第8話『店員さん』と『常連さん』は、お話する。
彼女の様子から、その願いを口にすることにどれだけ勇気を振り絞ったのかがわかる。だからこそ、そんな簡単なことすら高いハードルになってしまっていることが哀しいと思えた。
「俺でよければいつでも――というか、俺からもお願いします。こっちに来てから、話せる相手が親戚しかいないんです」
俺の承諾を聞くと、姫川さんは顔を上げる。その表情は今日一番の笑顔だった。
「あの、それじゃあ、明日もここでお話出来ませんか?」
そんな笑顔で聞かれて断れる人間がいるはずもないし、もとより断るつもりもない。
「大丈夫ですよ。それじゃあ、ホームルームが終わったら今日みたいに姫川さんのところに行けばいいですか?」
俺にとっては何気ない確認のつもりだった。
しかし、姫川さんにとっては違ったようで、
「迎えに来てくれるんですか?」
小首を傾げて瞬きをパチパチと繰り返す。どうやら彼女にそんなつもりはなかったらしい。
「よ、余計なお世話ですよね! すみません……」
また先走ってから回った……。どうして姫川さん相手になるとこうも調子が狂うのか。そんな自分に呆れつつ、慌てて撤回した。
しかし、意外にも姫川さんはそれを気にした様子がない。
「全然そんなことないです! その……そういうの、新鮮で……」
恥ずかしそうに俯いた姫川さんは、耳まで赤くしている。
そんな彼女にどう答えるのが正解かが思いつかず、自分がさっきまでどうやって会話をしていたのかすらわからなくなってしまった。
間を持たせるためにコーヒーを口にするも、良い案が思い浮かんだりしない。
どうしたものかとあちこちに視線を動かすと、窓の外の景色が目に留まった。
「そういえば」
「……はい?」
「姫川さん、いつもこの席を選んでますけど、何か理由があったりするんですか?」
俺の唐突な質問に、彼女は一度店内を見回し、それから窓の外へ目を向ける。
その瞳は、どこか懐かしんでいるような色をしていた。
「初めてこのお店に入ったのも、この席を選んだのも、なんとなくだったんです。でも、何回も来ているうちに、ここから見る景色とお店の雰囲気が好きになって……」
「そう言ってもらえて、伯父さんも嬉しいと思います」
姫川さんの表情や穏やかな雰囲気から、本当に『クローバー』のことを気に入っているのだとわかった。
「日乃さんは、これからもお店のお手伝いをするんですか?」
「しばらくは学校に慣れるのを優先する予定ですけど、落ち着いたらまたやろうとは思ってます」
「そうなんですね! 春休みの間だけなのかと思ったので、嬉しいです」
そんな風に言ってもらえるとは思ってもいなかった俺は、恥ずかしさを紛らわせるように話を変える。
「えっと、姫川さんは放課後にここに来たりするんですか?」
「そうですね、七限目まであるような日は来られなかったりしますけど――」
突然、彼女の言葉に被せるようにスマホのデフォルト着信音が鳴った。
俺のスマホも同じ着信音なこともあり、慌ててポケットを触ったが、すぐに自分のではないとわかる。
「ご、ごめんなさい! わたしのです!」
慌てた姫川さんがブレザーのポケットからスマホを取り出した。
すると、視線がスマホの画面と俺の顔とで行き来している。
「俺のことは気にしなくて大丈夫ですから、出てください」
「ごめんなさい、すぐに戻ります」
姫川さんは急いで席を立ち、店の外へ向かった。
一息吐こうとカップに口をつけると、
「苦っ」
さっきまで何度か口にしていたものと同じはずなのに、急に苦みが口の中を襲ってきた。砂糖もミルクも全部いれたのに、まだ足りなかったらしい。
それよりも、味がわからなくなるほど自分が緊張していたことに気が付き、思わず笑ってしまう。
一度この味を自覚したら、この後の話の途中で飲むのは難しいだろうと考えた俺は、今この時間で飲み干すことにしたのだった。
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