第33話 お誘い

「……来ちゃったな」


 目の前にそびえ立つマンションを見ながら俺は呟いた。


 姫川ひめかわさんの母親である由美ゆみさんと連絡先を交換した翌日の放課後、再び俺はこのマンションの前に立っている。

 しかしこれまでと違って、今日の俺はこの建物に明確な用事があって来ていた。


 ――事の発端は昼休み。

 今日も姫川さんは学校を休んでいたが、体調は問題無く、念の為の休みだと教えてもらった。

 前日と同じように教室で昼食を取っていた俺のスマホにメッセージが一件届いた。

 広告か何かだろうと思いつつ確認した画面には『姫川由美ひめかわ ゆみ』と表示されている。

 恐る恐るメッセージを開いてみると、


『お昼休みの時間にごめなさいね。突然なんだけど今日の放課後、時間はあるかしら? もし良ければうちに来て愛葉あいはに会って欲しいんだけど……』


 最後に『クマがお願いするスタンプ』が付いた「お誘い」だった。


 画面を見たまま固まっていた俺に上矢かみやが声を掛けてくれなかったら、昼休みの間ずっと彫刻になっていたことだろう……。

 幸い特に用事があるわけでもなかったので、由美さんへの返信は「ありがとうございます。お邪魔させてもらいたいです」と送った。


 ――そして放課後、俺は目的地であるマンションへ到着したというわけだ。


 メッセージの文面では滅茶苦茶冷静に見えたかもしれないが、俺はかなり緊張している。

 由美さんと会うだけでも全く慣れていないのに、まさか姫川さんの家にお呼ばれすることになるなんて予想の遙か外だ。

 ただ、行くと返事をした以上は今更変えるわけにもいかないし、何よりも姫川さんの様子がずっと気になっていた。

 ――意を決して、俺はマンションの中へ足を踏み入れた。


 重そうな扉の脇に設置されたオートロックのボタンをゆっくりと操作し、部屋番号の『503』を入力する。『呼び出し』ボタンを押すのに少し躊躇ったものの、最後は勢いでボタンを押し込んだ。

 無機質な呼び出し音が、俺の緊張をさらに煽ってくる。

 いっそのこと、このまま応答がなければいいのでは……?

 もちろんそんなことがあるわけもなく、呼び出し音が止まる。


『はい』


 聞こえてきたのがスピーカー越しでも、由美さんの声だとすぐにわかった。


「あの、日乃ひのです」

『今、開けますね』


 ロックが解除されると共に通話が終わり、俺は扉を開けて奥へと入っていく。


 特別入り組んでいるわけでもなかったため、そのドアの前にはすぐにたどり着けた。


「503、ここだ……」


 表札には『姫川』の文字。間違えようもない。

 俺は深呼吸をしようか迷ったが、それに大して意味がないことはオートロックで実証済みだ。ほとんどヤケクソな気持ちでインターホンを押した。

 それから程なくして、ドアが開かれる。

 しかしその幅は、人が通るには狭すぎるくらいにしか開かれなかった。

 ドアから一歩下がり固唾を呑んで待っていると、隙間からひょこっと顔が出てきた。


「――こ、こんにちは!」


 日曜日ぶりの姫川さんだ。顔色も良く、体調はもう心配なさそうに見える。


「こんにちは。元気そうで良かったです」

「ありがとうございます。……あの、日乃さんにあえ――」


 姫川さんの言葉は、さらに奥から聞こえてきた声によって止められた。


「愛葉~? 桐真とうま君をいつまで玄関前に立たせておくつもり?」


 由美さんもドアまでやってきたらしい。


「お、お母さん!?」


 姫川さんは顔を引っ込めてしまってどんな表情をしているのかわからなかったものの、声色から慌てているのがわかる。


「ほら、ドアを開けないと」

「わ、わかってるもん」


 二人の会話をドア越しに聞いていると、ようやくドアが大きく開かれ、姫川さんと由美さんの姿がハッキリと目に映った。


 俺は改めて二人に挨拶をする。


「こんにちは、今日はお家に呼んでもらってありがとうございます。これ、良かったら」


 そう言って差し出したのは『クローバー』のケーキだ。帰りの途中で店に寄って何個か選んできた。


「気にしなくてよかったのに~。ありがとう、桐真君。さ、上がって上がって」

「ど、どうぞ!」

「お邪魔します」


 二人に迎えられ、俺は姫川さんの家にお邪魔させてもらうこととなった。

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