第二章 熾烈な騒動の中

獣界の従者まりしろ

 午前八時から朝食があると聞いた。屋敷にいる全員で食事を取る決まりがあるらしい。

 俺はとても良いことだと思う。朝食に限らず食事とは誰かと一緒に食べるのが最も美味い。ましてや召喚士と従者、従者と従者は強い絆を持っていることが優秀な人間である証拠とされるため、いわば家族のような関係性が必要となってくる。それに時間を合わせて食事を取らない家庭というものは、大概哀しい顔をしているものだ。

 朝日が昇り始めると外が騒がしくなった。

 本を読み耽り、ホログラフィーで壁当てをして気付けば外はすっかり明るい。もうじき八時になるところだった。俺はベッドから立ち上がると隣の部屋へと向かった。

 日用品は一通りあったので身だしなみを整えることには苦労しなかった。召喚された時に着ていた服が置いてあったのでそれに着替える。洗面やトイレを済ませた後ちょっとソファーでくつろいで、それから廊下へと向かった。

「ケイト、おはようございます」

 廊下でナナと遭遇した。

「ナナおはよう。あれ……、その子は?」

 ナナは女の子を抱きかかえていた。

 小さな体躯に細い腕。ふわふわした白いワンピースを着ていてそこから幼気な脚を覗かせている。髪は水色掛かった白色で、細かく言えば月白色をしている。長くうねった癖毛をしていて前髪から覗かせる瞳は閉じていた。頭には猫のような耳があり髪と同じ色をしている。スカートの中からはふさふさの尻尾が出ていて、抱きかかえるナナの左脚をパタパタはたいている。

「この子はアリシアの従者の一人ですよ、獣界からの」

 獣界。獣の世界。

 獣界において最も大きな知恵を持っているのは獣人だ。

 高度な知能を持った獣たちが仕切る社会が回り、様々な種類の動物が悠々と暮らしている。

 獣人は獣と人との両方の特徴を持っている。多くの獣人は耳であったり鼻であったり尻尾であったりと獣が持つ部位を有している。犬の獣人は嗅覚が良かったり、鷹の獣人は視力がずば抜けていたりなど、その種族によって様々な特徴がある。

 文明はあまり進んでおらず、科学の著しい発展も見られないが、知能は人間と同程度であるため中心界に来てから機械の知識を得て技術職に就く獣人もいる。

「ほら、挨拶してください」

「うぅーん、ねむ~いー」

 ナナが促すが、猫娘は重いまぶたを小さく握った手で擦る。

「人界人の方ですよ? あなたも目覚めるのを待ち遠がってたじゃないですか」

「人界……? んー、はっ! 人界のひとっ!?」

「おう、おはよう」

「やっと起きたんだ! えーと、えー……」

「七海敬斗だ」

「ケイトっ! 毛糸?」

「ケイトだ。て言っても言葉だけじゃ分からないけど」

「けいとね。まりの名前はまりしろ」

「まりしろか、良い名前だな」

 天真爛漫な笑顔で頷いた。いかにも純粋無垢って感じだ。この子もアリシアに召喚された従者の一人というわけか。これで従者は四人目か。つまりまだ会っていないのはあと一人だ。

「まりしろ、もう一人でも歩けますよね? さあ早く降りてくだ……」

「いーやー! まり歩けない。そのまま連れてって」

 まりしろは駄々をこねる。ナナはやれやれといった様子で手を離すが、まりしろはナナの首に手を回して離さない。けれど抵抗は虚しく終わったようで床に足を着けた。

「むむう、いじわるー。あ、だったらケイトが」

 まりしろは俺に屈むように促した。その通りにすると手を首に回して抱きついてきた。

「抱っこしろってことね……」

「あまり甘やかさないでくださいよ」

 ナナの忠告を聴きつつも俺はまりしろを抱えた。まりしろとワンピースの柔らかい感触が伝わった。まりしろは首にうずめた顔をスリスリしてくる。にゃー、と可愛らしく鳴いた。長い髪が手にあったった。髪も相当柔らかい。ずっともふもふしていたい気分だ。

「おいおい何だよこいつぅー、可愛すぎかよ! 食べちゃいたいくらいだ」

 子どもは結構好きなのだ。愛らしさがあるし、いたいけで正直だ。

 俺がまりしろに萌えているとナナは訝しんだ顔をする。変な容疑をかけられても困る。

「おい待て。今のはあくまで比喩表現であって、決して本気じゃないからな! 食べたいっていうのは物理的でも、他の邪な意味でもなくだだ単にそれほど愛らしいって意味だからな」

「…………」ナナは依然ジト目である。

「何だその無言は」

「くれぐれも変な気を起こさないでくださいね」

「当然だ。要らぬ心配だ。変な気になんて起こるわけがない!」

「昨晩のことがありますので」

「俺を変態に仕立て上げたいのかは知らんが、そう簡単にはいかない」

「変態って?」

 顔をうずめながらまりしろが言う。

「いや、まりしろは知らなくて良い話だ」

 純白のキャンパスを汚してはいけない。

 思い返せば俺にも清らかな時代があったのだ。その素直さはどこへやら、今は見る影もない。諸行無常とは言えいかにも儚い世の中である。中学時代俺にエロ知識を植え付けていきよった高橋許すまじ! キスするだけで妊娠すると思い込んでいた頃の七海敬斗を返してやってくれ。

「あー、ところで朝食はどこで食べるんだ?」

「一階ですよ。一階の西側です」

 他愛もないことを言いながら廊下を歩く。まりしろは眼を閉じている。まだおねむのようだ。

「はむっ」

 ふと、まりしろが右の首筋を噛んだ。歯を立てているがシャウラの時のように肌を貫いていないので全く痛みは無い。せいぜい甘噛みする程度。

「寝惚けてるのか、噛んできたぞこいつ」

「ああ、その子は噛み癖があるので」

 見れば耳もピクピクと動かしている。思えば猫と子どもの組み合わせとは至福の一言に尽きた。俺は猫も子どもも好きである。好きなものを二つ混ぜ合わせて成功する例はあまり無いだろうが、猫の獣人に関しては大正解なのではないだろうか。

「何惚けた顔してるんですか」

「ん、どうしたナナ。まさか嫉妬か」

「これは一発喰らわせる必要がありそうですね」

 ナナの機械仕掛けの瞳から何やら芳しくない雰囲気が漂っている。穏やかではない。

「ちょっとナナ。その構えはなんなんだ。不服だからといって肉体言語で語りかけるのは……」

 この場合は機体言語かもしれない。まあそんなことはともかく。

「ねーお腹すいたんだけど」

 ずっと廊下で止まったままでいるので、まりしろが痺れを切らして言う。

「ならば歩きますか?」

「それは嫌」

 このにゃんこ、強情である。

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