トラブル
瓦礫とともに落下した俺と女の子は水中にいた。
深界人用の専用レーン。ウォーターロード。人気は一切ない。警察によって道が塞がれているのだ。落下した勢いで空中に浮いているウォーターロードを貫通して、更に下の道に落ちる。何度も身体に衝撃が伝わって叫びそうだった。最後には地面に叩きつけられて停止した。水のおかげで最小限のダメージで済んだ。意識はまだある。
思えばおかしな話だ。
中心界に来てから、変なことばかり起こる。俺にとっては希代不思議だが、ここではそれが普通なのか? いや、違う。こういった事件は稀にしか起こらない。だから巻き込まれるのも、本当に稀有なことだ。そんな中で、俺は女の子を庇おうと命を張っているのか? まゆで中心界の一員のようなことをしている。
喧騒はまだ収まらず、耳をつんざく。
橋があった場所に目を向けると、驚愕の光景があった。
「……!」
俺とともに落ちたはずの大橋の残骸は、なんと空中で停止している。
「おい、大丈夫か!」
右側から声がした。見ると一台の警察車両が無造作に停められていて、車体の上に一人の男性が立っている。姿を見るに人界人。
男性は両手を瓦礫の方へ向けていた。橋の残骸は空中で落下の速度を落として、ゆっくりと地面に近づく。
そうか、……あの人が制御しているのか。
恐らくは魔法とは少々異なる能力。サイキック。念動力。
男性はスーツ姿で険しい顔をして瓦礫を操り、誰もいないスペースへ残骸を下ろした。被害は最小限に抑えられた。車両から飛び降りた男性はこちらに走り寄って声をかける。
「おい、この子どもたちを見てくれ!」
車に乗っていた警察官へ叫ぶ。
「ところで少年、あの様子からして、人質の女性は君の知り合いか?」
冷静さを保ちながら男性が言う。彼は人界人だった。
「知り合いも何も、同じ召喚士を持つ従者です」
「そうか……けれど安心しろ。私が救ってこよう」
背中を向けると、男性はその能力で瓦礫の山を踏み台にして橋のあった場所まで登った。そして犯人グループが逃げていった方向へと走って行った。その動作はほんの一瞬だった。彼はきっとただの警察官ではないのだろう。それは恐らく、俺のあずかり知らぬところだが。
一人の警察官が来て、こちらを伺う。彼は中年の魚人だった。こちらの人は警官服だ。
「どこか痛むか」
「いえ、まあ……」
俺が曖昧な答えをしていると、その間に警察官は正八面体の白いデバイスを取り出して空中へ浮かした。デバイスは緑色の光を浴びせながら俺と少女の身体をスキャニングした。
「ああ、負傷は……なしか。それで、あー、痛みだけだな」
デバイスから投影されるディスプレイのデータを読み取ると、男性は言った。
「さっき人質の身内だって言ったよな。念のため署まで来てくれるか? 事件はすぐに収拾がつくだろう。ピースキープが向かったからな。あと、そこの気を失ってるワンコも一緒にな。身元の確認を含めて」
ワンコって、いやまあ、獣人だけれども……。
「立てるか?」
「はい」
警察官に誘導され、俺と少女は警察車両へ乗った。そのまま上空の道へ合流して、署へと案内された。
○
「名前は?」
「七海敬斗です」
「出身は?」
「人界の日本です」
「年齢は?」
「十八歳です」
「仕える召喚士の名前は?」
「アリシアです」
「なるほど」
奇跡的に無傷で窮地を脱した俺とオーストラリアンシェパードのような姿をした犬獣人の女の子は、警察署内の一室にいた。テーブルを隔てて正面に座っているのは魚人の中年警官だ。今は身元等書類確認の為に質問攻めにあっている。室内の家具は明るい色に統一されていて窮屈な印象は一切ないのだが、警察署に来るのは初めてのことで、何やらヒヤヒヤする。悪いことはしていないので堂々としていれば良いのだが、どうも苦手だ。
先ほど警官から挨拶を受けた。彼はブルーディー警部補だそうだ。
ブルーディー警部補はテーブルと一体になっているコンピューターを操作して、空中に浮かんだデータを確認する。
「アリシア、あったぞ。それで君が人界従者の七海敬斗……」
調べるだけで出てくるのか。というか、俺の戸籍はすでに登録済みなのか。アリシアかミィリィさんかが役所に届け出たのかもしれない。いかにも未来的、情報管理社会。多少の生き辛さも感じる。
周囲では警官が忙しそうに動き回っていた。そりゃあそうだ。あんなテロ紛いな事件があってゆったりしていたならば、その部署はただのサボタージュ集団だ。
「あれ、君はまだ仮契約なのか。こっちに来て本日で十五日目。来界してそうそうこんな事件に巻き込まれるだなんて、運がいいな!」
ブルーディー警部補はニヤリと笑う。
「冗談よしてくださいよ。死にかけたんですから」
おかげで女の子を助けられたけど。
「あれ、……って、仮契約?」
