第40話 突然の

「はい、お茶」


 くみさんの前にコップを置き終えた俺の腕を、当人が逃がさないと言わんばかりの力で掴んだ。


「……なに?」


 俺がそう尋ねると、くみさんは言葉ではなく指で用件を伝えようとしてきた。

 指の差す先には姫川ひめかわさんが座っている。

 なんとかリビングにくみさんを呼び戻すことに成功し、こうしてローテーブルを囲むようにして座る形に落ち着いてから、姫川さんはずっと俯いたままだった。

 そんな姫川さんに、くみさんはどう声をかけたらいいのかわからないのだろう。とどのつまり、俺にどうにかしてほしいという話だ。


 正直、俺だってどう声をかけるべきかわからないし、むしろ助けてほしいくらいだ。

 しかし、姫川さんとくみさんは初対面なわけで……。やっぱり、俺がどうにかするべきなのだろう。

 俺は軽く頭を振ってから大きく息を吐いた。


「姫川さん」


 意を決して呼びかけると、姫川さんの肩がビクッと跳ねた。

 そして、俯きがちなまま俺の方をチラリと見る。


「……はい」


 落ち込んだような声ではあったものの、返事があったことにひとまず安心。


「改めて紹介しますね。この人は俺の伯母にあたる人で、片瀬久美子かたせ くみこさんです」


 俺が手で示しながら説明すると、ゆっくりではあるものの姿勢を正し、くみさんに表情が見えるくらいには伏せていた顔を上げてくれた。

 姫川さんは礼儀正しい人だから、こうして形を整えてしまえば無理矢理にでも気を持ち直してくれるのではと期待したのだが、その通りだった。


「はじめまして。いつも桐真とうま君がお世話になってます」


 ようやく状況が好転したことに安堵したのか、くみさんも笑顔を見せる。


「……日乃ひのさんの伯母様ということはマスターさんの?」

「そうそう。あの人の妻です」


 くみさんの素性がハッキリしたからか、姫川さんは慌てた様子で改めて姿勢を正した。


「あ、あああ、あの! わたし、姫川愛葉ひめかわ あいはといいます! 日乃さんだけでなくマスターさんにもいつも良くしてもらっていて!」

「そんなに畏まらないで。そうだ、桐真君みたいに私のことは『くみさん』って呼んでほしいな。その方が親しみやすいでしょう?」

「ええっと……」


 姫川さんが助けを求めるように俺を見る。

 目上の人から言われて断りづらい面と、いきなりそう呼ぶことのハードルの高さに困ってしまったのだろう。

 ただ、くみさんの呼ばれ方へのこだわりはかなり強いものだし、ここは姫川さんに受け入れてもらうことが一番良いような気がする。


「本人もこう言ってますし、あんまり深く考えずに呼んであげてください」

「それじゃあ……せめて『久美子さん』で……」

「うん、それでも全然おっけーよ。私も、愛葉ちゃんって呼んでもいい?」

「も、もちろんです!」

「よかった、よろしくね」


 満足そうに頷いているくみさんに、俺は改めて尋ねる。


「それで、くみさんは俺に何か用事? それとも様子を見に来ただけ?」


 くみさんはすっかり忘れていたらしく「そうだった」と手を叩き、脇に置いてあるバックの中から何やらペラペラとしたものを取り出した。


「これあげようと思って」


 テーブルに置かれたそれを、俺と姫川さんは覗き込むように確認する。

 そこには『ワンドリンクサービス』と大きな文字で印刷されたチケットが二枚あった。


「どうしたのこれ?」

「知り合いがね、今度猫カフェをオープンするの。それで、良かったらってことでこのサービス券を貰ったんだけど……ほら、うちの人は猫アレルギーだから」

「あー、そうだった」


 叔父さんの猫アレルギーは重度ではないものの、猫だらけの空間に長時間滞在することになれば何かしらの症状が出ることは確実だろう。


「そういうわけで、桐真君にあげてを誘ってくれれば無駄にならずに済むな~って考えたのよね」


 くみさんは『誰か』と口にするタイミングでわざとらしく姫川さんへ視線を向けた。

 ……まったく、余計なお世話だ。

 そもそも、姫川さんだって猫が苦手だったらどう――


「……猫カフェ」


 小さくそう呟いた姫川さんは、サービス券を食い入るように見つめていた。

 この様子は、もしかしなくてもそういうことだろう。


「えっとー、姫川さん?」

「――はっ、はい!」


 呼びかけに応えられるくらいには意識を残してくれていたようだ。……ちょっとだけ怪しかったけども。


「良ければどうぞ。どうせだったら由美ゆみさんと二人で――」

「ん゙っん゙っ」


 くみさんの咳払いがかなり大きく、俺の言葉が遮られた。

 お茶でむせたのだろう。


「由美さんと――」

「ん゙っん゙っん゙っ」

「ゆ――」

「ごほっ、げほっ、ん゙ん゙っ」

「…………」


 俺は一度くみさんの方を見て、喉の調子が落ち着いたかの確認をする。

 数秒後、くみさんは再びお茶を啜りはじめた。……ようやく治まったようだ。


「……これは由美さんと」

「――桐真君?」

「さっきから何っ!」


 ここまで来ると、さすがに故意的なものだと確信している。

 どうして俺の邪魔をしようとするのか、わけがわからず少しカチンときた。


「はぁ~」


 間違いなく邪魔をしていたくみさんが悪いはずなのに、何故か大きな溜め息を吐かれた。


「……ちょっと家族会議があります。あっち」


 そう言って、くみさんは親指でキッチンの方へGOサインを出す。

 全く意味がわからないが、そっちへ行けばきっと疑問も解消されるのだろう……。

 俺も溜め息を吐きつつ、立ち上がる。


「……すいません、ちょっと行ってきます」

「えっと……ご、ごゆっくり?」


 一番わけがわかっていないであろう姫川さんに見送られ、突然の“家族会議”へ繰り出していった。

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