルの人は初めて見た。確かに、素人の俺でも、そいつがプロと呼べる腕前があることは分かる。でも、うまい人はだれでもと言っていいほど持っている、オリジナルのバチを手にしていない。備え付けのバチでプレイしていた。

「大会はこのバチしか使えないんさ。公正にするためにな。マイバチだと、ロール処理特化とか、連打に特化したものとかいろいろ小技が使いやすいんだけど、これだと正面突破しかない」

「ふうん」

 何を言っているのか一ミリもわからなかった。

「一緒にやる?」

 戦わなくても、結果は火を見るよりも明らかだ。どうせぼろ負けするに決まっているので、丁寧に辞退した。その代わり、隣のゲーム機の椅子を引っ張ってきて、やっているところを見させてもらう。フルコンボは当たり前。いかに連打と精度を上げるかが、勝負のカギなのだという。難しい世界だということは分かった。

 胴体は微動だにしないが、腕は目に留まらぬ速さで太鼓を打ち付けている。その顔は真顔だ。楽しんでいるのかよく分からないな、と思っていたら、自己ベストを叩きだしたらしい。「やったぁ~!」と俺にハイタッチを求めてきた。思わず、パンと、手の平を合わせてしまう。そいつの手は、汗でべとっとしていた。

 そいつは、学校の部活が終わる時間きっかりに、後片付けを始めた。

「もうやめんの?」

「君たちのお仲間さんたちが来るだろ。見られたくないじゃん」

 そいつは、「じゃ」と手を挙げて去っていった。俺も引き続きゲーセンにいる気になれなくて、引き上げることにした。ゲーセンに来たのに、一円もお金を使わないまま帰る日は初めてだった。ただ、他人がゲームしてるのを見ているだけで終わった。いつもなら、やいのやいのとみんなで代わる代わるプレイして盛り上がっていた。だけど、今日はなんか違った。プロだから、と誇っていたあいつの姿が、妙に後味悪く、頭の中に残った。

 次の日、いつもの変わらない教室。俺は、何となくそいつに話しかけてみることにした。そいつはいつものように目を瞑って、小さく机を叩いていた。大会のイメトレをしているのだろうか、無意識に指が動いているのだろうか。

「よお」

「やあ」

 自然な返事が返ってきた。俺とそいつが会話している様子を、教室中が冷ややかな目で見つめている。日差しが強いのに、なぜか冷や汗が出そうだった。こいつは、いじめられているわけじゃない。でも、浮いていることに間違いはない。そんなあいつに、いじめられても浮いてもいない俺が話しかけた。クラスの中ではとてつもないビッグニュースに間違いない。俺たちは、それに気づかないふりをして会話を続ける。

「今日もやんの?」

「やるよ。くる?」

 一瞬迷った。昨日に引き続き、今日も部活をサボるのはどうなのか。真面目くんな俺が言う。どうせスタメンはもう決まったんだ。今更行ったって、大会まですることはない。サボり魔な俺は言う。俺は後者の言い分を採用することにした。

「……行く」

 少し間の開いた俺の返答に、そいつは何を思ったのだろう。

「じゃあ、放課後な」

言葉少ないまま会話は終わった。

 その日から、俺は見事にテニス部の幽霊部員となった。もともとテニスに興味があったわけじゃないから、別になんとも思わなかった。ただ、使われなくなったラケットとジャージを見て、母さんは寂しげな顔をしていた。

 ともかく、俺とそいつとのゲーセン通いが始まった。そいつの大会まであと半月。そいつはとうとう、ゲーセンにいられる時間いっぱいまで練習に打ちこみ始めた。俺はいつも隣で椅子に座ってみているだけ。たまーに頼まれて、プレイしている様子を撮った。動画サイトにあげるのだと言っていた。

 同じ学校の奴らから、冷やかしを受ける日もあった。

「マジでやってんぞ」

「オタクだな」

そんな声もさらりと無視して、そいつはロボットのように譜面をクリアする。見られるのは気にならなくなった、と呟いていた。

 二人で太鼓の筐体と向き合っている時間は、楽しかった。あいつはプレイに集中しているため会話は少なかったが、それでも俺は満足していた。わいわいできなくても、共有できる感覚があることを知った。

初めからスゴ技を持っていたそいつは、さらにめきめきと腕を上げている。ひょっとしたら、すごいところまで行けるんじゃないのか。俺は密かに期待していたのだ。

 大会の結果は、準優勝だった。一緒に会場までついていくお金がなかったので、配信で観戦した。いいところまでいっていたが、二つ上の相手はやはり強かった。惜敗したそいつは、大会が終わってすぐに俺に電話を寄越した。激しい嗚咽が聞こえた。

