第6話『店員さん』と『常連さん』のスタートライン

 学校から出た俺と常連さんは、伯父の喫茶店『クローバー』を目指して歩いている。

 特に話が弾んでいるわけでもないけれど、決して悪い空気ではないし、問題がないように思う。――ただ、歩くペースを除いて。

 お互いがお互いの歩くペースに合わせようと恐る恐る足を進めるため、歩幅も速さも滅茶苦茶になっている。

 それに気付いているのは俺だけでなく常連さんも同じようで、二人してわかっているのに言い出せないし、直せないという目も当てられない状況だ。

 現状に少しでもプラスなことがあるとすれば、周囲に同じ学校の生徒が歩いていないことだろう。

 下校の時間が大半の生徒に比べて遅くなったことはもちろん、今歩いている道、つまり俺の通学路は最寄り駅とは反対方向なのだ。そのほとんどが電車バスで通学する清海航行の生徒はあまり通らないらしい。

 今朝、俺が登校する時も学校の敷地が見えるまで同じ制服の人を見かけなかった。


 不規則なペースで進んでいた俺と常連さんの足が、交差点の信号に止められる。

 その先には、まだこの土地に来て間もない俺にも見慣れた看板が見えた。目的地である『クローバー』だ。

 看板を目にすると同時に「伯父さんに連絡しとくべきだったかな」と思い浮かんだが、「まあいいか」と忘れることにした。


 信号が青に変わり、俺と常連さんはまた歩き出す。

 横断歩道を渡り終えると、ようやく『クローバー』の前に到着した。

 よくよく考えると、お客として入るのは初めてだ。新鮮な気持ちになりながらドアノブへ手をかける。


「えっと、入りますね」

「はい」


 久しぶりの会話に少し驚いたような反応を見せた常連さんは、それを隠すようにコクコクと何度も頷く。

 その様子が可愛らしく、つい笑ってしまいそうになるのを堪えつつ、俺は扉を開ける。 いつもとは違う立場で聞くドアベルの音は、少し違って聞こえた。


「いらっしゃいませ」


 カウンターで作業をしていた伯父は、ドアベルの音で反射的にそう口にしたらしい。俺の顔を見つけると、眉を上げた。


「どうした? 平日の手伝いは無しって話だっただろう?」


 伯父さんが不思議そうに思うのは無理もない。

 やはり事前に連絡しておけば良かったと反省しつつ、どう説明するべきかを考える。しかし、考えても上手く伝えられる気がしなかったので、見て貰った方が早いと判断した。


「えっと、それが――」


 俺が横へ一歩ずれると、伯父さんの目に常連さんの姿が映る。

 予想外の人物が俺と一緒に現れたからか、伯父は目を丸くしている。

 一方、常連さんは恭しくお辞儀をした。

 途端に伯父さんはいつものマスターとしての顔に戻り、「お好きな席へどうぞ」と俺を含めてお客さんとして対応する。伯父さんがそう対応したのだから、俺もいつまでも親族の会話をするわけにもいかない。

 常連さんと座るとなると、思いつく席は一つしかなかった。


「あの、いつもの席で大丈夫ですか?」

「は、はい。大丈夫、です」


 常連さんの了承も得たことで、俺たちはいつもの窓際の席へ向かう。

 常連さんは定位置に、俺は向かいの椅子に腰を下ろす。

 ついこの間まで一緒に座ることなんて想像も出来なかった俺には、この状況が不思議で仕方がない。そもそも、“話をする”とは何からすればいいのか。

 お互いのことを何も知らない。名前だって偶然知っただけだ。

 これまでこの場所で『店員』と『常連さん』として関わっていただけなのに、急に同じクラスの人として接することに俺はピンと来ていなかった。


「ご注文はどうされますか?」

「――っ」


 いつの間にかテーブル脇にいた伯父の声に、俺は驚く。

 しかし、常連さんはそんなことはなかったらしい。


「えっと、ブレンドをホットでお願いします」


 いつものように、淀みない注文。

 その姿に「流石だなー」と感心していたが、そんな場合じゃない。

 始めたばかりとはいえ、俺もこの喫茶店の店員だ。メニューは大体頭に入ってはいる。

 しかし、いざ自分が注文するとなると、何を頼むか迷ってしまう。

 今からでもメニューを見て考えればいいものを、待たせたらいけないという焦りと、いろいろ特殊な状況下でテンパっている頭ではそんな簡単なことも思いつけない。

 咄嗟に口から出たのは魔法の言葉――。


「お、同じので」


 その場を切り抜けるための言葉としては及第点だろう。

 しかし、俺に限っては愚策にも程がある。なにせ、俺はコーヒーが苦手なのだから……。

 初めて来る店ならいざ知らず、今いるのは初めてのお店でも、知らない人に注文をとってもらっているわけでもない。

 当然、伯父にはバレバレなわけで。


「……失礼ですが、お客様? 苦いのは不得意ではありませんでしたか?」


 呆れ半分、からかい半分な口調で俺の見栄を指摘された。

 俺としては焦ったが故の結果だったのだが、そこに「コーヒーが苦手なのは恥ずかしい」という思いが混ぜっていたことは否めない。

 なにより、それをわざわざ常連さんの前で言われたことが何より恥ずかしかった。


「本当に失礼なので気にせず持ってきてもらえます?」


 俺が恨めしく睨むと、伯父は肩を竦めて下がっていった。

 甥っ子の見栄を堂々とバラすという大人気ない行動だったのだから、当たりが強くても文句は言わないで欲しい。


 いろいろな疲労感をため息として発散すると、常連さんからの視線を感じる。


「すいません。騒がしかったですよね……」

「あ、いえ、そんなことないです! むしろ、ジロジロ見てしまってごめんなさい……」


 常連さんからの視線を感じたのは今さっきだったが、嫌でも目に入るし耳にも届く範囲にいたのだから、見てしまうのは当然だと思う。

 俺としては見栄がバラされたことや親戚との会話を聞かれていたことがとにかく恥ずかしかった。

 しかし、常連さんはそんなこと全く気に止めた様子もない。


「……店員さんと同じテーブルに座っていることもですけど……その、同じ学校の制服を着ている店員さんっていうのが未だに不思議で」


 常連さんは肩を窄めて、視線をテーブルと俺の間で行き来している。

 俺と同じようなことを考えていたことに、不思議と嬉しくなり笑みがこぼれた。


「わかります。俺もそう思ってました。やっぱり、ここでの格好が見慣れてるからですかね」

「そうですよね! よかったぁ」


 俺の笑みにつられてか、常連さんもようやく笑顔を見せてくれる。

 そろそろ緊張もほぐれてきたかと思われたのもつかの間、常連さんの表情はまた堅くなってしまう。

 やっぱり、そう簡単には打ち解けられないものだろう。最初についたイメージというのは中々拭えないものだ。

 そういう俺も、まだ彼女のことを『常連さん』だと感じている。

 どこまでいっても、自分は『店員』なのだろう。

 俺がそう感じるのとほぼ同時に、常連さんの口が開いた。


「――あの!」


 彼女の瞳が、真っ直ぐに俺を見ている。

 その声は強い意志を感じさせるもので、俺の意識を釘付けにするには十分だった。


「店員さんの名前、教えてもらえませんか?」


 自分の浅慮さに呆れてしまう。常連さんは、ちゃんと歩み寄ろうとしてくれていたんだ。

 そして、当たり前のことに気付かされる。

 誰だって、名前を知るところから始まるのだと。

 俺と常連さんは、ようやくスタートラインに立とうとしていたのだ。

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