第13話 姫川愛葉の学校事情

 腕を組み、悩ましげにしている樋口ひぐち先生。

 それだけ複雑な事情なのだろう。しかし、それではいつまで経っても先へ進まない。

 俺は思い切って、こっちから尋ねてみることにした。


「あの、俺から聞いてもいいですか?」

「……そうね。とりあえずそうしましょうか」

「それじゃあ……姫川ひめかわさんはいつから保健室に?」

「入学当初からね。厳密には、小学校の高学年の時から今と同じような状態だったみたい」

「――――。」


 思った以上の年月に、言葉が出なかった。

 それだけの根深いであろう理由がなんなのか、想像も出来ない。

 恐らくそれは教えてもらえないし、今の俺に聞けるような勇気も無かった。


「その、さっき言ってた『面と向かって話せたことが凄い』って、どういう意味ですか?」

「姫川さんは……簡単に言えば『同級生恐怖症』みたいなものなの」


 たぶん正式な病名などではないのだろう。

 それでも、なんとなくではあったけれど言葉の意味を理解は出来た。


「同級生って言っても、クラスメイトとか同じ学年の子だけじゃなくて先輩でも後輩でも男女関係無しに対象なの」

「それじゃあ、生徒全員がダメってことですか?」

「大まかには、そうね」

「先生とは問題無く話せるんですよね?」

「大人は大丈夫みたい。緊張はするみたいだけど話せないってことはないかな」


 昨日、葉山はやま先生とも自然と接していたし、本当に同年代の人間が対象なのだろう。

 

「具体的に、話せないっていうのはどういう?」

「長時間の会話をすると具合が悪くなるの。頭痛や腹痛、吐き気なんかが主に出てくるみたい」

「そんなに……」

「でもね、これでも改善はされてきたみたいなの。前はそもそも受け答えも難しかったようだし、過呼吸になって病院に運ばれたこともあったみたいだから……」


 俺の姫川さんの印象から、どんどん遠ざかっていく。

 昨日の彼女に体調の悪そうな素振りは見られなかったし、無理をしていたようには見えなかった。

 そもそも、それを上手く隠せるのだったら会話が苦手ということはないように思う。

 ――そうなると、俺の頭には疑問が浮かんだ。


「どうして、昨日俺にプリントを届けさせたんですか? もしものことがあったら……」


 改善されてきたとは言っても、今でも体調が悪くなるならそれは悪手なはずだ。

 たまたま俺と姫川さんが顔見知りだったから問題が無かっただけで、ほとんど奇跡といってもいい偶然だ。

 俺の責めるような口調に、樋口先生は不快感を見せることも咎めることもしなかった。ただ、哀しげな眼をしている。


「彼女、生徒の間で何て呼ばれているかは知ってる?」

「いえ」

「保健室のお姫様、らしいわ」

「……なんですか、それ」


 単純に考えれば、整った容姿の姫川さんが保健室にいるからという安直な発想なのだろう。

 まるで見世物のように感じられるそれを、俺は気に食わなかった。

 俺の不快感を見て、樋口先生は苦笑する。


「幸い、悪い意味で呼ばれてるわけではないから安心して」

「……それで、その呼ばれ方と昨日のことがどう繋がるんですか?」

「日乃君には、その先入観が植え付けられる前に彼女に会ってみてほしかったの」

「それは……」


 わからなくもなかったけれど、それだけでは理由としては足りないように思える。


「姫川さんもね、変わりたがってるの。今のままじゃダメだって。少しでも普通に過ごせるようにって。……だから、チャンスかもしれないって思ったの」


 ようやく納得出来る理由がわかった。

 姫川さん自身が頑張ろうとしているのを、この先生は支えようとしているんだ。

 その全部を、俺は台無しにしたくないと思うようになっていた。


「……俺は、どうすればいいですか?」

「それを確かめるために、昨日の様子を聞きたかったの」


 そういえば、そういう話だった。思った以上に重い話にすっかり見失っていた。


「様子……。俺も緊張してたので会話が弾んでたかって聞かれたらわからないですけど、普通に会話が出来てたと思います」

「それを疑うわけではないんだけど、どうして日乃君は大丈夫だったんだと思う?」

「正直、わからないです。でも、俺と姫川さんは春休みに出会ってるんです」

「え? どういうこと?

「実は――――」


 俺は樋口先生に伯父の喫茶店を手伝っていることと、そこに姫川さんが通っていたことを話した。

 一通りの説明を終えると、樋口先生は何度も頷いて情報を整理している様子だった。


「チャンスだとは思ったけど、まさかここまで上手くいくとは我ながら恐ろしいわ……」


 本当にこの先生で大丈夫か……?急に不安になってきた。

 とはいえ、この人の熱意はきっと信じてもいいと思える。


「それで、俺はどうすれば?」

「そうね……。次は何か約束してないの?」

「一応、今日の放課後に」

「手が早いわね……」

「言い方!」


 ……やっぱりこの先生、ダメかもしれない。


「冗談は置いといて、聞いたところ問題は無さそうだし、そのまま普通に接してあげて」

「“普通”の基準が難しいんですけど……」

「君の普通でいいの。人間関係なんて、それぞれ形が違うものでしょ?」

「……頑張ります」


 俺の返答に満足そうに肯き、樋口先生が席を立った。


「話したかったことはこれで全部。付き合ってくれてありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございました」


 先生に合わせて立とうとすると、手で制止される。


「あー、いいのいいの。まだ食べ終わってないでしょ?」


 樋口先生の言うとおり、机の上に置かれた昼食はほとんど手つかずのままだった。

 話し込んでいるうちにすっかり食べることを忘れていた。昼休みの時間は残っているけど、今から場所を探してとなるとあまり余裕はなさそうだ。

 すると、先生がポケットから鍵を取り出し、机に置いた。


「食べ終わるまでこの部屋使っていいから、鍵を閉めて職員室に戻しにきてね」

「いいんですか?」

「使用許可は取ってあるから、気にしないで」

「わかりました。ありがとうございます」

「また六限でね」


 人のいい笑みを浮かべた樋口先生は、ヒラヒラと手を振って生徒指導室から出て行ったのだった。

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