第2話御前にも、近うさぶらふ人びとはかなき物語するを

(原文)

御前にも、近うさぶらふ人びとはかなき物語するを聞きこしめしつつ、悩ましうおはしますべかめるを、さりげなくもて隠させたまへる御有様などの、いとさらなることなれど、憂き世の慰めには、かかる御前をこそ、尋ね参るべかりけれと、現し心をばひき違へ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。


※御前:中宮彰子。左大臣藤原道長の長女として、永延2年(988)出生。長保元年(999)、12歳で一条天皇に入内。同月女御となり、長保2年(1000)2月に中宮となる。この年(寛弘5年:1008)秋、21歳で出産のため、父道長邸に里下がりをしていた。

※近うさぶらふ人びと:中宮付きの女房たち。

※現し心:日常に抱いている思い。


(舞夢訳)

中宮様は、お付きの女房達が、たわいのない話をするのをお聞きになられ、ご出産も間近で、さぞかしお苦しいはずなのに、それをさりげなく隠されておられます。

その御様子を拝見していると、今さら言うことではないけれど、この辛いことばかりの現世では、このような素晴らしい御方を探してでも、お仕えするべきと思う。

この私が、日頃の辛い思いから引き離されてしまい、例外なく全てを忘れてしまうのだから。

そのことも、自分自身として、実に不思議に思う。



紫式部は、「秋のけはひ入りたつままに」で、まず土御門邸の秋の風趣を賞賛し、次に、お仕えする中宮彰子を褒めたたえる。

「御出産間近で、お体もお辛いのに」

「女房達のたわいのない話を、いつもとお変わりなくお聞きになられ」

「それだけ、気配りのできる中宮様」

「この私が、いつもの鬱々とした気持ちを忘れてしまうほどの、素晴らしさ」

「それも、自分自身としては、不思議に思うけれど」


おそらく、こんな文意になると思う。

同じ屋敷で、誰に見られるのかわからない日記。

下手なことを書けば、狭い貴族社会、特に底意地の悪い女社会では生きていけない。

ただ、「近うさぶらふ人びとはかなき物語する」に、紫式部独特の皮肉が混じる。

しかし、こうして紫式部日記が残っている以上、同僚の女房達の「許容範囲」だったようだ。








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