第29話『店員さん』と『常連さん』はじめてのお出かけ。⑩

 試着を終え、ワンピースの支払いも済ませた姫川ひめかわさんと俺は、店の外へ。

 その直後、姫川さんがペコリと頭を下げた。


「付き合ってくれて、ありがとうございました」

「気にしないでください」


 自分の服は全く見なかったものの、退屈ではなかった。


「あの……」


 姫川さんはまだ何か言いたげにしている。

 俺はどうしたのだろうかと思いながら「はい?」と聞き返す。


「やっぱり、日乃ひのさんはこのお店に入るのがイヤだったんじゃ……?」

「えっ」

「間違っていたらごめんなさい。……でも、日乃さんがすごく居心地悪そうに思えたんです」


 その指摘に、俺の体温がグッと下がったような気がした。

 自分で言うのもなんではあるが、「図星」と言うには理由が少し複雑であると思う。

 ただ、ここでそれを説明するには少し長くなるし、そうすることを俺自身が望まなかった。


「えっと、実は……今来てる服、全部ここのブランドのもので……」

「え?」

「周りのお客さんとか、それこそお店の人に気付かれたらなんか恥ずかしいなって……。自意識過剰ですよね」


 姫川さんへの説明に、ウソは一つも吐かなかった。

 その奥に隠したものはあったとしても――。


「それならそうと言ってもらえれば良かったのに……」

「ごめんなさい。姫川さんの気持ちの方を優先したかったので」

「――っ!」


 突然、姫川さんがくるっと回って、俺に背を向けてしまった。


「え? 姫川さん?」


 俺が正面へ回り込もうとしても、絶対にそうさせてくれない。


「……ほんとうに日乃さんはズルい人です。きっと他の人にも……」


 なにやらゴニョゴニョと言っているものの、聞き取れない。

 もしかして、俺の説明に足りない部分があることを察してしまったのだろうか……。


「姫川さ――」

「日乃さん!」

「は、はい!」


 不安に駆られた俺が声を掛けるよりも、姫川さんが振り返る方が早かった。

 そんな驚きもあって、俺は間の抜けた返事をしてしまった。

 しかし、姫川さんにそれを気にした様子はない。


「わたしのことを……その……優先、してくれるんですよね?」

「え?」

「し、します!」


 姫川さんから初めて感じるプレッシャーに背筋を伸ばし、俺は何度も肯く。

 決して言わされたわけではないとだけ言っておきたい。


「それじゃあ……もう少しだけ、一緒に見て回ってくれますか……?」


 そう言われて時間を確認すると、もうすぐ午後五時を回ろうとしていた。

 元々あまり遅くならないうちに帰ることは決めていたこともあり、たしかに時間を考えると「もう少し」だけになるだろう。


 だからこそ、


「もちろん」


 姫川さんのお願いを断る理由なんて、俺には無かった。



   *



「今日はほんとうにありがとうございました!」

「こちらこそ」


 最寄りのバス停に下り、今朝集合した姫川さんのマンション前へ向かって歩いている。

 結局あの後、雑貨屋を二軒覗いているうちにすぐ帰宅時間になってしまった。

 その時の姫川さんは残念そうにしていたものの、今はとても満足そうに笑っている。


「明日にはもう学校なんですね」


 大体の学生なら月曜日の学校に憂鬱さを感じるであろうところを、姫川さんは何故か嬉しそうに言った。

 さすがに俺はそこまでポジティブにはなれないので、「早いですよね」と苦笑混じりに同意する。


「わたし、こんなに休日が終わるのが早いって感じるのは初めてです!」


 よく「楽しい時間はあっという間」と言ったりするけれど、姫川さんにとって今日がそういう時間になったということだろうか。そうだったなら、素直に嬉しいと思う。


「またいつでも遊びに行きましょう」

「いいんですか!?」

「行きたいところとか、やりたいことがあったら言ってくださいね」

「たぶん、いっぱいあって一日じゃ収まりきらなくなっちゃいそうですけど……」

「一日だけじゃなくていいんですよ。ゆっくりでも、一つ一つ叶えていきましょう」


 バス停から距離がそれほどあるわけでもないため、話をしているうちに目的地に着いてしまった。今日最初に会った場所で、二人で立ち止まる。


「日乃さんは魔法使いみたいですね」

「え?」

「だって、わたしにとって夢みたいなことがどんどん起こるんですもん」

「俺はそんなに大したことしてませんよ」


 本当にそう思っているし、何より「魔法使い」なんて肩書きが小っ恥ずかしくて否定せずにいられなかった。


「誰がなんて言おうと、わたしにとってはそうなんです」


 自信たっぷりな姫川さんに、俺は返す言葉が思いつかない。


「日乃さん」

「はい……?」

「また明日も、会いに来てくれますか?」


 あれだけのことを言われた後に聞かれると、最早脅迫のようにも思える。

 俺なんかより、姫川さんの方がよっぽど魔女なのでは……?


「……それじゃあ、明日もお昼を一緒に食べませんか?」

「嬉しいです」


 俺と姫川さんはまた約束をして、それぞれの家へ帰る。


 そして翌日、学校に姫川さんの姿はどこにもなかった――。

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