その日の夜

 大浴場を利用するのはこれが初めてだった。昼間案内されて既に全貌を見てはいたのだがやはりこの広さには感嘆する。二階の高さまで天井があり、見上げると首が痛くなる。

 まりしろが暴れるのを予測して「お姉さんなら我慢できるものだぞ」と一言かけると、思った以上の効果をもたらした。以降まりしろはお姉さんらしくあるために頑張っていたが、その結果緊張のあまり全身を硬直させ一切の話し掛けに応じなかった。まあ暴れないでくれるだけありがたい。

 服を脱がし、自分も脱ぐとまりしろを洗うことにした。思ったのは、髪が綺麗だなぁくらいなものだ。決してよこしまな感情など抱かなかった。一縷も、微塵も。そもそも思うはずがない。逆に思う奴がいるのかよ? そんな奴は一度自戒した方がよろしい。過ちを犯す前に。

 ちなみに俺は小さい頃妹の羽織を洗ってやっていたことがあるので大して目新しいものでもなかった。羽織か、まりしろかの違いでしかない。 

 ただほんの少し気になったのは、まりしろの背中に紋章のような印があったことだ。

 スムーズに事が進んだので時間が掛からずに風呂は終わった。風呂に入ってボーッとしていると、何気なく俺がこの屋敷の一員であるような感覚に陥ってしまった。相変わらず馬鹿だ。

 まりしろの身体を拭きパジャマに着替えさせた。嫌いな事を頑張ったのだから何かご褒美をあげるのが良い。喜ぶとしたらお菓子がおもちゃだよな。考えたが今の俺には所持品が無いことに気付いた。

 今すぐには無理だが出来る時にご褒美をあげることで決着をつけた。それを聞くと硬直していたまりしろの表情は溶け、笑顔が現れた。


 もうすっかり眠る頃だった。風呂にも入ったし、まりしろは既に夢の中だ。ルーナとナナも作業を止めて翌朝から再開することにしたらしい。ナナは自立した機械を利用して、一刻も早い復旧をするつもりらしく、彼女自身はスリープモードに入った。

 疲れているのに眠りに落ちたくなくて、俺は廊下へと出た。するとばったりアリシアと出会った。

「あれ、まだ起きてたのか?」

「そっちこそ」

「眠れなくてな」

「そう……。ケイト、昼の話聞いたよ。シャウラが色々言ってた」

「あー、あの話か」

 この屋敷ではこう容易くいろんな話が出回る。

「一日目だった訳だけど、どうだった?」

「さあな。まああれが日常って訳では無いことは知ってるけど、さすがに疲れたかもな。一瞬死を覚えたぜ」

「そう」アリシアは暗い窓の外に目を移しながら言った。何か含みがあるように聞こえたが、その正体は分からない。

「中心界で上手くやって行けそう?」

「いんや。初日じゃまだまだ分からねーよ」

「あー、だよね。でもこれで、皆のことについては分かったんじゃないかな。皆良い子たちだったでしょ?」

「色々問題はある面々だったがな。だからこんな騒動が起こった訳だ」

 しばらくの静寂。仄暗い廊下の壁にもたれて、俺は意味もなく天井を見上げた。アリシアはぎこちない様子で視線も低い。言いたい事があるのに言えずにいる。そんな風に見えた。少しして、アリシアが口を開いた。

「淋しいって思ったりする?」

 愚問だった。まともに答えられる質問ではない。俺の身を理解していて発言しているのだろうが、素直には応答出来ない。それはきっと俺のくだらない矜持で、意味もない羞恥心だ。弱さを見せる事が女々しく思えたし、会って間もない女の子に言えることではなかった。

「んー、まあ、賑やかな日々になりそうだなぁ、って風には思ってるよ」

 だから俺ははぐらかす。

「そっか、良かった。それじゃあ大丈夫そうかな。こっちに来た人たちは皆混乱しちゃうから、ケイトは平気かなって気になってたんだけど、強いね」

 褒めないでくれ。そんな人間じゃない。

「でもケイト、これだけは覚えておいて。誰かが困難に陥った時、それを助けるのが召喚士と、それから従者の関係。関係ない事ことなんてない。助けて、助けられる。助けられて、助ける。どっちが先であっても、そこには心咎めとか、罪悪感、申し訳なさなんて抱かなくていいの。だから苦しむくらいなら、迷惑掛けても良いんだからね」

「? おいそれってどういう……」

「それじゃあおやすみ」

 アリシアは大らかな笑みを浮かべると、廊下を早足で進むと階段を登って姿を消した。発言の意味は深く分からなかった。はぐらかしたら、はぐらかされた。後味が悪く感じて、もう部屋に戻って寝る事にした。思えば一睡もせずに丸一日過ごしたのだ。精神と肉体の疲労に今更気づいた。灯りを消して布団に入ると、すぐに眠れた気がする。


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