第35話 ご機嫌斜めの姫川さん
――あれから、五分くらい経っただろうか。
端的に言おう――ものすごく気まずい!
今までも姫川さんと二人きりになることはあったけれど、こんなにも緊張感があるのは初めてだ。おかげで紅茶を飲むペースがどんどん早くなっている。
ティーカップのサイズを考えればすぐに中身がなくなると気付くだろうに、余裕の無い人間というのはこうも頭が回らないものか。すでに空にしたカップを二度も口に付けてからそのことに気が付いた。
改めて自分がこの緊張感に呑まれていると自覚し、内心で嘆息しつつソーサーにゆっくりとカップを戻す。
――取っ手から指を放した途端、そこへ紅茶が注がれる。
ポットを持っていたのはもちろん、姫川さんだった。
「ありがとうございます」
慌ててお礼を言う俺に、姫川さんは「……いえ」と短く答える。
こういう気遣いをしてもらえるということは、嫌われたとかそういうことではないのだろうとは思う。姫川さんの心境が全然読み取れない……。
「――
自分のカップにも紅茶を注ぎ終えた姫川さんが、ポットを置いて名前を呼んだ。
「は、はい!」
自然と背筋が伸びる。両手は膝の上に置き、姿勢だけ見れば面接を受ける態勢のようだろう。
恐る恐る姫川さんへ顔を向けると、姫川さんがジト目を俺に向けていた。
……一体、何を言われるんだろうか。
「……お母さんと、すごく仲が良いんですね?」
「――え?」
さっきのやりとりでそう思われた、ということだろう。
とはいえ、そういうわけではないのだからしっかり否定しておくに越したことはない。
「そんなことないですよ。そう見えたなら
俺が苦笑いで否定すると、姫川さんはさらにムッとする。
「仲良くないのに、名前で呼び合うんですか?」
「そ、それもきっと気を遣って……」
「連絡先まで交換してるのに?」
「……す、すいません」
姫川さんからの怒濤の責めに、俺は謝るしかなくなってしまった。
とにかく、圧がすごい……。
「うちに入ってからお母さんとばっかり話して……。わたしだっていっぱいお話したいのに……」
そう話しながら、姫川さんが段々とわなわなしてきた。
……あれ?
話を聞いてみると、姫川さんは怒っているのとは違うように感じた。
もしかして姫川さん、拗ねてる?
まさかとは思いつつも、そうとしか考えられなくなっていた。
しかし、それを本人に指摘するわけにもいかない。
俺の経験上、こういう時はしっかりと話をして納得してもらうのが一番だ。
「えっと……誰でもいいわけではなくて、姫川さんのお母さんだから俺も連絡先を交換したんですよ?」
そっぽを向いていた姫川さんがチラッとこっちを見た。しかし、すぐに視線を戻す。
まだ始まったばっかりだ、と俺は慌てない。
「由美さんと交換していなかったら今日姫川さんに会うことも出来なかったですし……」
「うっ……」
「それに“仲”で言ったら、姫川さんとの方が絶対良いと思います」
「うぅ……」
そろそろ姫川さんも罪悪感を抑えられなくなってきた様子。
正直、口にしてる俺も恥ずかしさでどうにかなりそうだ。
でもここまでくれば、あとひと押し。
「今日お邪魔させてもらったのも、俺が姫川さんと話がしたかったからなんですよ?」
「――っ」
肩をビクッとさせた姫川さんは、やがて大きく息を吐き出した。
途端に、雰囲気も一気に軽くなる。
「……ごめんなさい」
「謝らないでください。自分の親と急に連絡先を交換されてたら戸惑いもしますよ」
俺はようやく得られた解放感に安堵しつつ、姫川さんのフォローをする。
すると、姫川さんは首を振った。
「……違うんです。日乃さんは悪くないのはわかってるつもりだったんですけど、わたしが日乃さんに会えなくて寂しいなって思ってたのに、お母さんが日乃さんと仲良くなってて。……そのことが、なんだか……モヤモヤして……」
改めて姫川さんの口から思ってたことを聞かされて、収まろうとしていた気恥ずかしさがぶり返してきた。
それに呑まれまいと、俺は由美さんと連絡先を交換してから決めていたことを提案する。
「あの、姫川さんが嫌でなければ、IDの交換しませんか?」
「……いいんですか?」
姫川さんはまだ罪悪感から抜け出せていないようだった。
「俺がそうしたいんです。お願いします」
「……日乃さん、やっぱりズルい人だと思います」
姫川さんの小さなつぶやきも、今日はよく聞こえる。
何も言い返せずにいると、姫川さんは「ちょっとだけ待っててもらえますか?」と俺に尋ねて席を立ち、リビングへ戻ってきたその手にはスマホが握られていた。
そして、俺と姫川さんはすぐにIDの交換を始める。
「こ、こうですよね?」
「合ってますよ」
QRコードを表示させるのに不慣れな姫川さんを微笑ましく感じつつ、無事に完了した。交換し終えたばかりの画面を眺めていた姫川さんが、スマホを嬉しそうに両手で胸に抱る。
――その姿が眩しく見えたのは、きっと西日のせいだ。
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