「牛沢くん、負けたよ」

「十分すごいぜ? 全国二位ってなかなかないぞ」

励ましたが、そいつは泣き止まなかった。

次の日、学校に行ったそいつは、教室中の祝杯ムードに包まれていた。いつの間にか、そいつの太鼓の腕前が評判になっていた。クラスメイトのほとんどが決勝戦を見ていたらしい。「すごいな」「おめでとう」と口々に声を掛けていた。

「牛沢くん」

「おめっと」

「……次は、優勝するよ」

 そいつの小さな声は、ほかの誰かにも拾われていた。「次は優勝だって!」「がんばれよ」声援が飛び交う。ありがとう、ありがとう。とそいつは律儀に言って回っていた。 

そのあとから、教室でのそいつの風当たりが弱くなった。クラスメイトにプロゲーマーがいる。その事実が公になった今、変人扱いするメリットはない。ゲーム以外の会話も、交わすようになった。そいつが机を叩く癖も、少なくなっていった。いい傾向だ。頭ではそう分かっていたけど、なんとなく寂しさを感じた。

 そいつは、色んなヤツらとゲーセンに行くようになった。太鼓のゲームではなく、コインゲームとかシューティングゲームとか。代わる代わるプレイして、わいわいしていた。俺は気分になれなくて、その輪の中に入らなくなった。もう部活にも顔を出せなくなっていた。

 急に、教室の空気がつまらなく感じた。席から眺める青空が、ひどく濁って見えた。

 部活をサボったあの日のように、俺は一度だけ、と学校をサボってみることにした。通学路に背を向けて、制服の波に逆らって歩き出す。先生に心配されようが、親に連絡が行こうがどうでもよく感じた。田んぼ沿いの道路をのろのろと歩き、温泉街に出る。この町では有名な温泉だ。もわもわと昇る蒸気をしばらくの間眺めて、また歩き出す。

 気が付いたら、海まで足を向けていた。ゲーセンがあるショッピングモールと反対方向に歩いた自分に笑ってしまう。

 あいつと仲が悪くなったわけではない。クラスから浮いたわけでもない。

 俺の気持ちが浮いてしまった。

 外で見る空は、まっさらに見えた。海もキラキラと反射している。今日は風が少ない。日本海にしては、凪いでいるほうだ。冬になると、だんだんと色を失くしていく。空も海も、境目が分からないくらい灰色に染まるのだ。それがまた、たまらなく寂しい気持ちにさせる。夏の今から、冬のことを考えるなんてナンセンスだ。だけど、考えざるを得なかった。俺の心は冬も同然だった。

 あれからそいつは、クラスの中心的存在までのし上がっていった。もともと気さくなタイプであることは、俺が一番知っている。教室で目が合えば、普通に会話もする。だけど、それだけだった。俺はどんどん教室に行く頻度を落としていたし、クラスメイトもそのことに関して、別段気にしなくなっていた。俺もそっちのほうが、気が楽だった。気が向けば行くし、向かなければ海でも眺める。そんな毎日が始まっていた。

 サボり始めてまもなくは、密かに私服をカバンの中に忍ばせて、公衆トイレで着替えていた。補導員と出くわす度に、「今日は休みなんです」「いま旅行に来てて」言い訳で夏休み直前まで乗り切った。夏休みに入ると、俺は最初から私服で出かけるようになった。見送る母さんの顔は、テニス部の道具を使わなくなった時のように悲しげだったが、特に注意はされていない。いつの間にか、周りの大人たちも諦めるようになっていた。俺がよく居座っている海水浴場の近くには、駐在所がある。そこの駐在さんは、毎日お昼になると、俺の様子をちらっと見て帰る。微妙な心遣いだ。

 行き所を失くした俺の心を、季節は置いていった。肌寒くなっても、俺は海に行くことをやめなかった。朝遅く起きて、登下校が終わった時間を見計らって家を出ていく。そこからぶらぶらと散歩して、海を見ながら母さんの作ってくれた弁当を食べる。本当は、教室で給食を食べてほしいところだろうが、当分そんな気にはなれない。

 五時前には、もう日が沈むような時期だ。俺は、ピーコートの襟を立てて、早々と沈んでいく夕日を眺めた。風も強くて、吐く息も白い。天気の悪い日もなるべく外に出た。

 日が沈めば、夜が迫ってくるのはあっという間だ。ベンチから腰を上げて、海に背を向ける。ちょっとした山道を抜ければ、いつもの温泉街に戻ってくる。左に行けば家がある市街地へ、右に行けば温泉街が続く。

 今すぐにあったかい場所に行きたい。頭はそう訴えていたが、体は何故か、右へと足を向けていた。観光客用の駐車場。その先には、この町の観光案内所がある。今日は既に店じまいしていた。道を挟んで向こう側には、ほぼ廃墟の薄気味悪い建物がある。のちに、俺はその建物を会館と呼び、拠点にすることとなる。

