『店員さん』と『常連さん』から始まる、キミとの日常。

一葉司

プロローグ

プロローグ

 三月。桜が満開になるにはまだ少し早い頃。

 高校一年生を終えたばかりの俺――日乃桐真ひのとうまは、喫茶店にいた。――『お客さん』としてではなく、『店員』として。


「桐真。これを奥のお客様に」


 俺の名前を呼び、淹れたばかりのホットコーヒーを置いたのは、この喫茶店『クローバー』の店主であり伯父でもある片瀬尚紀かたせなおき。姓が違うのは、母の兄だからだ。


 その『クローバー』で、俺はバイト……というか手伝いをしている。始めたのはつい昨日からで、まだまだ慣れないことだらけだ。

 そんな状態でも過度に緊張したりすることがないのは、事情を知る常連さんが優しくしてくれるからということと、お客さんがそれほど多くないからだ。

 世間の学生は俺も含めて春休みに入ったばかりだろう。しかし、若者に媚びたSNS 映えを狙った商品を出しているわけでもないこの喫茶店は、いつもの平日と変わらないらしい。


 ――――そう、“春休み”だ。

 四月を迎えれば、俺は高校二年生になる。

 正直、「進級」と言っていいのか、少し微妙なところではある。

 べつに成績がギリギリだったわけでも、補習を受けまくったわけでも、もちろん学校側に泣きついたわけでもない。

 俺は一年生まで在籍していた高校から転校して、二年からは違う学校に通うことになっている。

 その理由も、特別ということはない。母親の転勤がきっかけという、ただの家庭の事情。ありふれた理由だ。

 それでも俺がこの場にいるのは自分自身で選んだ結果だ。

 転勤の話が出た時から、俺は一人暮らしをすることで前と同じ高校に通おうと考えた。しかし、一人にするのは心配だという理由から母に反対された。

 長い話し合いの末、伯父が近くに住むこの地域で一人暮らしをするという結論を勝ち取ることが出来た。


 話は戻り、俺が伯父の喫茶店で働いている理由だが、まだ右も左もわからない土地で新学期まで何もせずに過ごすよりも、何かしていた方がいいだろうということを伯父と話し、ここを手伝うことになったのだ。

 手伝った分はちゃんと給金も出されるし、伯父とはそれなりに気安い仲なので、俺はこの結果に不満は全くなかった。


 頼まれたコーヒーをお客さんへ届け終えた俺は、店内の窓から見える桜を眺めて思いに耽っていると、カランコロンと心地よいドアベルの音が俺の意識を引き戻す。

 ハッとした俺が入り口を見ると、自分と年の近そうな女の子が立っていた。

 ――俺は、その女の子に思わず目を奪われる。

 胡桃色の髪を肩まで伸ばし、白のワンピースに薄手の水色のカーディガンを羽織っている。

 特徴があるとすれば、何と言ってもその顔立ちだ。

 肌は透き通るように白く、瞳は大きくパッチリとして、鼻や唇も含めたパーツのそれぞれが完璧といえる配置をしている。

 ――しかし、俺が目を奪われた一番の理由は、彼女の纏う雰囲気だった。

 どこか儚げで、やわらかい。この喫茶店という空間との親和性が高い。

 むしろ喫茶店の空気の方が彼女に合わせているようにも感じられる。


 動けなくなっていたのはほんの数秒。けれど、接客をしなければならない店員の立場としてはよろしくない。

 ……仕事をしろよ、俺。


「いらっしゃいませ。一名様でしょうか?」


 接客を始めた俺に対し、お客さんである女の子は目を見開いたまま固まっていた。

 何かおかしなところがあったかと自分の行動を振り返るが、対応が少し遅れたこと以外は特に間違いは無かったと思う。

 そもそも出迎えにそれほど決まり事があるわけでもなく、今までの人生で入ったことのある飲食店の対応と比べても大きく違いはないはずだ。


「……あの、お客様?」


 それでも何か問題点があったのかもしれないと思った俺は、恐る恐る声をかけてみる。

 すると、お客さんは身体をビクッとさせ、瞬きを数回。


「す、すみません……。一人、です……」

「はい。お好きな席へどうぞ」


 お客さんは小さく会釈をし、慣れた足取りで窓際の席へ。

 座った席を確認してから、俺はおしぼりとお冷やを持ってその席へ向かう。


「こちら、おしぼりとお冷やになります」


 お客さんをジロジロと見るつもりなんて、俺には全く無かった。

 しかし、俺がテーブルに近づき始めてから明らかにお客さんが肩を窄め始めたのだ。俺がお客さんの様子がおかしいと認識するのには十分だった。

 入店した時には喫茶店の雰囲気が似合う人だと思ったけれど、もしかしたらこういうところは初めてだったのかもしれない。ただ、それにしては席を決めるまでがスムーズだったとは思う。

