第4話観音院の僧正、東の対より、二十人の伴僧を率ゐて、

(原文)

観音院の僧正、東の対より、二十人の伴僧を率ゐて、御加持参りたまふ足音、渡殿の橋のとどろとどろと踏み鳴らさるるさへぞ、ことごとのけはひには似ぬ。

法住寺の座主は馬場の御殿、浄土寺の僧都は文殿などに、うち連れたる浄衣姿にて、ゆゑゆゑしき唐橋どもを渡りつつ、木の間をわけて帰り入るほども、遥かに見やらるる心地してあはれなり。

斎祇阿闍梨も、大威徳を敬ひて、腰をかがめたり。

人びと参りつれば、夜も明けぬ。


※観音院の僧正:観音院は山城国(現京都府)岩倉にあった寺。僧正は朝廷が任じた僧尼管理の最高位。尚、この時は「権」僧正(僧正に次ぐ地位)が不動明王を担当していた。

※東の対:寝殿造りは正殿の東西および北に渡殿(渡り廊下)でつながった別棟の建物があり、これは東の建物。

※とどろとどろ;渡り廊下を、どしどしと響かせて歩く音の様子。

※法住寺の座主:「法性寺」説有り。(書写誤りの可能性)藤原忠平が建立した。

創建後は藤原家の氏寺として栄え、藤原忠通(法性寺入道)の時には、広大な寺域に大伽藍を構えたが、以後の兵火により、堂宇は悉く焼失してしまった。

「座主」は寺務を統括する首位の僧官。

※馬場の御殿:馬場に面した建物で、僧侶の休憩所。

※文殿:書物の収納庫。ここも僧侶の休憩所とされた。

※浄土寺:京都府京都市左京区銀閣寺町にあった天台宗の門跡寺院。室町時代に銀閣寺建立時に北築山町に移転させられ、その後廃絶。

※僧都:僧正に次ぐ僧位。

※唐橋:欄干がついた反りの強い唐風の橋。

※斎祇阿闍梨:阿闍梨は律師に次ぐ僧衣。

※大威徳:五檀の西檀の大威徳明王。

※人々:下級女官。


(舞夢訳)

観音院の僧正が、東の対殿から二十人の供僧を引き連れて、御加持のために寝殿に渡って来る足音、渡殿の反り橋を、どしどしと踏み鳴らす足音でさえ、他の日常の行事とは全く異なる気配を帯びている。

また、修法を終えた法性寺の座主は馬場殿へ、浄土寺の僧都は文殿へと、お揃いの浄衣姿で立派な唐橋を次々に渡り、庭の木々の間に消えて行く。

それを見ている間も、お姿は闇に隠れて見えないはずなのに、いつまでもお見送りをしたい気持ちとなり、胸がいっぱいになる。

斎祇阿闍梨様も、大威徳明王様を、敬いになられ、腰をかがめて拝礼をなさっておられる。

やがて、女官たちが出仕をしてくると、夜も明けた。


紫式部が見た限りの、中宮彰子出産時の後夜の修法の記述である。

当時の最高実力者藤原道長が、その権威を見せつけるがごとくに、加持祈祷も念入りに準備したのだろう。

記す書面はないけれど、かなりのお布施が、僧侶たちには、与えられたと思う。

また、召集された僧侶たちも、道長の威光と権力には逆らえない。


現代とは全く異なる、平安時代の天皇家のご出産時の状況報告としても、高い価値がある。









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