故郷の味

「けいとのえっち」

「軽蔑します」

「警察署でことに及ぶなんて、ケイは勇気がありますねっ!」

 一人だけ発言が危ういが、まりしろとナナの発言が一般常識なのだという。俺は知らず、獣人の耳と尻尾を触れることはタブーであるという。人界の法律で考えれば痴漢と言ったところだ。つまり俺は、あろうことか警察署内で犯罪を犯していたことになる。まみずちゃんの不自然な反応にも合致がいった。

 まみずちゃんからしたら俺は命の恩人で、どんなお願いも断れない状況にあったと言え る。断れない少女に強要し、わいせつ行為に及ぶ怪しい若者。もはやただの変態だった。少し前にシャウラとナナとルーナを変態呼ばわりした気がするが、俺まで変態ではないか。中心界の変態が飽和してるよ。

 先ほど連絡先を交換した仲であるものの、変態と関わる物好きはおるまい。着信拒否をされても言い訳すらできない。通報されれば一巻の終わりだ。いやむしろ自首しようか。

 事は俺が謝罪することで段落が着いた。

 女性連中に怒られる哀れな人界人を見て、なぜだかまみずちゃんは加害者の擁護をしてくれた。なんて慈悲深い。余計に自分が情けない。

「あれぇ、まみず?」

「まりちゃん」

 驚くなかれ、まりしろとまみずちゃんは知り合いだった。同じ学校に通う友達だそうだ。見た目年齢に差があるのだが、実際は同い年で仲が良い。俺が助けたのは不思議な巡り合わせだ。

 まりしろの友達に手を出してしまうなんて……、おっと、この話はもう止めにしよう。

 二人が会話に夢中になっているあたりで、事件について色々と思った。

「怪我がなくてなによりだけど、人質ってお前」

「不可抗力ですよ! 効果の切れた魔法石を補充しようとお店に入ったら、強盗がくるなんていくら魔女でも予知できません」

「それにしても問題を起こし過ぎな節があるな。先日グレムリン暴走事件を起こしたばかりだろう。悪霊にでも取り憑かれてるんじゃないか? ナナ、ルーナって不幸体質だったりする?」

「まあトラブルは絶えませんね。困ったものです」

「ちょっとナナ! それを言うならそっちこそ色々しでかしてるじゃんか」

 口論が続くが俺からすればどっちもどっちだ。

 その後、まみずちゃんの母親がやってきて深々と感謝された。普段されないことがあると調子が狂う。それとなく対処して事なきを得た。手を振って別れたのち、俺たちも警察署を後にすることにした。ブルーディー警部補とその女性部下とも挨拶を交わした。

 そんなこんなで午後二時だ。これからどうしようかと話していたところ、俺はふと気づいた。祭りの後の安堵のためか、急激に欲求に駆られた。

「ハラヘッタ」


 ○


 途方もない和食欲に駆られていた俺ではあるが、しかし日本料理店が見つからなければどうにもならない。人界の辺境を知っているものは中心界には少ないだろう。きっと日本人も数える程度にしかいない。

 結論から言えば、この街にはなかった。都会にならあるだろうという浅はかな思考は当たらなかった。非常に残念であるが仕方がない。世界は広し。六界が混ざり合った中心界であれば、いずれ見つかることだろう。

 という訳で、一行は遅い昼食のためにレストラン「らっしゃっせーましまし」にやってきた。名前に意味はないらしい。日本風の店に思えるが、これは店名が翻訳されているだけだ。どちらかといえば霊界色が強い店である。

「うへぇー、お腹ペッコペコだぁー」

「色々あっからなー、早く頼もーぜ」

「私今なら五人前行けますよ!」

「それはさすがにキャパシティーオーバーでしょう」

 都市の中心部より少し離れた場所にあるこの店は、喫茶店のような落ち着きがある。店内には騒々しさがなく、ゆったりできる空間となっていた。魔法石強盗事件の発生地よりも離れているここは、ほとんど被害がなく、いたって普通の雰囲気が漂っている。

 メニューを一瞥する。

「タイニードラゴンのから揚げ定食」「空草のフレッシュサラダ」「マジロノのお刺身セット」「ケサランパサランフライ」「ハートビートミート」「ワイバーンズブラッド・レインorマグマ」「もぎたてブラッドオレンヂ」「スクリームアイスクリーム」「ミレスタル産ミスティーフルーツ焼き(真夏のサーフィン味)」等。