 店内の席は大半が空いていて、他のお客さんと隣り合わない席を選ぶにしても選択肢はたくさんあったのに、このお客さんに迷った様子が無かった。状況のちぐはぐさに違和感を持たずにはいられない。

 ……まあ、気にしたところで仕方ないけど。


「そちらにメニューがございますので、ご注文がお決まりになりましたらお声がけください」

「あ、あの……」


 一礼して下がろうとする暇もなく、お客さんの声が俺を引き留めた。一番近くにいた俺でさえ聞き間違えかと思ってしまうほどに、か細いものだった。


「……注文、お願いしても……いいですか?」

「はい、もちろんです」


 お客さんの言葉はたどたどしかったけれど、おかしなことを言っているわけでもない。もしかしたら、元々内気な性格なのかもしれない。

 それなら様子がおかしいと思ってしまったことは失礼だった、と俺は内心で反省する。


 注文を取るため、俺はメモを取り出す。


「お伺いします」

「……チーズケーキを、ブレンドのセットで……お願いします」


 今度は聞き取れる声量でお客さんから注文内容を伝えられる。

 ただ一つ気になったのは、メニュー表を全く見ることなく注文をしたという点だ。

 そんなことを初めて来る店で出来るだろうか? 選択肢がほとんどないならわからなくもないけれど、この喫茶店はコーヒー一つをとっても種類が多い。

 それが出来るということは、この人は『常連さん』に分類されるような人なのかもしれない。

 そうなると、店に入ってすぐに固まっていたのもわかる気がする。

 いつも来る店にいきなり知らない店員がいたら驚きもするだろう。


「ブレンドはアイスとホット、どちらになさいますか?」

「えっと……ホットを……」

「畏まりました。少々お待ちください」


 一礼する俺を引き留める声は、今度は無かった。


   *


 カウンターへ戻った俺は、注文内容を伯父に伝える。


「チーズケーキとブレンドのセット、ブレンドはホットです」

「わかった。ブレンドとケーキは一緒でいいのか?」

「……あ」


 伯父の一言でさっそくミスをしたことを悟った俺は、顔をしかめる。

 まだ二日目ではあるけれど、俺は「まだミスをしてもいい」と思っていなかった。

 手伝いとはいえ、働くからには責任が伴うと思っているし、学生のミスだからって何でも許される世の中でもないと理解しているつもりだった。

 今回のミスは責任を取らないといけないような大事ではないにしろ、「仕方ない」と流せるほど自分に甘くは出来なかった。


「ごめんなさい。聞き直してきます」

「ん。わかった」


   *


 またテーブルへ近づいてくる俺を、お客さんが不思議そうに見ている。

 今さっき戻っていったばかりなのだから、当然の反応だ。何か不都合が起きたと思われてもおかしくない。その証拠に、お客さんの顔に不安の色が混じっている。

 そのことに、俺は申し訳ない気持ちがさらに増す。


「すみません。ブレンドをお持ちするタイミングをお聞きし忘れてしまいまして……」

「あ、はい……」

「本当にすみません……。ケーキとご一緒か、後のどちらになさいますか?」

「一緒で、お願いします」

「畏まりました。すぐお持ちしますので。すみません……」


 今度は謝罪を含めた礼をする俺を、お客さんがまた引き留めた。


「あ、あの……!」


 ミスをしている分、何かしてしまっただろうかという不安が真っ先に襲ってくる。


「すみません、どうかなさいましたか……?」


 おずおずと尋ねると、お客さんが堪えきれないといった様子でクスクスと笑い出した。一体何が彼女のツボにはまったのかがわからず、俺は首を傾げる。

 意図した笑いではなかったのか、お客さんはハッとしてすぐに申し訳なさそうに縮こまってしまった。


「ご、ごめんなさい。笑ったりして……」

「あ、いや、全然気にしてないので」


 不快に感じたわけではないという意味では全く気にならなかった。


「あの、店員さんが何度も謝っているのが可笑しくなってしまって……」

「……すみません。……あ」


 反射的にまた謝ってしまった。それが彼女をまたクスリとさせる。


「本当に気にしなくて大丈夫ですから、謝らないでください」

「すみま……じゃなくて、ありがとうございます」

「はい」


 さっきまでの笑われていた時とは違う笑顔を向けられ、俺の心臓が跳ね上がったような気がした。


 ――これが、『店員さん』である俺と『常連さん』である彼女との出会いだった。 

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