第28話『店員さん』と『常連さん』はじめてのお出かけ。⑨
試着室前のミニチェアーに座っている俺は、周囲から見れば付き添い相手の着替えを静かに待っている男子のはず。視線をあちこちに向けて挙動不審になることもなく、ただ黙ってスマホを眺めているだけだからだ。
しかし、もしも俺に近づいてスマホの画面を覗けば、その印象はガラッと変わることだろう。
何故なら、ひとつのアプリを開いてはすぐに閉じ、また違うアプリを開いては閉じるという全く意味のないことをしているのだから。完全に手持ち無沙汰で、とりあえずスマホを触っているだけだ。
もちろんはじめは気を紛らわせようとSNSを開き、ネットニュースなんかを見ていたものの、残念ながら一文字も頭に入ってこなかった。
それなら他のアプリを、と考えて開いてみても結果は変わらない。
そしてタチの悪いことに、何故かいつもより周囲の音が耳に入ってきになったりしてしまう。物音のひとつひとつが俺の心をかき乱す。
やっぱりどこかへ行くべきだったよな……
そんな後悔の念を抱くも、今更この場を去るわけにもいかない。
せめて少しでも落ち着こうと、目を閉じて深呼吸する。
丁度三回目の深呼吸を終えた時――カーテンの開く音がした。
すぐに目を開くと、俺の予想とは少し違う光景が映った。
てっきりワンピースを試着した
「どうかしました……?」
もしかしたらサイズが合わなかったりしたのかもしれない。
ただ、そういうことはデリケートなことだし、俺の口からは言い出せなかった。
「……けど」
「え?」
姫川さんは口元をカーテンで遮っていて、上手く聞き取れなかった。
「き、着てみたんです! けど……」
今度はハッキリと聞こえる声量だった。ただ、少し大きすぎる気もする。
それはさておき、試着してみたらしいが『けど』が付いていた。
やっぱり何かしらの問題があったようだ。
「けど?」
「は、恥ずかしくて……」
「……はい?」
思わず聞き返してしまった。
そもそも、姫川さんが見て欲しいということで俺は待っていたはずだ。
それが、今は「恥ずかしい」ということで出てこない。
俺はどうしたらいいというのか。
「その……見てもらおうと思って服を着たことなんて無かったので、急に緊張してしまって……」
「な、なるほど」
そう説明されると納得は出来た。
ただ、ここまで待って結局見ないで終わるというのはすごく損な気がした。
「俺は……見たい、です」
「へ?」
「さっきも言いましたけど、姫川さんに似合うと思ったので……着たところを見れたらな……って」
姫川さんが目を丸くしている。
俺は一体何を言っているんだ、そんな羞恥で頭が痛くなりそうだった。
それからすぐ、姫川さんが完全にカーテンを閉じてしまった。
これはダメだったかもしれない。そう後悔しかけていた俺の前で、カーテンが勢いよく開かれた。
「ど、どうですか?」
ワンピースに着替えた姫川さんが、瞼をギュッと瞑って立っている。
藍鼠色の落ち着いた印象とウエストにあしらわれたリボンがかわいらしさを引き立たせていた。
今日の姫川さんの格好がカジュアル寄りなものだったこともあり、シックさがより際立って見える。
初めて姫川さんと出会った時に着ていたのもワンピースだった。そのためか、ワンピースを着ている姫川さんにしっくりきていた。
「ひ、
長く呆けてしまっていたらしい。姫川さんが不安そうにしている。
「あ、えっと……すごく似合ってます。月並みな感想ですいません……」
直後、開くときよりも勢いよくカーテンが閉じられてしまった。
何か気に障ってしまっただろうか。
「どうしました!?」
「い、いえ! このワンピース、買うことにしました!」
俺の不安とは裏腹に、姫川さんから返事があった。
とりあえず問題が無いようで良かった。
そして、姫川さんの着替えが終わるまでまた待つことになるのだが、不思議と今度は落ち着いて待つことが出来た。
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