初めてのお出かけ

 中心界に来てから十五日。目覚めてから十日。

 寝るときはいつも憂鬱だった。毎晩毎晩夢にうなされる。

 その正体ははっきりとは分からない。過去のトラウマが今更になって起こっているのか、スピリチュアルな前世の記憶か。中心界にいる野生の妖精の仕業かもしれない。取り敢えず判明しているのは、悪夢が毎晩起こるということ。皆勤賞おめでとう。

 内容はとても曖昧だ。

 周囲からは轟音がしていた。警報が混じっていて、人々の悲鳴も聞こえた。

 隣にいるのは、恐らく近しい人物で、顔も声もはっきりしない。ただ分かるのが、俺はきっと、その人物を十年以上も大切に思ってきているという事実。俺たちは座っていた。席を立っても到着するまで外には出られないので、諦めて読書でもしていたのかもしれない。そんな静かな夢から始まって、最後には恐怖で目を覚ます。

 正体が不明なまま、今日も目覚めた。奇妙な蟠りが頭に取り付いて落ち着かない。

 アラームが鳴って眠気を払拭した。窓ガラスの光遮断を解除し窓を開ける。十日も経てばもうこの球体のことはすっかり理解していた。正式名はスフィアグラフという。俺はスフィアグラフをカスタマイズして朝になるとその日の情報を3Dホログラムで表示するようにした。現在、空中には可視化されたデータが浮いている。分単位での天気、湿度、風速、降水確率、最新ニュース。

 十日の間、俺はただ彼女たちと戯れていた訳ではない。

 俺は探っていた。人界へ帰る方法を。

 いくら彼女たちと笑顔を交わしても、俺が望郷の念をなくすことはなかった。帰ることなど不可能、と言われても確認せずにはいられない。

 まず考えたのがオンラインで調べ物をすることだ。しかしこれはすぐに断念した。スフィアグラフで接続を試みるも、肝心なところでアクセスを拒否される。普通の調べ物なら可能だが、帰る方法を探ると決まって「閲覧権限がありません」と表示される。

 次に訊くが早しと思うも、ここの住人は肝心なところまで教えてはくれなった。尋ねてもはぐらかされるのだ。召喚士に訊いても、魔法使いに訊いても同じだ。まりしろならボロを出してくれると考えたが、子猫は見た目以上に頭が良い。結局訊けず終いだった。

 唯一残された手段として、俺は読書をすることにした。図書館へ篭り帰る方法を探った。

 一日のうち、ほとんどの時間を図書館で過ごした。たまにルーナが分厚い魔法書を取りに来たり、まりしろが昼寝するために来たりしたが集中して取り組んだ。

 蔵書数は一般的な市民図書館を上回っていた。ジャンル別に分けられていたので本を探すのには苦労しなかったが、肝心の記述は見つからなかった。一階の棚を調べ二階の棚を漁り三階の棚を探り四階の棚を貪ったが、十日が経過した現在も発見には至っていない。

 もはや八方塞がりだ。ここまで彼女たちが言うのだから、本当に帰る方法はないのだろうか。何度も諦めそうになって、それでも調査を続けた。あるかも分からないものを探すだなんて考えただけで虚しいが、希望は捨てないに限る。

 俺は隣の部屋に行って着替え、鏡を見て爆発した髪を整えると食堂へ向かった。

 扉を開けて廊下に出ると、ばったりまりしろを抱き抱えるナナ、気怠けに歩くシャウラと合流した。その光景は半ば習慣化していて、大抵出会う時間は決まっている。廊下で出くわせば俺がまりしろを抱え、噛み癖で右の首筋をはむはむされながら、シャウラに後ろから左の首筋を噛まれるのだ。そうしながら食堂へ向かう。

 習慣化した中心界の生活を危険に思いつつも、俺は従者たちとともに食堂へと入った。

 朝食のメニューは基本的にシルプルなことが多い。色合いが良いので恐らくは栄養的にもバランスが良い。味は不満なく、舌触りも抵抗がない。まりしろは野菜らしき謎の物質を俺に押し付けてはナナに叱られ、シャウラが偏食をしてはミィリィさんに睨まれていた。

 食事中、俺はあることで頭がいっぱいだった。そう、日本食である。

 大豆がこれほど恋しい存在だとは知らなかった。醤油の摂取不足で心なしか精神が不安定である。きっと悪夢もその所為だ。

 食事中はよく言葉が飛び交う。まりしろの「これきらーい」やアリシアの「あはは」やミィリィさんの「シャウラ、行儀が悪いですよ」などなど。彼女たちの会話から、それぞれが本日どのように過ごすのかが判明した。

 アリシアとミィリィさんは学校へ。まりしろは学校には通っているが長期休暇中なので予定はなし。ナナは修理屋業があるがルーナが街へ出掛けるというので良い機会だからついて行くことにしたらしい。シャウラは睡眠だ。夕暮れ時に目を覚ますだろう。俺は予定なしだ。

 食事が終わり各々が動き出すと、俺はふと思った。

 ここへ来てから十日間、いまだ敷地の外へ出たことが無い。考えたくはなかったが、これはまさか引きこもりというやつではないだろうか。登校もせず働きもせずとは、ニートである。俺は生業がないことに後ろめたさと居心地の悪さを感じた。

 連れて行って貰おうとルーナに声をかけた。ルーナはなぜか困ったような顔をして、「アリシアに訊いてみないと」と言った。どうしてだろうか。召喚士の許可なしに従者は活動が出来ないのか?

 二十分待たされた。ルーナが交渉へ行っている間、俺はまりしろと遊んでいたので余裕だったが、そんなに時間を掛けることか? アリシアの登校時間を遅らせてまで議論することか? 俺には疑問だった。俺が街に出て、何か困ることでもあるのかと。

 結局外出の許可は下りた。ルーナ、ナナ、俺のメンツで行くはずだったが、まりしろも同行するという。一人でいるのはつまらない、とのこと。俺はそりゃあそうだと納得した。

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