廃墟の中から、じーさんが出てきた。暗くて、服装は良く分からない。ただ、白髪が多い髪だけが、街灯のオレンジ色を受けて、キラキラと光っていた。側溝から湧き上がる湯煙のように、じーさんが吐く息も上へと舞い上がっている。

「おうい!」

道路越しに話しかけられた。まさか、俺に話しかけられているとは思うまい。無視して歩き続けると、道路を横断してまでこちら側に来た。それも、きちんと右見て左見て、右を見た。今どきそんなヤツ、小学生でもお目に掛かれない。

「お前だよ。わしが話しかけてんのは」

 向き合ってみて分かること。かなり背の高いじーさんだった。俺もクラスで背が高いほうだが、やっぱり大人には敵わない。顔に刻まれた皺の割に、背筋はきちんと伸びている。紺色の作務衣に、ジーパンというラフな格好だ。ただ、そのきびきびした動きから、ただ者ではないことが伝わってくる。……少しだけ、あいつと同じ空気を感じた。その時は、何故だか分からなかった。じーさんは俺を失礼なほどしげしげと眺めて、にやりと笑った。

「おお、やっぱり人違いじゃなかった。ここの有名人に会えるなんてな」

「……じーさん誰だよ」

 駐車場には、公衆トイレも備え付けられている。その目の前には、謎のモニュメントとイルミネーション。俺が行こうとした数十メートル先では、お土産屋と酒屋が店内を明るく照らしている。「不審者に話しかけられました」、と駆けこもうかと迷う。

ずっとそればかり着ているのか、作務衣はひどく色褪せていた。じーさんの生きざまが感じられる。

「わしはな、あそこで太鼓を教えている者なんだがね」

 じーさんは人差し指で向こう側にある廃墟を示す。本当に廃墟だと思っていたので、利用者がいることに驚いた。

じーさんの言葉には、うちの地方の訛りがない。よそ者だとすぐにわかったが、それにしては、この町によく溶けこんでいる気がした。自分は相手を知らないが、相手は自分を知っている。その状況が気持ち悪い。

「名乗れよ」

 じーさんは名刺を渡してくれた。

「君は、不良で有名な牛沢くんだね。うしざわだから、うーくんだな」

 気安く呼ばれた上に、変なあだ名までつけられた。最悪だ。

「……不良じゃねえし」

 得体の知れないじーさんに、これだけの言葉を返すのが精一杯だった。

「このあと、時間あるだろ? 良かったら太鼓叩いていきなよ」

 ひどい決めつけだ。確かに、取り急ぎやることがあるわけではない。だからと言って、太鼓を叩く時間があるわけでない。

「ケーサツ呼ぶよ?」

 俺の安っぽい脅迫には、乗ってくれなかった。さあさあ、と強引に腕を掴んで、廃墟に入っていく。中には、すでに太鼓が置かれていた。イメージするよりも、結構大きい。ゲームの筐体とは大違いだった。

 つやつやと光る茶色いボディに、使用感がある白い皮が張られている。バチにはもちろん、赤や青の色はついていなくて、持ちにくそうな木製のものだった。

「太鼓に、興味ない」

「まあまあそう言わず。太鼓はね、上手い下手が伝わりやすい楽器だ。だけど、それ以上にもっと伝わりやすいものがある。叩いてみ」

 じーさんは俺にバチを差し出した。白い木のバチ。むしゃくしゃした気持ちを乗せて、右手を振りかぶる。思いっきり太鼓に打ち付けた。

 トン

 すかした音がした。中身のない、カスカスな音。まじか。こんなに音は出ないのか。

 反動もすごい。全然響かないし、硬い。

 自分で出した音に呆然とする俺を見て、じーさんはにやにやと笑った。お前の音は、そんなもんなのかと。顔にそう書いてある。

 じーさんはそっと優しく叩いた。

 ドンッ

 柔らかく叩いていたはずなのに。芯の通った、大きな音が響いた。

「伝わるのは、気持ちだ。気持ちが顕著に表れる。それが太鼓の音色だ。どうだ? おもしろいだろ?」

「……」

「学校で勉強をするのが嫌になったんか、クラスメイトと気まずくなったんかしらんが、時間があるなら太鼓を叩くといい。ストレス発散になるし、一筋縄でいかないところも面白い。生き方や考え方も、太鼓から教わるものが多い。人から教わるのが苦手なら、太鼓から教わるといい。何より、君はその情熱がある」

「そんなの、わかんねえだろ」

「いいや分かるな。この歳まで生きるとな、目を見るだけで、そいつの生き方が分かる。それは姿勢にもでるし、歩き方にもでる。それがそのまま生き様となる」

「何言ってんのかさっぱりわかんねーよ」

「やってみればいい。君は越えたいものがあるんじゃろ?」

 俺の心を見透かしたように、じーさんは笑った。

「わしのチームに入らんか? 月謝は取るけどな」

 

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