「…………」

「まりはアイス」

「ダメです」

「私は無難に雪国のグリルで」

 無難ってなんだよ。雪国のグリルは無難な料理なのか? 情報に基盤のない俺は判断すらできない。この中から選べだって? 一つも想像がつかん。

「そろそろ頼んでもいいですか?」とナナが言うと、店員を呼んだ。

 この世界の店で店員が直接注文を聞くのはデフォルメだそうだが、店のコンセプトが霊界らしく、技術に頼らない経営方法だった。

 各々が料理を注文していく。発言に困った俺は店員に尋ねた。

「おすすめありますか?」

「本日のおすすめはムツリ魚の姿焼きです」

 魚? 姿焼き? おすすめというのだしある程度想像がつくから安全だろう。俺はそう考え、「じゃあそれで」と言った。

「ケイトに中心界というものを見せるのがコンセプトでしたけれど、結局何も分からずに終わってしまいましたね。食事が済んだら帰らないと日が暮れてしまいます」

「いやある程度は分かったと思うさ。どうにも治安がおかしい」

「あれは滅多にないことですよー。間違った常識を覚えちゃダメです」

「ルーナに言われるとなんかむかっとするな」

「ええっ!? なんでぇっ!」

「なんであんな都合よく問題に遭遇するかね」

「今日のは私に非はありませんよぅ」

「ルーナは屋敷のトラブルメーカーです」

「ご飯まだかなー」

 しばらくすると料理が運ばれてきた。そして俺は口をあんぐりと開けた。

「ツムリ魚の姿焼きになりまーす」

「え……」

 ビジュアルが食べ物ではない。魚のくせに足がある。目玉がこちらを見つめている。水面に漂う油のよう色合いの鱗をしている。アゴがしゃくれている。牙がめちゃくちゃ鋭い。見ようによれば深海生物である。甲殻類とトカゲを混ぜたようである。これは食べれるのか? そもそも食べ方が分からない。

 ひとり絶望していると他の面々は食事を始めた。まりしろはようやく来たか! と息をふんふんさせて料理にガッつき始めた。ナナがその食べ方を叱り、ルーナは横で微笑んでいる。

「ケイ、どうしたのですか?」

「衝撃のビジュアルなんだけど、これは食べ物なの?」

「これは霊界の魚ですよ。森を走り回る奴です。焼いて食べるのが普通ですね。美味しいですよ?」

「あーそっか、魚って走るもんな」

「そうです」

 洗脳されていくようだった。知らずのうちに概念が破壊されていく。

 見た目に反して味が良い、とあった料理は人界にもあるものだ。タコもイカもカニも美味ではないか。きっとこれも絶品なはず。なんてったって「らっしゃっせーましまし」のおすすめメニューだ。

 ぱくり、とひと口。

「あ、美味いじゃん」

 食わず嫌いがよろしくないと言われるいい例だった。がつがつむしゃむしゃと食らいつくまりしろを除いて、店内には心地よい雰囲気が漂い、さらに美味しく感じた。

(あーあ、この魚にあれがあったら最高なのに)

 求むるものは言わずもがな。唯一のあれである。日本人としての矜持。いやいや私はそんなことないわよと思う人には申し訳ないが、少なくとも俺の存在証明。摂取せねば気が済まん。

 だーれか都合よく持ってないかなぁー!?

 そう思った矢先である。

 ふと、俺の鼻を覚えのある匂いが突き刺した。そう、それはあれであった。十日間に及び求め続けてきた。俺の体の七十パーセントを占める液体。漢字二文字でひらがな四文字。

「ケイト、どうしましたか?」

 俺は無言で席を立つ。質問に答えずにそのまま歩みを進める。匂いの元へ。

 辿った先にはテーブル席があった。座っているのは三人組。男一、女二。

 連れの者には目もくれない。顔すら見なかったと思う。それくらいに俺は集中していたのだ。そして見る、男の右手にあるものを。

 それは醤油、かの者である。

「神はいた!」

 周りも気にせずに俺は叫び、恐らく涙を流していた。醤油の持ち主は日本人で、彼は俺の言動に困惑していた。無理もない。

「けいとが壊れた!」

「あー、たぶんあれは副作用ですね。ムツリ魚の体液には幻覚作用がありますから」

 とルーナ。

 おい、そんなもの客に出して平気なのかよ。

「えーと、この変なのはあんたらの連れ?」

「え、知りませんよそんな恥ずかしい人」とナナ。

 扱いが酷すぎる。

 俺がただの馬鹿みたいじゃないか。

 まあ、それも考えようによるかもしれないけど。女の子をひとり助けたことは評価してくれたって良いじゃないか!

 瞳から流れる涙は感激から悲哀へと変わっていた。

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