第39話 平穏な昼食を

 二人で最寄りのスーパーから帰宅してすぐ、姫川ひめかわさんが台所に食材を並べていく。

 そして早速、フライパンに油を引いて豚肉を焼きはじめた。

 姫川さんが昼食に選んだメニューは焼きそばだ。買い出しに出た時点で空腹だったため、すぐに作れるものをということで選ばれたらしい。

 何か手伝いをと申し出てみたものの、今回はとにかく時短優先で、野菜もすでにカットされたものを買っているということもあり、炒めて味を付けるくらいしか調理手順が無いということで俺は大人しく見ているだけになってしまった。

 慣れた手つきでフライパンを振るう姫川さんの姿に、改めて料理がちゃんと出来る人なのだと感心してしまう。

 一番驚いたのは、味付けだ。定番のソース味ではなく、なんとネギ塩だった。

 カップ焼きそばや飲食店でなら馴染みのある味ではあるが、まさか自宅で作るとは考えたこともなかった。それも出来合いのタレを使うわけではなく、鶏ガラスープの素などの調味料を合わせての味付け。

 俺がその衝撃を受けている間に、焼きそばが完成してしまった。漂うその香りに、また腹の虫が盛り上がってくる。


 皿に盛られてた二人分の焼きそばをテーブルへ運び、姫川さんと並んで座る。

 お互いの「いただきます」の声が揃い、昼食の時間を迎えた。

 姫川さんの作った料理ということと、いとも簡単に完成してしまった塩焼きそばに感動を覚えつつ、一口目を運ぶ。

 ……塩焼きそばだ。

 疑っていたわけではないのだが、口にして改めて感動してしまった。何より、めちゃくちゃ美味しい。

 そこから箸が止まるはずもなく、俺は黙々と焼きそばを頬張っていく。

 気付いた時には、皿から焼きそばが消えていた。

 それでもやってくる満足感に一息吐き、「ごちそうさまでした」と俺は手を合わせる。


「お粗末様でした」


 何気なく返ってきたその声に、俺はハッとなる。

 姫川さんのことを全く考えもせず、完食までしてしまった事実に気が付いたのだ。


「す、すいません! お腹空きすぎてたのと、すごく美味しかったので……」


 謝りつつ姫川さんの皿を確認し、まだ残っている焼きそばが目に入って、さらに申し訳なくなる。


「大丈夫ですよ。日乃ひのさん、すごい集中して食べてたので、気に入ってもらえたんだなってわかりましたから」


 笑顔の姫川さんからそう言われ、食べているところを見られていたことに恥ずかしさを覚える。

 すると、姫川さんが続けて、


「これなら料理に不慣れでも作りやすいかなって思うんですけど、どうですか?」


 と尋ねられた。

 この料理を選んだのは時短のためという話だったが、それとは別に俺でも覚えやすいものをチョイスしてくれたということだったのだろうか。

 姫川さんの調理していた様子を思い出し、本当に炒めるだけで難しい工程が無かったこともあり、抵抗感は無い。

 それに、そこまで俺のことを考えてもらったのだから、頑張らないわけにはいかないだろう。


「もちろん、手順を書いたメモはあとで残しますね」


 アフターケアまでバッチリだ。


「ありがとうございます。次の休みにチャレンジしてみます」

「日乃さんならきっと大丈夫です」


 これで失敗したらどうしようという不安から、俺は苦笑しながら「頑張ります」と答えた。


 それから姫川さんも食べ終わり、俺は洗い物をしようと膝立ちになる。


「片付けますね。姫川さんはゆっくりしててください」


 皿に手を付けながらそう伝えると、姫川さんが


「そんな、わたしも手伝います!」


 と、慌てて立とうとして――


「ひゃっ」


 上手く膝立ちが出来ず、バランスを崩す姫川さん。


「ちょっ」


 それに驚いた俺は、急いで皿から手を放して姫川さん支えようとする。

 ――しかし、思ったより勢いのあった姫川さんに、膝立ちの俺はしっかりと支えきれずそのまま後ろへ倒れ込んでしまった。

 幸い、先に肘を突いたおかげで頭を打つことなく上手く倒れることができた。


「ご、ごめんなさい! 足が痺れてしまって!」


 姫川さんが慌てた声を上げた。

 そういえば、座る時に正座をしていたような気がする。それなら痺れてしまっても仕方が無いように思う。

 俺は、衝撃に備えて瞑っていた目を開く。


「大丈夫で――」


 俺の言葉が最後まで出なかったのは、自分の胸元に乗っかっている姫川さんの顔が目の前にあったからだ。

 ――視線が交わること数秒。

 硬直が先に溶けたのは姫川さんだった。


「す、すすすすぐにどきますから!」


 急いで両手を床に着いて上体を起こす。

 このまま姫川さんがちゃんと起き上がりきれれば、何も無かったように俺も起き上がって、平穏な昼食の時間だったと事が済むだろう。

 だというのに――、


「桐真君、元気してるー?」


 これ以上ないくらい間の悪いタイミングでリビングの扉が軽快に開き、伯母であるくみさんが現れてしまった。

 そんなくみさんの目には姿がすぐに映った。

 まず、俺と目が合い、それから姫川さんとも。そして、目を閉じてから二度ゆっくりと頷く。


 そして、


「ごゆっくりー」


 回れ右して出て行こうとするくみさん。


「ままま、待ってください!!!」


 懇願する姫川さんの叫び声。


「……最悪だ」


 このカオスな状況に、俺は顔を手で覆って現実逃避するしかなかった。

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