ルーニヴィア・フレアローブの企み
食事を終えてひと段落すると、アリシアとミィリィさんが出掛けるところに遭遇した。聞けばアリシアは学校に通っているそうだ。修召喚士の上の資格、博召喚士になるためで、ミィリィさんはそのお供。従者の能力は召喚士の実力の内と考えられているため、勉学に励むのも従者の仕事の一つである。いずれ俺も通うことになるというが、その前に俺は人界に帰るのだから関係ない。二人は空飛ぶコンパクトな乗り物に乗って出掛けて行き、俺は行ってらっしゃいと見送った。
食事が終わってすぐの頃、ルーナに研究室へ来るように誘いを受けた。ルーナは研究職の魔女で、どんな研究をしているのかを見せてくれるようだ。まりしろは来たばかりの俺に屋敷を案内すると提案してくれて、ルーナのところに一緒に来ることとなった。その際の移動方法としては何故か俺が抱っこする形となった。甘やかしてはいけないとナナに言われたが、こんなに可愛い子にキツい物言いなどできるはずがない。
ナナは機械の整備に忙しく家中のロボットを点検している。この屋敷には至る所にロボットが配置されているため、維持が大変なのは容易に想像できた。シャウラは自室で睡眠と摂っている。お気楽なものに思えるが吸血鬼にとっては普通のことだ。
「ここが私の研究所です。ようこそケイ」
屋敷の本棟の裏口から外へ出て途切れ途切れに続いた石の道を辿ると、そこには一つの建物があった。レンガと木が組み合わさって造られている二階建ての一軒家だった。ルーナは木製の扉を開いて入るように促した。中は暗かったがすぐにルーナが魔法で窓を開けて光を入れた。
俺は椅子にまりしろを下ろした。ずっと抱っこしているわけにもいかない。
部屋には見知らぬものが多様にあった。ガラスケースに入れられて浮遊する謎の光、分厚い書籍の数々、用途不明な実験器具、液体漬けにされた未知の生物の標本。
ルーナは俺に座るよう促した。そして木製のテーブルに両手を置いた。
「凄いな、なんと言うか……こう、魔女って感じた」
「事実魔女ですからね」
「あはは、そりゃそうだ」
語彙力が圧倒的に不足しているようだ。知識を養わなければなるまい。
「私は普段からここで、後天的な魔力の獲得について研究をしているんです」
「後天的な?」
「はい。一般的に魔力というものは、才能が八割、つまり生まれつきの能力に大きく頼った力なんです。ですから私は、魔力の少ない人が効率よく魔力を獲得できる方法を探しているんです」
「へえ、魔力の少ない人って具体的には?」
「人界人です」
「え」
「人界人です」
しばしの沈黙。小鳥のさえずりが流れた。
「魔力を一切持たない機人を覗いて、最も魔力の弱い人種は人界人なんですよ」
「待って、それじゃあ俺は魔法が使えないってこと?」
「いえいえ、努力すれば風を起こして服をめくることくらいなら出来ると思いますよ? 三、四年はかかるかもしれませんが」
「三、四年の努力の末にスカートめくりなんかしねーよ! 俺をどんな人間だと思ってんだ」
「シャウラとナナから忠告を受けまして。あれは相当な変態だから気をつけたほうがいいって」
「ここまで根回しされていたのか……、っじゃなくて、いや俺変態じゃないからね? 悪質なデマだから、本気にしちゃ駄目だぞ」
「そうだったのですか? 変態に効く魔法薬でも作ろうかなって思ってたところなんですが」
そんなものがあるのかよ。俺は変態ではないので効果はないだろうが、シャウラによく効きそうである。ついでにナナにも。
「そうかあ、でも残念だなぁ。中学二年生の頃に夢想したフレイムマスターにとうとう成れると思ったんだがな」
「ぷふっ! ふ、フレイムマスター……、くふふふ」
「ルーナ今笑ったな! 人界人は誰でも夢見るもんなんだよ!」
「わ、笑うだなんてとんでもない! 立派な夢だと思いますよフレイムマスターぷはっ!」
「お前、堪えるつもり無いだろ」
まあ、あの頃の自分も最早可愛いものであったと回想できるほど大人にはなったつもりだ。笑われる事は不服だが大した黒歴史でもない。誰でも陥り得る時期だ。思春期のトッピングみたいなものである。
「ですが諦めるのはまだ早いですよ? 私は魔力獲得への研究をする者ですからね」
「む、まさかその手段が解明されているとでも」
「残念ながらそうはいきません。私の研究成果は未だ出ていません。学会からは笑われ者です。そんな研究に意味はないと」
「研究職も苦労するな。だったら俺はいずれ解明されるだろうそれに期待する事にしようか」
「是非とも期待ください! そこでものは相談なのですが……」
ルーナは両手を擦り合わせてお願いをしてきた。邪な提案でなければ良いが。一方で眼を遣ると、まりしろは部屋にある用途不明の置物をつついて遊んでいる。
「私の研究は魔力獲得への研究ともう一つ、魔法新薬の開発をやっていまして。どうかご協力頂きたいのです。製作した魔法薬などが実際に効くのかどうかを試そうと、知り合いの方に依頼することもあるのですが、身内に人界人がいればそれ程良いことはありませんので。研究のスピードと緻密さの向上に繋がるとも思うのです。いかがでしょう?」
「おお、協力できるなら是非とも。というかむしろこちらからお願いしたいところだな。どんな魔法で少しくらいは使ってみたいし」
肯定的な発言を聞きルーナは「ありがとうございます!」と前のめりになった。
「で、ではケイ。早速ですがこの魔法薬を!」
