第5話『店員さん』と『常連さん』は提案される。
目の前にいる女子生徒は俺を見て「店員さん」と確かに口にした。
つまり、俺の勘違いや幻覚などではなく、本当にあの『常連さん』ということだ。
予想外過ぎる展開に、俺の頭はショート寸前だった。
「店員さん、どうして……?」
予想外なのは、もちろん常連さんも同じで、首を傾げてソワソワとしている。
それにしても「どうして」と聞かれると、どこから説明したいいものかとても悩ましい。
普段の頭の状態ならまだしも、この理解が追いつかない状況の処理に一杯一杯の頭では尚更難しかった。
「えっと……」
それでも何か説明しようと、俺は口を開く。――そして、保健室の戸も一緒に開いた。
その音に驚いた俺が振り返ると、白衣を着たクールな印象の女性が立っている。
「あら、どうかしたの? 怪我?」
格好や言動から、この人が看護の先生だと察する。
そこでようやく、俺は本来の要件を思い出した。
「あの、
「ええ、そうだけど」
「このファイルを常れ……姫川さんに届けるように担任の
手元のファイルを見せながら説明すると、葉山先生はすぐに納得した表情になった。そして、俺を見る目が同情的なものになる。
「樋口先生に押しつけられたんでしょ? さっき呼び出されてたものね」
俺がファイルを届けることになった経緯を、まるで見ていたかのように言い当てられた。
「オブラートに包まなければ、そうなりますね」
どうせお見通しなら誤魔化す必要もないと、俺は苦笑いで答えた。
すると、葉山先生は呆れたようにため息を吐く。
「まったくあの子は……。生徒を何だと思ってるのかしら……」
さっきの経緯を言い当てたことや、今の口ぶりから察するに、どうやらこの二人は同僚というより友人に近い関係なようだ。
俺は、自分に怒った理不尽さを理解してくれる人に出会えて、感動している。
「そういえば君、もしかしなくても転校生?」
「あ、はい。そうですけど、よくわかりますね」
「転校生は珍しいし、二年生にしては制服が綺麗過ぎるしね」
「なるほど」
「ま、あとは君の担任とはよく話すから」
あの先生と友人として付き合うのは大変そうだと思ったけれど、この先生のように余裕がある大人な人とならバランスが取れて良いのかもしれない。
担任に言うのもなんだけど、少しは葉山先生を見習ってほしいと思う。
「そうだ、プリント持ってきてくれたのよね」
葉山先生が思い出したように手を叩いた。
視線は俺の後ろ、つまり常連さん――もとい、
すると、葉山先生は瞬きを数回し、“驚いた”というより“意外な物を見た”という顔をする。その様子に、俺は首を傾げる。
だが、その顔が怪しい笑みへ変わった瞬間、強烈な寒気を覚えた。
「あなた達、せっかくこうして接点を持ったんだから、どこかで話して帰ったら?」
「「え!?」」
唐突な提案に、俺と常連さんの驚いた声が揃った。
俺が振り返ると、再び常連さんと目が合う。すると、彼女は恥ずかしそうに俯いた。つられて俺も目をそらす。
すると、さっきよりも大きなため息が葉山先生から聞こえる。
「姫川さんはプリントを届けてもらったお礼が出来るし、君は来たばかりの学校で話し相手が出来る。良いことずくめでしょ?」
振り返った俺は「何を勝手に決めてるんですか」と小声で訴えると「名案でしょ?」と言わんばかりのウインクで返された。
この人が樋口先生と仲が良い理由を垣間見た気がする……。
まあ、急な話というだけで嫌なわけではない。
しかし、俺が良くても常連さんがダメな可能性もある。俺としてはまず、彼女の意見を聞きたかった。
――冷静に考える俺の両肩を、葉山先生がガシッと掴んだ。
「樋口先生には私からちゃんと伝えておくから、安心してね」
「いや、問題はそこじゃあ――」
「じゃ、廊下で姫川さんのこと待っててね」
俺の言葉は最後まで言わせてもらえず、保健室から追い出される。
気が付くと、手元にあったはずのファイルが無い。いつの間にか回収されたらしい。あの先生、油断出来ない人だ……。気を許しかけていた自分に呆れてしまう。
それにしても、まさか常連さんが同じ高校だとは思わなかった……。
同年代だとは感じていたけれど、学校だけでなくクラスまで同じになるなんて思ってもみなかった。
よくよく考えれば学校から比較的近い喫茶店に通っているのだから、この学校の生徒というのも自然なことに思える。
世の中、何があるかわからないな……。
ため息を一つ吐いて、廊下の窓から外を眺めていると、保健室の戸が開く。それだけで誰がその戸を開けたのかがわかり、急に緊張感が襲ってきた。
――意を決して振り返ると、そこには戸を開けて固まっている常連さんがいる。
それを見かねたように、戸の陰から伸びた手が彼女の背中を押して廊下へ踏み出させる。
「――っ!?」
驚いた表情の常連さんは、その犯人を咎めるように振り返ると、すぐに戸が閉められてその視線は届かなかった。
諦めたようにため息を吐いた彼女は、改めてこっちを向く。
そして俺の目を見て、弱々しくも意思の籠もった声を発した。
「あの……!」
次の一言でこの後の展開が決まると直感した俺は、息を呑む。
「いつものお店で……店員さんのお店でお話させてもらっても……いいですか?」
……え? もしかしなくても今、誘われた?
まさか常連さんが乗り気だとは思ってもみなかった俺は、少し理解するのに時間がかかった。
そのわずかな時間でも、彼女にとっては俺が困っているように見えたのかも知れない。
「ダメ、ですか……?」
常連さんはバッグの持ち手をギュッと握っている。
「そんなことないです!」
俺が慌てて返事をすると、彼女は胸に手を当てて深呼吸をした。
「……よかったぁ」
その様子に緊張していたのは俺だけじゃなかったのだとわかり、胸がざわつく。
そのことに何故かいたたまれなくなった俺は、移動を提案する。
「それじゃあ、行きますか?」
「は、はい!」
ぎこちない空気感のまま、俺と常連さんは昇降口へ足を進めたのだった。
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