第5話渡殿の戸口の局に見出だせば、

(原文)

渡殿の戸口の局に見出だせば、ほのうち霧りたる朝の露もまだ落ちぬに、殿歩かせたまひて、御隨身召して、遣水払はせたまふ。

橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせたまひて、几帳の上よりさし覗かせたまへる御さまの、いと恥づかしげなるに、我が朝顏の思ひ知らるれば、

 「これ、遅くては悪ろからむ」

とのたまはするにことつけて、硯のもとに寄りぬ。


  女郎花 盛りの色を見るからに 露の分きける 身こそ知らるれ


 「あな、疾」

と、ほほ笑みて、硯召し出づ。


  白露は 分きても置かじ 女郎花 心からにや 色の染むらむ


※渡殿の戸口の局:紫式部が土御門殿において与えられた控室。寝殿から東の対を結ぶ渡殿の東端。東の戸口にあたる一間と推定されている。

※殿:左大臣藤原道長。当時43歳。

※随身;勅命を受け、大臣や近衛の将官に特別に与えられた武官。外出時には剣を帯び、弓矢を持ち随行した。尚、摂政・関白には10人。道長にも定めに応じた人数が与えられていた。尚、道長はここでは私的に従者として使っている。

※遣水払はせたまふ:遣水に溜まった落ち葉などを取り除かせ、水の流れをよくする。

※女郎花:秋の七草の一つ。枝先に黄色い小さな花をつける。美女に見立てて、和歌によく詠まれる。


(舞夢訳)

渡殿の戸口にある部屋から外を眺めていると、ほんのりと薄い霧がかかった朝方の、まだ草木の露も落ちない時間と言うのに、殿はお庭を歩かれて、随身をお召しになり、遣水を整えておられます。

そして、橋廊の南側に咲いていて、今が盛りの女郎花を一枝折り取らせて、私の几帳の上に差し出してお見せになるのです。

その殿のお姿は、素晴らしく立派で、見ている私が恥ずかしくなるほどなのです。

それに対して、私の朝の寝起き顔は、実に見苦しいと自覚するので

「さて、この女郎花への歌は、遅くなってはいけませんよ」と、殿が言われるのにかこつけて、奥の硯の所に身を寄せました。


朝露の恵みを受けた女郎花が、今が盛りと美しく色づいております。

これを見てしまうと、露の恵みを受けられず、美しくなれない我が身が恥ずかしく思われるのです。


殿は

「おや、何と早いね」

と微笑まれ、硯をお取り寄せになられました。


白露は、相手を選んで降りたりはいたしません。

女郎花は、自らの心がけで、このように美しくあると思うのです。

(心の持ち方次第で、貴方も美しくなりますよ)



紫式部日記に残る、藤原道長と紫式部の歌のやり取りである。

この歌のやり取りの時点の紫式部は、有能さは知られていたけれど、まだ出仕したばかりの、新米の女房。

道長としては、有能との評判が本当かどうか、紫式部の歌の感性と能力を試したのかもしれない。

その結果として、、なので、期待に沿う感性と能力だったと思われる。


尚、この応答の「露」「白露」に、道長と紫式部の「関係の有無、期待」を指摘する研究者もいるけれど、読者それぞれの想像に委ねたい。

私としては、中宮彰子のご出産を前に、不遜で野暮の極みのような気がしてならないけれど。






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