第42話 憂鬱の朝

 枕元に置かれたスマホから、けたたましくアラームが鳴っている。

 その不快さに顔を少し歪ませつつ、画面に表示されている停止のボタンを触った。

 ――数分後、ベッドの上で起き上がった俺は、寝ぼけた頭をゆっくりグルグルと回す。それでも抜けきれない眠気に、深いため息を吐いた。

 日曜日が終われば月曜日を迎えるのは当然のことで、多少の憂鬱さを感じたとしても学校へ行くのが学生としての責務だろう、と俺は思う。

 まあ、こんな風に“憂鬱さ”が出てくるくらいには新しい環境に慣れたと言えなくはないのかもしれない。

 ふと、机の上に置かれた猫カフェのサービス券が目に入った。

 ひょんなことから行くことになった猫カフェではあるが、こうして約束を交わした後に見ると、結構楽しみになっていた。

 そんな気持ちに引っ張られてか、自然とやる気がみなぎってきていた。


 いつも通り余裕をもった時間にマンションを出て、朝日に少し目を細めながら歩く。

 マンションのすぐ前の横断歩道を渡りきってから少し歩くと、見知った人の姿が目に入った。

 程なくして、相手も俺に気が付いたようだ。


「おはようございます」

「おはようございます。桐真とうま君、朝早いのねー」


 朝のゴミ出しを終えた様子の由美ゆみさんだった。


「ここで会えるのがわかってたら、愛葉あいはにゴミ出しをお願いしたのに」

「それは難しいんじゃないですかね」


 冗談か本気かわからない由美さんに、俺は苦笑しながら返した。


「そうだ、昨日はありがとう。愛葉とっても喜んでたわ」

「いえ、もらい物を横流ししたような形ですし」

「でも元々、何かしてくれるつもりだったんでしょう?」

「はい?」


 一体、何の話だろう?

 由美さんの意図が読めず、俺は首を傾げた。

 それを見て、由美さんは恐る恐るといった様子で俺に聞いた。


「……もしかして、って知らずに?」


 ……三十日?

 俺は由美さんの前なこともお構いなしに、スマホのカレンダーを開いた。

 次の日曜の日付が30と赤く表示されている。


「えっと……毎月三十日に祝ってるわけでは……」

「うちでは愛葉の誕生日は一年に一回ね。四月三十日」


 現実を受け止めきれなくて、変なことを言っている自覚はある。

 可愛そうな人を見る由美さんの目が、痛いくらい刺さっている。


「これって……もしかしなくても、姫川ひめかわさんは俺が誕生日を祝うために誘ったと思ってることに……」

「うーん、完全にそう思ってるわけではなさそうだったけど……。でも、どこかで期待してる部分も小さくはないかなぁ」

「ですよね……」


 だから猫カフェに誘った時、姫川さんはああいう反応をしていたのか。

 今更納得したところで仕方がないけれども……。

 とにかく、このまま当日を迎えることが一番あってはならない。それだけは自分の中で結論が出ていた。


「あのね、桐真君」


 改めて名前を呼ばれ、俺は背筋の伸びる思いで「はい」と返事をする。

 しかし、由美さんのどこか申し訳なさそうなその表情に、内心で首を傾げた。


「こんなことを、親からお願いするのは良くないのかもしれないけれど……」


 言葉を止めた由美さんは少し迷った様子を見せたが、それも瞬く間のこと。

 その表情は優しい微笑へと移り変わっていった。


「愛葉の誕生日、お祝いしてあげてほしいの。盛大である必要は全くなくて、どれだけささやかでも、桐真君に祝ってもらえることがとても大事だと思うから」


 由美さんがどれだけ姫川さんの幸せを願っているのか、俺には推し量れない。

 自分の親の気持ちだって理解しきれないのだから当たり前だ。それでも――その想いに少しでも応えたい、と心から思えた。

 もちろん、由美さんのために姫川さんの誕生日を祝うわけではない。

 ただ、『四月三十日』を出来る限り良い日にしようという想いがより強くなった。


「俺なりに頑張ってみます」

「ありがとう、よろしくお願いします」


 由美さんとの話を終えて再び学校への路を歩き出した俺には、もう憂鬱さなど欠片も残っていなかった。

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