第21話『店員さん』と『常連さん』はじめてのお出かけ。②

 待ち合わせ場所であるマンションの前から歩き出した俺と姫川ひめかわさんは、バス停へ向かっていた。

 今日の目的である映画は、駅前にある映画館で観ることになっている。そのため、そこまではバスで行く。

 上映時間は十時からなので、時間の方は予定よりもずっと余裕がある。


 顔を見て話せないほどギクシャクとした空気も、バスが目的地に到着する頃にはすっかり和らいでいた。

 バスから降りた俺は姫川さんの様子が気になり、しっかりと見てみる。

 ソワソワとしてはいるが、具合が悪いような素振りはない。

 周囲に同年代くらいの人がいたわけではなかったとはいえ、心配ではあった。


 しかし、映画館に到着すると、そうもいかなかった。

 まだ朝も早いのに、流石は日曜日と言うべきか。混雑とまではいかなくとも、利用客が多い。

 俺たちが見に来たジャンルが漫画原作のアニメなだけあって、学生と思われる人も多く見られる。


 ――途端に、姫川さんが俺の背に隠れた。

 俺は振り返り、姫川さんと目が合うように少しだけ屈む。


「大丈夫ですか? 一回、どこかで休みましょうか」


 しかし、姫川さんは首を横に振る。


「・・・・・・大丈夫です。このくらい、慣れないといけませんから」


 彼女の顔は、なんとか笑顔を作れているといったところだ。

 無理はさせたくない。でも、同じかそれ以上に姫川さんの気持ちを尊重したかった。


「わかりました。でも、何かあったら遠慮せずに言ってください」

「はい」


 返事をする彼女の顔は、さっきよりも自然な笑顔だった。


「それじゃあ、チケットを発券しに行きましょうか」


 そう言って前を向き直した俺の背中が、軽く引かれる。

 そこへ目を向けると、姫川さんの手がジャケットの裾を小さく摘まんでいた。

 俺は何も言わず、その手が離れないよう、ゆっくりと歩き出した。


   *


 席は予めネットで予約をしていたので、発券はスムーズに終えることが出来た。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 チケットを渡す時も、姫川さんは俺のジャケットを摘まんだままだ。

 なるべく周囲が目に入らないようにしているのだろう。目線は常に、俺のどこかしらへ向けている。

 シアタールームに入ってしまえば、多少は人の量も声も減ってマシになるかもしれない。

 ただ、入場時間まであと三十分以上はある。早く着きすぎてしまったことが、ここで裏目になってしまった。


 何か良い案はないか、そう考えて辺りを見回す。

 すると、待機スペースの端にある椅子に空きがあるのが見えた。

 自分たちよりも早い時間の映画を観る人も多いのか、その周辺の席もそれほど埋まってはいなかった。


「時間まで、あそこに座りませんか?」


 俺の指差す方をチラッとだけ見た姫川さんは、すぐに肯く。


 幸い、ゆっくりと歩いても席が埋まることはなく、二人並んで座ることが出来た。

 姫川さんの顔色は、さっきよりも良いように見える。

 ただ、視線は変わらず周囲を映さないように下を向いていた。


 何か、少しでも姫川さんの気を紛らわせることが出来れば・・・・・・。

 適当な話題を振ることも考えてはみたものの、それでもやっぱり周りは気になるだろうし、何よりも落ち着くために座ったというのに、喋り続けるというのは意味がないような気がする。

 周りを忘れて没頭できること――。そんなものがこの場にあるだろうか?

 考えながら腕を組むと、ジャケットの内ポケットに、ある感触を思い出す。

 そこから取り出したのは、ワイヤレスイヤホンのケースだった。

 今日はずっと姫川さんと一緒に行動するのだから使う機会が全く無いのはわかっていたのだが、いつもの癖で持ってきてしまった。

 ――これならいけるかもしれない。


「姫川さん」


 左隣に座る姫川さんに声をかけると、ゆっくりとこっちを見てくれる。


「・・・・・・はい」

「これ、よかったら使ってください」


 そう言って、取り出したワイヤレスイヤホンを差し出した。

 それを見た姫川さんは、少し困惑した様子だ。


「えっと、これ、イヤホンですよね?」

「はい。音楽でも聴いて目を瞑ったら、少しは気が紛れるかなって」


 俺も電車などの長距離移動ではよくそうする。

 実際、長い時間でもあっという間に感じられる。


「でも、日乃ひのさんと一緒にいるのに、わたしだけ・・・・・・」


 たしかに、普通は褒められた行動ではないと思う。

 


「じゃあ、こうしましょう」


 俺はイヤホンの片側を、右耳につけた。

 そして、残ったもう片方を姫川さんに手渡す。


「こうすれば一緒に聴けます。音楽でも、動画でも、姫川さんが聴きたいものを聴きませんか?」


 姫川さんは手のひらにあるイヤホンを少しの間見つめ、やがて左耳にそれをつけた。


「わたし、日乃さんの好きな音楽を聴いてみたいです」

「俺のでいいんですか?」

「日乃さんのが、良いんです」


 そう言って笑う姫川さんに、陰は微塵も無かった。


「それじゃあ、そうしましょうか」

「はい」


 俺のスマホとイヤホンを接続し、なるべく落ち着いた曲調の集まったプレイリストを選択。

 曲が始まると、姫川さんは目を閉じる。そして、その頭を俺の左肩に預けた――。

 突然のことに、驚いてしまった。

 でも、姫川さんの落ち着いた表情を見たら、動けるわけもなかった。

 ・・・・・・俺も曲に集中した方が良いな。


 自分の心音が騒がしくなっているのを感じながら、俺も目を伏せる。

 さっきまでの喧噪が嘘みたいに、ここにいるのは姫川さんと自分だけのような、穏やかな時間だった――。

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