第36話 何もない休日。
土曜日、俺は少し久しぶりに『クローバー』の手伝いでお客さんの前に立っていた。
接客を終えてカウンター付近に戻ってきたタイミングで、小さく欠伸。
今日は開店から仕事をしていて、ついさっき昼食を終えたばかりだ。前日からしっかり睡眠を取っていても、食後はどうしても眠気が強くなってしまう。
しかし、これでミスが出たりしたら笑えない。
俺は眠気を払うように頭を振り、腕時計を見る。もうすぐ午後二時を回ろうとしていた。
もうそんな時間か。やっぱり気合いを入れ直さないといけない。
追加で自分の太ももを抓って、なんとか眠気からの脱却を図る。
そうして気を持ち直したタイミングで、ドアベルが控えめに鳴り響いた。
「――こんにちは」
笑顔の
「こんにちは。お待ちしてました」
俺も挨拶を返し、店員として姫川さんをいつもの席へ案内する。
今日、この時間に姫川さんが来店することを俺は予め知っていた。
というのも、今朝スマホに姫川さんからメッセージが届いていたからだ。
連絡先を交換してから、姫川さんとは頻繁にメッセージのやりとりをするようになった。
そのほとんどが他愛のないことばかりではあったものの、姫川さんとの距離感が今まで以上に近づいたように俺は感じている。
いつものように注文を受け、用意が終わったそれらを姫川さんのテーブルへ運ぶ。
そんな中、姫川さんが微笑みながら俺のことを見ていた。
もしかして、さっきまでの眠気が顔に出てしまっているのだろうか。
少し恥ずかしさを感じながら、俺は姫川さんに尋ねる。
「あの、俺どこか変ですか?」
「え? そんなことないですよ?」
「なんか、姫川さんが可笑しそうに俺を見てる気がして……」
「ち、違います!」
姫川さんが慌てたように両手でそれを否定した。
そしてすぐ、恥ずかしそうに俯きがちになる。
「……えっと、エプロンを着けた
「あ、なるほど」
今の俺の服装が姫川さんと初めて出会った時の格好だ。
やっぱり姫川さんからしたら、この姿の方が見慣れているということなのだろう。
格好で言えば、俺も姫川さんに思うところがあった。
「その服、先週買ったのですよね?」
初めて一緒に出かけた時に姫川さんが買ったワンピースだ。
平日は基本的に制服だし、休日じゃないと着る機会はあまりないだろう。新しく買ったものをすぐ使いたい気持ちはすごく共感できる。
「は、はい!」
「やっぱり似合ってます」
「ありがとうございます……」
手にするカップの中へ呟いたお礼を、姫川さんはそれすら飲み込むようにコーヒーを口へ運んだ。
そして、カップをテーブルへ戻した姫川さんは「あの」と改めて口を開いた。
「明日はお店のお手伝いはお休みなんですよね?」
「その予定です」
「日乃さん、お休みの日って何してるんですか?」
「そんなに特別なことは……。人と約束があれば出かけますけど、そうじゃなかったら家で過ごしますね。大抵、漫画を読んだりゲームしたり」
「なるほど……」
俺の回答は大したものでなかったにも関わらず、姫川さんは熱心に頷いていた。
一体どういう意図があっての質問だったのかわからないまま、俺は新しく来店したお客さんの接客に向かった。
*
翌日、久しぶりに何の予定もない日曜日ということもあって起床したのは九時過ぎだった。
寝ぼけ眼のまま、食パンをトースターにセットしてから顔を洗いに洗面所へ。
その後はなんとなく点けたテレビの音を聞きながらトーストをチビチビと囓る。
食べ終えたら着替える流れで洗濯を始め、洗濯機を回している間に部屋の掃除を行う。それらが一段落する頃には十一時になっていた。
本当になんてことない休日だ。
この後は適当に昼を食べ、やっておく学校の課題も無いためダラダラと過ごして一日を終えるだけだろう。
休憩がてらにとりあえず点けたテレビを眺めていると、ドアフォンから呼び出し音が鳴り響いた。音の種類からエントランスのオートロックからだとすぐわかる。
直近で通販を頼んだ記憶はない。伯父さんやくみさんならエントランスでなく玄関前のチャイムを使うはずだ。……いや、くみさんなら合鍵でいきなり入ってくることもありえる。
そんなわけで、まったく来客に身に覚えがない。
こんな日曜日に営業だろうか。はたまた、よくわからない教えの勧誘だったら面倒だ。
いろいろ考えているうちにそこそこの時間が経過したものの、未だに呼び出し音は続いている。さすがにここまで長いと、逆に気になってきた。
俺は座布団から立ち上がり、ドアフォンの方へ。
――画面に映っていたのは姫川さんだった。
「え!?」
全くの予想外の訪問者に、俺の頭はこんがらがる。
姫川さんは一体どんな用事なのか。そもそも俺は姫川さんに部屋の番号を教えた記憶はないはず……。次々浮かぶ疑問に、応答ボタンを押すという優先すべき行為が出てこない。
しかし、画面の向こうの姫川さんの手がこちらに伸び始めたのを見た瞬間、それが呼び出しの停止ボタンを押そうとしているとすぐに気付いた。
俺は慌てて応答ボタンを叩く。
エントランスの方でも呼び出し音が止まり、通話が繋がったとわかったのだろう。姫川さんが驚いたように肩をビクッとさせた。
そして、恐る恐るといった様子で声を発した。
『あ、あの、日乃さんのお部屋でしょうか……?』
よくよく考えると、こっちからは姫川さんの姿がカメラで確認できるが向こうは俺のことは見えていないのだ。そんな当たり前なことも頭から抜け落ちていた。
「そ、そうです! 出るのが遅くなってしまってすいません!」
忙しかったとかでなく本当にただドアホンに向かうのを渋っていただけに、罪悪感はものすごい。
ただ、やっぱり同じくらい疑問の方も大きかった。
「えっと、どうしたんですか?」
俺の質問に、姫川さんは「そ、その……えっと……」とモジモジしてる。
何か言いづらいことなのだろうか?
それなら中に入ってもらって、直接話した方がいいかもしれない。
そう考えた俺が解錠ボタンを押そうとすると――、
『――遊びに来ました!』
ものすごく一般的な訪問理由が、姫川さんから告げられたのだった。
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