第一章

第1話『店員さん』は『常連さん』を気に掛ける。

 俺が『常連さん』である女の子を初めて接客してから、数日が経った。

 その間、『常連さん』は毎日来店し、その度に俺が接客の対応をしていた。

 たった数日とはいえ、毎回接客していれば気付くこともある。

 例えば、必ず決まった席に座ること。他の常連のお客さんにも言えることではあるけれど、それぞれ定位置があるらしく、いつも使う席は自然と空席になっていることがほとんどなようだ。

 次に、注文では毎回ケーキセットを頼む。ケーキの種類に拘りはないのか、毎回違う。ただ、セットの飲み物は必ずコーヒーを頼んで、ブラックで飲んでいるらしい。

 コーヒーには必ず砂糖とミルクを添えて出すのだが、叔父さんから「彼女にはつけなくて大丈夫」と教わった。

 これも伯父さんから聞いたことだけれど、彼女がこの店に来るようになったのは、丁度去年の今頃だったらしい。そして、毎回一人で訪れるのだという。


 いろいろな決まりがある彼女だが、店内での過ごし方には決まりが無かった。

 初めて接客をした日は外の景色を眺め、その次の日は本を読み、また次の日はイヤホンをつけて過ごしていた。

 ――そんな今日も、『常連さん』は窓際のいつもの席に一人で座っている。


 さすがに連日手伝いを続けた甲斐があり、俺も喫茶店の仕事が板に付きだした。ミスもほぼなく、スムーズな接客が出来はじめていた。

 今も、ついさっき来店したばかりの『常連さん』にお冷やとおしぼりを渡したところだ。

 『常連さん』にも俺の存在を慣れてもらえたのか、前ほど声が小さくなることも言葉が詰まることも少なくなっていた。――ただ、今日の常連さんには違和感を覚えた。

 具体的にどこがと聞かれたら難しいけれど、表情というか雰囲気にどこか暗いように感じる。

 まあ、気になったところで何か出来るわけでもないんだけど。


 常連さんがすぐに注文することにも慣れ、俺はすぐにメモを取り出す。


「ご注文はどうされますか?」

「えっと、ケーキセットを。ショートケーキとブレンドでお願いします……」


 『常連さん』に対しての接客はたった数日のうちの数回だけだが、このやりとりにも決まり事のようなものが出来上がりつつあった。

 初めての接客の翌日、注文時に「コーヒーはケーキと一緒で大丈夫です」と予め伝えられ、それが次の日も続いた。

 そして三日連続になりそうなところで、俺の方から「コーヒーはケーキとご一緒ですよね?」と先回りして確認してみた。

 すると彼女は少し驚いた顔をし、それからすぐに恥ずかしそうに頷いた。それからは注文時のやりとりが一つ短縮されることになった。


 注文を受けた俺が叔父さんへ内容を伝えると、


「……ショートケーキか」


 どこか引っかかったように呟いた。


「もしかして、切らしてた?」


 もしもそうだったら、また謝りに行かないといけない。

 笑われた時のことを思い出して、俺は内心で苦笑する。


「いや、そうじゃないよ」

「それじゃあ、どうしたの?」

「彼女、ショートケーキは滅多に頼まないんだよ」

「そうなんだ」


 叔父さんの「滅多に」がどのくらいの間隔でかはわからないけれど、その理由はなんだろうかと考える。

 ショートケーキでパッと思いつくのは、やっぱりお祝い事やご褒美だろうか。それか、単純に他のケーキと比べてショートケーキの優先度が低いという線もありえる。

 色々と考えは浮かんだものの、今日の『常連さん』の雰囲気を思うと、どれも違う気がする。

 たまたまショートケーキの日と重なっただけで、何の関連も無いかもれしれない。 

 でも、俺にはそうは思えなかった。


 『常連さん』が座る席を見ると、彼女は窓の外を眺めていた。今も変わらず、暗い雰囲気を纏っているように見える。

 その表情はどこか憂いを帯びていて――。


 ――不意に、叔父さんに肘でつつかれた。


「なに?」

「ちょっと話でも聞いてみたらどうだ?」

「……は?」


 突然何を言い出すのかと思い、間の抜けた声が出た。

 そんなとんでもなくハードルの高いこと、俺に出来るわけがない。そもそも喫茶店の店員から接客と関係ない話を振られたら困るし嫌だろう。

 例えば、実店舗へ服を買いに行ったとしよう。店内で服を見て回っていたら店員から話しかけられるというのは、誰しも一度は経験があると思う。

 そこで大きく二つのタイプに分かれるだろう。

 一つは話しかけられても構わないタイプ。もう一つは話しかけて欲しくないタイプ。俺は間違いなく後者。

 それでも嫌な顔せず対応出来るのは、相手もそれが仕事だと理解出来るからだ。


 ――しかし、ここは喫茶店だ。

 中にはマスターと個人的な話を出来るほどの近い関係性のお店もあるだろう。

 実際、叔父さんもカウンターに座るような年輩の常連の方々とそういった他愛も内は話から悩みまで聞くことがあるらしい。

 でも、相手は俺と年の近そうな女の子。しかも、話しかけるのは頼りがいのありそうな店主ではなく、最近来たばかりの平々凡々な店員だ。

 それなのに、叔父さんは至って真面目な顔で言っている。


「普通、そんなの困るでしょ……」

「大丈夫。骨は拾ってやるからな」

「大丈夫の使い方が下手過ぎない!?」


 そもそも、俺――日乃桐真という人間は、それほどコミュ力が高いわけじゃない。

