第3話 新学期の朝

 あっという間に春休みは過ぎ去り、始業式の朝を迎えた。

 そんな俺は、新しい自分の部屋の新しい姿見の前で、同じく新しい制服に袖を通した自分の姿を、頭から足先まで査定するように睨んでいた。


「……やっぱり、変な感じがするな」


 一年間とはいえ、今まで着ていた制服から変わるというのはやっぱり違和感がある。その一番の理由は、制服の形状だ。

 今まで通っていた高校では学ランだったが、今日から通うことになる私立清海せいかい高校の制服はブレザーだった。

 あまり制服の好き嫌いは考えたことが無かったけれど、こうして着てみるとブレザー自体は好みに思う。高校でも学ランというのは、やっぱり中学からの変化が無くてつまらなく感じていた部分はあったから。

 それでも姿見の前から動けないのは、どこか納得しきれていない自分がいるからだ。


 引っ越して来てから「本当にこれで良かったのか」と頭に何度も浮かぶ瞬間がある。本当は家族と一緒に行くべきだったのではないだろうかと。

 でも、それと同時に「行かなくて良かった」と考える自分もいる。

 結局、結論はいつも出てこない。


「――行くか」


 今日も出てこない疑問を頭から振り払い、準備を終えているスクールバックを足下から持ち上げて部屋を後にした――。


  *


 玄関の鍵を閉めて振り返ると、外の景色がよく見える。

 新しく暮らし始めたのは七階建てのマンションで、俺が暮らしているのは五階だ。

 高校生の一人暮らしにしては良いところに済ませてもらっていると自覚はしている。ただ、ここに決めたのは俺じゃない。

 一人暮らしの条件にあった“伯父が近くに住んでいる”を満たす上で、ここが一番都合が良かったのだ。この二つ上の階、つまり最上階には伯父夫婦が暮らしている。

 何も同じマンションでなくてもと思いはしたけれど、セキュリティがしっかりしていて、何よりも緊急時に同じマンションであった方が何かと良いだろうということらしい。

 過保護なように感じてしまうが正論だとも思うし、何よりもそれだけ大事に思われているとわかってしまえば文句は言えなかった。

 また立ち止まって考えてしまっている自分に少し呆れつつ、俺はエレベーターへ向かう。


 扉の前へ着くと、エレベーターの現在地は七階を示していた。大抵は一階から来ることが多いので、朝から少し得した気分になる。

 すぐに到着したエレベーターの扉が開くと、先に乗っていたスーツ姿の女性と目が合った。


「「あ」」


 お互いに声を揃えて固まっていると扉が閉まりかけ、二人で慌ててボタンを押す。

 そして、何事も無かったかのようにエレベーターに乗り込んだ。


「おはよう。桐真とうま君」

「おはよう。くみさん」


 俺が『くみさん』と呼ぶこの人は片瀬久美子かたせくみこ。伯父の奥さんで、俺の伯母にあたる人だ。

 なぜ伯父さんのことは『伯父さん』と呼ぶのに、くみさんのことは『伯母さん』と呼ばないのか。

 それはまだ俺が幼い頃――、


「桐真君、あたしのことは『くみさん』って呼ばないとダメよ? わかった?」


 子どもにポチ袋に入った賄賂――もとい、お年玉をちらつかせてすり込まれたからだ。俺は今でもあの時の笑顔と圧を忘れられないでいる。

 ――閑話休題。


「新しい制服、似合ってるわね!」

「ありがとう」

「うちの子が高校生だった頃を思い出すわー」


 くみさんと伯父さんには、片瀬千里かたせちさとという成人済みで社会人の一人娘がいる。俺の従姉妹だ。

 くみさんは懐かしんでいるが、俺と従姉妹が同じ高校というわけじゃない。


「千里ちゃんが高校生だったのだって、そこまで前じゃないよね?」

「顔を合わせなくなると懐かしく感じちゃうのよ」

「なるほど」


 そんな話をしているうちに、エレベーターは一階へ到着。途中で乗ってくる人はいなかった。


 エレベーターを下りてすぐ、くみさんに尋ねる。


「そういえば、今日は早いんだね」

「会議があるのよ。だから眠いけど、仕方なく早い時間に出たの」


 こっちへ引っ越して来てから何度か伯父も含めた三人で朝食を取ったことがあり、大体は八時過ぎに家を出ていたので、まだ七時台に外出していることが珍しかった。


 くみさんはバリバリのキャリアウーマンで大手企業に勤めている。伯父さんも元々は同じ会社に勤めていたらしい。


 エントランスに向かうまでの短い道で、くみさんが思い出したように手を叩いた。


「あ、そうだ!」

「なに?」

「なおくんから聞いたんだけど、常連の女の子と仲良くなったんだって?」

「――っ!」


 突然の話題に、俺は危うく転びかけた。

 またあの人は余計なことを……。


「……良いも悪いもないよ。ただの店員とお客さんってだけ」

「それにしてはずいぶんと気にしてたみたいじゃない?」

「落ち込んでる人がいたから気になっただけだよ……」

「で、桐真君から見てどんな子? どこが良かったの?」

「話聞いてないね!?」

「だって若い子のそういう話気になるもの!」


 くみさんだって十分若いだろうに……。

 成人済みの娘を持つ母としては年齢的にも若いし、娘と姉妹に間違われることがあると嬉しそうに自分で語っていたこともある。


「あのね、くみさん。俺はべつにあの常連さんとどうこうなろうと思ってないから」

「見てるだけでいいってこと? 乙女~」

「だ・か・ら! 特別どうとも思ってないって話!」

「えー? ま、そういうことにしておいてあげましょう」

「なんで俺が折れてもらう側になってるんですかね……」

「とにかく、新天地で良い出会いがあったのは良いことよ」


 どこまでも人の話を聞かないくみさんに、俺はため息を吐く。


 外に出ると、くみさんが立ち止まって俺の方へ向いた。


「車乗ってく?」

「いや、目立つしいいよ。初日くらいは自分の足で行かないと」

「遅刻しそうな日は任せなさい」

「そうならないように気をつけるよ」

「じゃあ、いってらっしゃい。あんまり気負わずにね」


 俺の腕をパンッと軽く叩いて励ますくみさん。

 さっきまで甥っ子をからかっていた人とは大違いに思えるけど、くみさんなりの気遣いだったのだろう。


「ありがとう。行ってきます」


 こうして俺は、高校二年生の始まりへ足を踏み出したのだった。

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