「ん、何か間違いがあったか? おいおい、誰か不備をした者がいるのか」
「あ、いえ、そういうことではなく」
よく分からない。
「そうか、合っているならいい」ディスプレイを操作して、ウィンドウを閉じた。
自動ドアが開かれて、二人の人物が入ってきた。一人は警官服の女性で、もう一人は犬獣人の女の子だ。女の子は肩に毛布を掛けていて、寂しそうにそれに縋っている。
女性警官に促された少女は、俺の隣にある椅子に座った。うつむいている。ショックだっただろう。恐ろしい騒動に巻き込まれて、トラウマになっているのかも。きっと早く母親に会いたがっている。
「精密検査をしたところ一切の怪我はありませんでした。詳細は既にそちらに送ってあります」
「確認した」
ブルーディー警部補と事務的な会話をする。それから俺の方を見る。
「あなたがこの子を助けたヒーローね」
からかいの混じった笑みをこぼして女性が言う。
「ナイスガッツよ」
「あはは、どうも」
あまり褒めないで欲しい。顔が綻ぶ。調子に乗ってしまう。
「おい、世間話している暇はないだろう。あの事件で今は人手が足りていない。君も事後処理に励め」
すると女性は口を尖らせた。
「もうすぐお母さんくるから待っててね」
少女に告げて頭を撫でると、女性は仕事へ戻っていった。
「えーと、君の名前はまみず、まみずちゃんだな」
「……はい」
声はか細い。まだ怯えている。
「それじゃあ保護者の方来るまで座って待っててくれ。退屈だったらテレビでも付ければいい。七海君もな。彼女の事情聴取はもう少し掛かるかもしれないが、どうせなら終わるまで待っていた方がいい」
「はい、そうさせてもらいます」
ルーナはあの後無事に救出された。犯人たちは破壊の限りを尽くしていたようだが、馬鹿の集まりだったとブルーディー警部補から聴いた。確かに連中は馬鹿だった。宝石強盗をするにしてもあんな白昼堂々とするものではないだろう。ルパンのようにこっそりとするべきだ。
犯人逮捕を早まらせたのは黒スーツの人のおかげらしい。明らかに強そうなサイキックの能力で、事件を無事に治めた。科学が発展すれば事件の規模も大きくなるのだろうが、この世界はそれ相応の治安維持能力を持っていたのだ。
ブルーディー警部補は忙しそうに持ち場へと戻っていった。
周りではけたたましく警官が動き回っているが、俺と女の子(まみずちゃん)のいる場所だけは、不自然に静寂があった。どうしようか、まみずちゃんは不安そうにしている。
「あー、テレビつける?」
「……はい」
これまたか細い返事だ。俺はテレビをつけようとする、がつけ方が分からない。
「あ、あれ?」
女の子の前でかっこ悪い姿を見せてしまった。中心界のテレビなんてあまり知らない。家にあるタイプとも異なっている。
「ここのボタン……です」
「あ、ありがとう」
映し出されたのはニュースだ。昼間の凶悪事件。タイミング悪く爆発の瞬間が放送されている。まみずちゃんは「ひぃ」と悲鳴をあげた。思い出したくないことだろう。
「あー、やっぱり消しておこうか……」俺が電源を切ろうとすると、
「いや、待ってください!」
と、まみずちゃんが顔をぐっと近づけて俺を引き止めた。
「あの、その……あなたが、映るかもしれない……ので」
「えーと……」
どういうことだろうか。俺が映る? ああ、確かにそうかもしれない。騒動の最中には幾つもの車両が空中で待機をしていた。その中に紛れてテレビ局の車が犯人の暴走の様を録画していたのだろう。であれば、もうすぐ橋が崩れ落ちる映像が放送されるのだろう。
案の定それは流れた。事件のリプレイ映像にニュースの出演者が何やら発言している。
現地のリポーターがリアクションする声が混じっていて、「今誰かが巻き込まれた様子が見えました!」なんて言っているのが聞こえた。まあその人物は俺なんだが。俺とまみずちゃんなんだが。
「……」
まみずちゃんは画面に釘付けになっていた。その横顔は幼げを残しつつもどこか大人びていて、事件中に推測した年よりもいくつか上のように思えた。まりしろよりも一、二歳年上くらいに見える。けれどその年の割には落ち着いている。オーストラリアンシェパードのような耳は垂れ耳で、ブラックトライの色合いをしていた。尻尾はとても短い。
あれほどの爆発があったとはいえ、奇跡的に死者はいなかったそうだ。いても数人が怪我をした程度だ。ここの警察はかなりの治安維持能力を持っていると言っていいだろう。
それにしても、後からヒーローインタビューでもされたらどうしようか。あまり騒がれるのは困る。持て囃されたくてまみずちゃんを助けたわけじゃない。見逃す自分が許せなくなった。たったそれだけのことだ。