 以前の高校までを含め、ハッキリ「友達」と呼べる存在は片手で数えられるくらいだ。でも、大勢でつるむのが苦手な性質なので、それを悲観したりしたことは一度も無い。

 人脈は大事だとは思うけど、それほど多くの人を気にかけられるほど、俺は器用ではないと思っている。

 そんな人間に、ほとんど何も知らない相手の悩みを頼まれてもいないのに聞こうだなんて、絶対に無理だ。


「まあまあ、騙されたと思って」

「叔父さん。詐欺は犯罪だから」

「いやいや、これは年長者からのアドバイスだぞ? 人生、やって後悔するより、やらないで後悔することの方が多いからな」

「……それ、結局は後悔してるじゃん」


 叔父さんの言い分に、俺は呆れつつ溜息を吐く。


 今の話を踏まえて考えると、俺はやって後悔する方が嫌だ。

 学校のテストや、ゲームなんかでミスをした程度の後悔なら別にいい。

 大抵、それには“次”があって取り返しが付く。

 でも、世の中には取り返しの付かないこともたくさんある。――人との関係は特に。

 そんな後悔を味わうのなんて御免だ。


 突然、叔父さんがくつくつと笑い出した。

 それが俺には鼻について、仕方がない。


「……なに?」

「いやいや、桐真とうまの言い方だと行動しようが行動しまいが、彼女のことで後悔しそうなんだなと思ってな」

「は!?」


 静かな店内に、一瞬で俺の声が響き渡ったが、お客さんたちは然程気にした様子もない。『常連さん』に至っては気付かなかったのか、変わらず窓の外を眺めていた。

 俺は目が合ったお客さんに軽く頭を下げてから、叔父さんを睨む。

 それでも叔父さんは変わらずに笑っている。


「だって、もし相手のことがどうでもよかったら、相手が困るかどうかよりも話を聞く理由の方がないって思うだろ?」

「…………。」


 否定が出来なかった。

 事実として、俺は彼女の小さな違いが気になってしまっていたのだから。


「ま、それはともかくとして、これは持って行かなきゃな」


 俺と話している間にも叔父さんはきびきび動いていたこともあり、いつの間にか『常連さん』の注文の品を用意し終えていた。


「それは持って行くけど……」


 こんな話をした直後に常連さんのテーブルへ行くのはかなり気が引いてしまっていたけれど、これも仕事だと割り切ってトレーを持った。


「少しくらいなら戻るの遅くなってもいいからな」


 ……無視だ、無視。


   *


「……お待たせしました」

「あ……ありがとうございます」


 彼女はずっと考え事をしていたのか、俺が声を出すまでその視線は外へ向けられたままだった。


 ケーキとコーヒーが目の前に置かれても、『常連さん』の顔はやっぱり晴れることはなかった。目線は向けられていても、目に入っていないように見える。

 ……やっぱり気になる。

 最初に感じた時よりも、明らかに気が落ちているのが目に見えてわかるようになっていた。

 でも、それは個人の問題で、他人の俺が踏み込んでいいことじゃない。わかってる、わかってはいるのに……。


「――あの」

「……え?」


 気が付いたら話しかけていた。

 ここから何を話すべきなのか、そんなことは全く思いついていない。それでも話しかけてしまったからには、何か言わないとだ。


 そんな状況で飛び出した一言は――――、


「……えっと……そ、そうですね?」


 彼女を明らかに戸惑わせた上に、もの凄く気を遣わせてしまった。

 何故なら、外の天気はなのだから……。

 そもそも快晴だったとして、初手が天気の話って……。

 自分の会話レベルのあまりの低さに、メンタルはこの上なく最悪になっていく。

 ……最悪だ。


 しかし、こうなってしまった以上は仕方がない。

 ここで会話を止めて逃げたら、それこそ変な奴のイメージが定着して後悔どころの話じゃなくなってしまう。

 俺は少しでも気持ちをリセットしようと、大きく深呼吸する。


「……すみません。本当はそんなことが言いたかったわけではなくて……」


 『常連さん』は首を傾げ、俺の顔を見ている。


「何というか……お客さんが悩んでいるように見えて……」

「……それは……」


 彼女の口からは否定も肯定もされなかった。その代わりに、表情が俺の考えを肯定していた。


「えっと……話を聞いたら、楽になったりするかなと思ったんです……」


 “話を聞く”という発想は叔父さんのものとはいえ、彼女の様子が気になったのは事実だ。その理由は自分でもわからない。

 ただ、彼女の暗い顔を見たら、落ち着かない自分がいることだけは気付いた。


 俺の言葉に『常連さん』は面食らったように瞬きだけを繰り返している。

 そして、そのまま俯いた。


「……あの……ごめん……なさい」


 俺が勝手に言い出したことなのに、まるで彼女自身に非があるように謝った。

 しかし、今の俺にはそれを読み取れるだけの余裕はない。断られたという事実だけが頭にある。


「よ、余計なお世話でしたよね……すみません。コーヒーも冷めちゃいますから、忘れてください」


 なるべく明るく振る舞うよう意識しながら言葉を絞り出した。

 それでも、上手く笑えてる自信は無かった。

 俺は逃げるように、その場からすぐ離れたのだった。

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