第9話『常連さん』は払いたい。

「お待たせしました」


 席を立ってから約五分後、姫川ひめかわさんが戻ってきた。


「お、おかえりなさい……」

「ひ、日乃ひのさん? なんだか顔色が良くないですけど……」

「……いえ、大丈夫です。本当に……」


 返す俺に、彼女はそれ以上追求はしなかった。


 席へ着くなり、姫川さんが申し訳なさそうな顔をする。


「ごめんなさい。もう帰らないといけなくなってしまって……」


 時間はまだ昼過ぎではあったけれど、本来の下校時間を考えればだいぶ遅くなっている。彼女の事情を考えても、さっきの電話は心配した家族からのものだったのかもしれない。


「大丈夫ですよ。明日もありますから」


 そう答えると、姫川さんがキョトンとした顔をする。

 そして、すぐに嬉しそうに微笑んだ。


「そうですよね、明日もあるんですよね」


 無邪気な子供のような反応に、俺もつられて笑顔になる。


 姫川さんの言葉使いが丁寧なこともあって同い年の女の子と思えないことが多々あったけれど、度々こういう一面を見せられると年下の女の子のようにも感じられる。

 

「それじゃあ、今日は帰りましょうか」


 俺の提案に彼女が「はい」と肯き、二人で席を立つ。


 レジへ向かうと、伯父さんが先に待っていた。

 俺が伝票を渡そうとすると、


「待ってください!」


 姫川さんが声でそれを制止した。


「どうかしました?」


 忘れ物でもしたのかと思い、さっきまで座っていた席を見たが、彼女の目は俺の手元に向けられていた。


「今日はわたしに付き合ってもらったので、ここはわたしに出させてください」


 姫川さんの申し出に、俺はすぐに首を振った。


「いやいや、付き合ってもらったのは俺も同じですから」


 本心からそう思っていたし、初めてお茶しに来ていきなり奢られるというのは気が進まなかった。


「でも、日乃さんにはお礼がしたいですし……」

「それなら、もう十分貰いましたから」

「わたし、何かしましたか……?」


 たしかにここまで一緒に来て、一緒にコーヒーを飲んで話をしただけだ。姫川さんに実感が無いのも仕方がないと思う。

 でも、俺にはそれだけで十分だった。


「知り合いもいない学校に来たのに、初日からこうして誰かと話せるようになっただけで俺には十分過ぎるくらいで……」


 普段ならこんなに思ったことを口にするタイプじゃない。それなのに、姫川さんに対しては何故か口に出来てしまう。


「それは私も同じです!だから、わたしの方がもういっぱい貰ってます……」


 お互いに一歩も譲らない展開。

 しゅんとして肩を落とす姫川さんを見て、俺は困り果てていた。

 本当に俺は特別なことをしたつもりなんてないのに、彼女はどうしてもお返しがしたいと言う。もしかしたら「対価を払わないと釣り合いが取れない」なんて風に考えているのかもしれない。

 それなら、何か別のものを提示すれば納得してもらえるのだろうか……?


「――じゃあ、こうしましょう」

「え?」

「これからも俺と仲良くしてください」

「……それだと、結局わたしが何も返せません」

「俺は、姫川さんと“貸し借り”の関係になりたくないんですよ」


「……日乃さん、ずるいです」

「え?」


 俯いた彼女が何か言ったように聞こえたが、わからなかった。

 そして、姫川さんは顔を上げると「わかりました」とようやく納得してくれた。

 そのことに安堵していた俺だったが、大事なことを忘れていた。


「もうよろしいですか、お客様?」

「――――っ!?」


 驚いて振り返ると、伯父さんが呆れた笑みを浮かべていた。

 さすがに身内に聞かれるには恥ずかしい会話をしていたと自覚があり、俺は慌てて伝票を手渡した。

 それは姫川さんも同じだったようで、慌てた様子で頭を下げた。


「す、すみません、マスターさん!」

「いえいえ。そもそも桐真とうまが男らしく『自分が出します』くらいの気概を見せないのが悪いですよ」


 伯父さんの考えが思い浮かばなかったと言えば嘘になる。でも、そういうのは「下心を感じる」と何かのネットニュースだかで見た覚えがあって、即座に却下した。


「だから、俺は――――」

「”貸し借りの関係は嫌だ”だろ? もう聞いたよ」

「早く会計してもらえますか!?」


 抗議する俺の横で、姫川さんはまた俯いている。

 伯父が原因で姫川さんに嫌われるなんて展開、勘弁してくれ……。

 俺が深いため息を吐くと、


「今日のお代はこっちで持つよ」

「「え?」」


 伯父さんの予想外の申し出に、俺と姫川さんの声が揃う。

 さっきまで自分が支払おうとしていたこともあり、やはり姫川さんが遠慮をする。


「そんな、悪いです」

「いやいや、こうして甥っ子と仲良くしてもらっているんですから、伯父としてお礼をさせてください」

「でも……」

「その代わり、これからもうちをご贔屓にお願いしますね」


 さらっとこういうことを言えるのは伯父さんだからなのか、大人の余裕というやつなのかはわからないけれど、感心してしまった。

 大人にここまで言われ、さすがの姫川さんも「……はい」と受け入れるしかなかったようだ。

 こうして会計を終えた俺と姫川さんは、二人で店の外へ出たのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る