画面が切り替わって別のニュースになる。日本であれが起きたら数日は報道されそうだが、案外あの規模の事件は気にされないのかもしれない。ブルーディー警部補は滅多に起こらないと言っていたが、それだけで判断するのも早計だ。
俺がそんなことを考えていると、
「かっこいい……」
と、まみずちゃんが呟いた。
「あの、七海さん、と仰いましたよね? 私はあの、さっき聞いたかと思いますがまみずと言います。さっきは私を助けてくれて、本当に、あ、ありがとうございましたっ!」
顔が紅潮している。
「ああ、でもまあ、そんな堅苦しい恩を感じたりしなくていいって」俺は微笑む。「俺はそんな、大げさなことはしていないし……」
「そんなことないですっ!」
まみずちゃんが急に間合いを詰めてきて勢いよく言うので俺は少し驚いた。
「だって、私、あなたに助けられていなかったら、きっと今ごろ……うぅ」
瞳に涙が溜まっていく。
「ち、ちょっと、マイナス思考はよくないって。もう終わった事なんだから」
「……はい、それもそうですが」
それから少し静寂が続いた。特に気にする訳でもなくナナやルーナが来るのを待っていると、とても強い視線を感じた。まみずちゃんが尻尾をブンブンと振りながらこちらをチラチラと見るのである。尻尾を持つ種族は感情が隠せなくて大変だな。
「どうかした?」
「いっ、いえ、なにも……
「尻尾が荒ぶってるけど」
「あっ、あの、これは違くて! って、み、みないでくだ……さい。恥ずかしいです」
手で尻尾を必死に隠すが、感情は丸見えだった。
「隠さなくても別に。言いたいことがあるんなら言った方がいいよ」
尻尾の様子から彼女の感情は予想がついたが、まみずちゃんが放った言葉は予想の遥か上を行くものだった。
「それじゃあ、えと、連絡先を交換しては頂けませんか? その指、リングタイプのデバイスですよね」
「ああ、うん。いいよ」
彼女の意図がイマイチ掴めないまま、俺は頷いた。
あれ、でも使い慣れていなくて方法がわからない。
「私のもリングタイプなので方法は知ってますから大丈夫ですよ。握手するんです」
疑いつつも言われた通りにすると電子音とともに視界に文字が出現した。
【登録申請を受けました。申請を許可しますか?】俺ははいを押した。
登録を終えた後、まみずちゃんは嬉しそうに登録された俺の名前を眺めていた。子どもはたまによく分からないことをする。それだからこそ可愛がりようがあるのだろうが、それにしても分からない。それから少しの間、「こんにちは」や顔文字を送り合って遊んだ後、ハタと気付いたようにまみずちゃんが言った。
「すみません! 勝手にお願いを聞いてもらって……。ただでさえ助けていただいたのに。あの、お礼と言ってはなんですが、何かあったら言ってもらえませんか? なんでもいいですから」
別に礼なんて欲してないし、御礼を受け取ってはそのために人助けをしたように見えて忍びない。けれどこの場合は律儀に感謝を言ってくれる相手に対して礼を受け取らないのはむしろ失礼な気がした。少し悩んだ後、俺はお願いを決めた。
「じゃあ尻尾、……触っていい?」
主観的に興味があった。まりしろの尻尾を洗うときに触ったことはあるが、普段の状態で触ったことがなかった。おまけに犬自体に縁がないので、純粋な気持ちで犬を撫でてみたかったのだ。まみずちゃんは獣人だけれども。
「え……、えぇっ!?」
まみずちゃんは突然驚愕の表情を見せた。部分的には恐怖にも見える。何かタブーに触れたか?
しばらく彼女は葛藤していた。表情を大きく変貌させ、赤面し、モジモジし、俯きながら思考し、ようやく決心をしたようだ。そのまま尻尾を俺の方へ向けると、これまた恥ずかしそうに「……どうぞ」と言った。なにか不穏である。
「おお……! ふわふわ」
これを至高とは言わずして何であるか。まさにパーフェクトだ。ふわふわで、もふもふで、ふかふかで、ほふほふである。触れているうちに耳までもが気になって触れてしまった。これはあくまで生物学的な好奇心である。純粋に、獣人についての認識を深めたかっただけなのだ。よこしまな心など一縷もない。俺の気持ちをどうか理解してほしい。
不自然に思ったのは触れ合い中のまみずちゃんの様子である。りんご病以上に顔を紅潮させ、さらに息が荒いのだ。しかし取り敢えず気にせずに触れ続けていると、不意に人が近づいていた。
「あ、ルーナ無事だったか!」
一緒にいるのはまりしろとナナだ。初めは「無事で良かった」という安堵の表情を見せていたのだが、視線を移して彼女たちの顔がガラリと変わった。原因は俺がまみずちゃんの耳と尻尾を触っていたことらしかった。
俺はボコボコに批判された。
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