ルーナはつま先立ちになって棚から薬を取り出すと、ドンとテーブルの上に置いた。薬は粉末状で、水で飲むようだ。紫色をしているので毒々しく見えた。恐る恐るそれを手に取ってみると、嗅いだことのない不思議な香りが鼻をつついた。
「けいと」
ふとまりしろが言った。
「止めといたほーがいいかも知れないよ? どんな効果なのかわからないし。……もしかすると身体中にブツブツがあっ!」
両手を大きく広げて脅かしに来る姿もやはり可愛い。耳がプルプルと動いた。
「まり、これは大丈夫(のはず)なの。ちゃんと調合したし、配合も完璧だから。あったとしたら何らかの後遺症が残る程度で……」
「後遺症!? いやいや何言ってんの、そんな未知の薬飲みたくないよ。毒味かよ!」
「まりが前飲んだときは一時間くらいくしゃみが止まらなくなったんだよ!? あれ凄く大変だったんだから!」
そんな事があったのか。しかしまりしろのくしゃみは何だか可愛いような気がした。一度聴いてみたい。「くちゅん」か「へぷしっ!」かはたまた。おじさんぽい「べぇっくしょぉぉん」というくしゃみでも大胆で可愛いかもしれぬ。などと阿呆に考えた。
「だからけいとも絶対止めた方がいいよ。その粉は危ない粉だよ!」
「ちょっとまり、誤解を招くようなことを!」
「じゃルーナが飲んでみて」
黙り込むルーナ。
「飲んでみて!」
「いやあそれはちょっとどうなのかなぁ? これはあくまで人界人用に開発したものであって魔女である私が飲むのは何か違うというか……、ねぇ? それに私は変な症状出るの嫌だし……」
「変な症状出るかもしれないのに他人に飲ませようとしてたのかよ、お前」
ルーナは追い詰められて視線がおぼつかなくなっている。瞬きの数も増えた。まりしろは頬を膨らませて、良くないぞっ! という感情を訴えていた。可愛いぞまりしろ!
「あ、でもケイ、もし仮に後遺症が現れたとしてもそれに対抗する新薬を開発するので問題ないですよ? この人体実験によってこの薬は失敗だったんだなってことが判明するわけですし……。というかご存知ですか? 実験に失敗なんてものはないんですよ。この条件では失敗する、という貴重な結果が得られるのですから」
だから何だと言うのか。ジト目でルーナを見つめてみた。懐疑心は頂点に達している。
「うぅ」
ルーナは少し後ずさる。後ろめたさがチラチラと見え隠れしていて、初めから被害を考慮しない実験をしようとする気概が見え見えであった。これではマッドサイエンティストだ。
「けどまぁ、ある程度安全が確認されている薬であるのならば、ちょっとは実験の手伝いをしてやっても良いかもな。研究の進捗に大きく協力することが出来るって訳だろう? 思考を凝らせば名誉だ」
「本当ですか!?」ルーナは眼を輝かせる。「であれば早速この薬を!」
「だからそれは駄目だって言っただろ! 協力するのはリスクの少ないものだけだ」
「けどそれじゃあ研究は進歩しませんよぅ」
声色が弱い。ショボーンと風船が萎んでいるようでその表情は悲しげだ。
「分からないんですかっ! 大いなる力を得るためには、大いなる代償が付きまとうのですよっ! つまーり、大いなる代償を払えば大いなる力が得られるという訳なのですっ!」
怪訝な目でルーナを見つめる。まりしろがふにゃあと鳴いた。
「おい、その逆説は成り立たないぞ」
「研究結果のためにはどんな手段も厭わない! それが研究者の意地です」
「そんな意地は捨ててしまえ」
「第一、この実験によって私は被害を受けることはありません」
「え、いや待って。俺は!? 俺はどうなるのさ!?」
「そんなもの知りませんよ」
サラッと言われた。
「……このマッドサイエンティストめ」
「遺憾ですねその呼び名は。私は一片氷心たる魔女ルーナです」
「それを騙るのは振る舞いが発言と一致してからにしてくれ」
今朝の自己紹介の時は変態吸血夢魔、変態機人と異なってまともな人だろうと予測していたのだが、やはり勘が利くことはなかった。男は女に比べて勘が鈍いとは言うが、俺はそんな男の中でもかなり下の方にランクインしてしまうのかもしれない。
しかし取り敢えず、俺が千歩譲る形で交渉は成立した。
ルーナが作る魔法薬が人界人に対して効果を発揮するのかという実験である。俺はその試験体として、彼女に上手いよう使われてしまぬように用心せねばなるまい。危険のある一方で魔法が使えるようになるのかも知れないという夢を孕んだ大きな博打だ。賭け事なんてしたことないが、上手いように事が進むことを祈る。まあ俺はどうせすぐに人界へ帰るのだから関係ないだろう。
帰り方も見つかっていないのに随分と自信がある、と思われるかも知れない。
だが今は目覚めた翌日。実質一日目である。焦るにはまだ早い。
人界よりも進んだ文明を持つこの世界で、憲法や法律がないとは考えにくい。それに一方的な契約も許されるはずがない。俺はそう踏んでいた。
書物でも漁っていればすぐに答えが見つかるだろう。アリシアとミィリィさんは帰還する手段などないと言っていたが、それは恐らく俺の帰郷に対する想いを削ぐための嘘だ。居心地の悪さは今のところ感じないが、さっさとおさらばしたい気持ちは常に忘れていなかった。五日寝ていたという点も考慮しても、家族が失踪届けを出していてもおかしくはない。だから俺は必ずや、祖国に帰還しなければならない。しかしなぜだろう、帰りたい、と願う感情は常に不明瞭な意識に囚われて、寄る辺のない不安が押し寄せた。
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