シャウラ・ブラッドファング・リリンリリス・アッシュ・ミッドナイトメア


 機人。機界の種族で肉体は存在せず、金属で構成された身体を持つ。

 機界というのは中心界を構成している六界の一つで肉体の存在しない機械的世界のことだ。機界においての人間は機人、人界で言うところの動物は機獣と呼ばれている。

 機人と呼ばれるからといって、その姿は必ずしも人の形を成しているという訳ではない。人型もいれば立体型もいる。中には下半身は動物、上半身は人型という者もいる。機人の最も大きな特徴は、その容姿の多様性である。

 機械の体であるがゆえに、機人は機体に部品を自由に取り替えることが可能だ。

 例えば重労働を強いられる職の機人は、重い物を持ち上げるために胴体から部品を取り替えてより強力な機体にしたり、飛行することが好きな機人は、より高く、より速く飛ぶために流線型のフォルムにしたり機体の軽量化を図ったりすることができるのだ。

 これは機人の文化である。機人にとって機体をカスタムすることは化粧やネイルをすることと同義だ。世界一かっこいい機体を決めるコンテストもある。けれどカスタマイズには結構な費用がかかるようで、簡単に手を出すことはできないらしい。

 機人とはこのような種族であり、当然ながら感情を持っている。

 表情を自在に操れる機体を持った者もいれば、顔がなく立体物であるかのような型をした者もいる。その多様性がゆえにここも間違えられやすいのだが、彼ら彼女ら機人はもちろん笑う。くだらないことに楽しみ、静かな空間に情緒を抱き、盟友との餞別に哀しみを露わにする。

 変態吸血夢魔からの追従に逃げ惑い、女性型の機人ナナさんに救われたのち、我々はナナさんの部屋へと身を移した。

「ふぅー、あーびっくりした」

 ミィリィさんの眥列髪指より間一髪で逃れた吸血夢魔は急に落ち着きを取り戻した。

「もう! ナナの邪魔が入らなければこの人界人を捕まえて速攻で口を塞ぐことも出来たのに! あとちょっとだったんだよ。あと指一本分の距離。そうすればミィさんに出くわす前に暗いところに連れ込んで、じっくりと飲めた」

 吸血夢魔は壁に貼り付けられていた。ナナさんが自在に操作するドローンは様々な形にその姿を変貌させた。今は吸血夢魔の四肢を伸ばした状態でそれぞれの首にまとわりついて壁と接続している。

 豚の丸焼き姿で連行される彼女も無様であったがこれもまた然り。女の子が動けずにいる姿に多少の妖姿媚態な感情を抱いたが、それはこちらの心に余裕が戻ったことを示していた。このように拘束されている状態が、襲われないためのナナさんによる配慮であることも勿論理解していた。

「シャウラまだそのような口を聞くのですか? あまり戯言が過ぎるようでしたら、やっぱりミィリィに言って叱咤をしてもらったほうが……」

「ひぃぃ! それだけは勘弁」

 文句を垂らしたり命を請うたりと忙しい奴である。

「で、でもあれだよ! 全部人界人のせいなんだよ!」

「はぁぁ?」

「シャウラ」ナナさんのキツい声がする。

「俺は別に何もしたつもりはないが。ベッドで横になっていたところに、いきなりのしかかられて首を噛まれたんだ」

「と、おっしゃっていますが」

「ちょっとナナ! そんな簡単に信じちゃっていいわけ? 長い付き合いのあたしよりさっき話したばっかの人界人のことを信じるの! ええい、もう軽蔑だ!」

「私はただ信憑性の高いほうを選んでいるに過ぎません。軽蔑するのはこっちの方です。そんな簡単に手を出す方でしたか、あなたは。よりにもよって目覚めたばかりの方に対して。軽蔑します」

 吸血夢魔の双眸から涙が滲む。吸血鬼は血の涙を流すと聞いたがそれは都市伝説であった。

「だってぇ! こんな弱そうな人界人と同じ屋根の下だなんて耐えられるわけないじゃんか。さあ襲ってくださいと言ってるようなものだ! だったら私は襲う以外の選択肢は取らない。ナナは吸血欲のことを知らないからそんなことが言える!」

「よ、弱そうな人界人っ!?」

 心外である。かといって強いわけではないが。

「個人的に理解したつもりだったのですが、なんとも今更ですね。一般的な吸血鬼の例を見るからに、辛いなんてことはないはずですが」

「個体差があるのっ!」

 吸血鬼の言葉は止まらない。ここまでくればただの詭弁である。

「それになんなの、もう五日も無防備な姿を晒し続けて。あたしのことを誘ってるんでしょ!」

「いやいやいや!」

「身体のうずうずが止まらないのっ! そっちだって本当は襲って欲しかったんじゃないの。じゃなきゃそんな無防備にはならないでしょ!」

「な訳ねぇだろ! なんだなんだ、痴漢の開き直りなのか!?」

「シャウラ、言い訳は以上でしょうか」

「言い訳じゃないよっ。人界人が誘惑するから」

「反省の色がありませんね、ちょっと静かにしていてください」

 不意にナナさんの機体の腰部からもう一機のドローンが出てきた。白と黒で塗装された機体は一直線に吸血鬼の元へと飛行して、変形したかと思えば猿轡のように口を塞いだ。

「んー! んふーふー!」

 吸血鬼はこれで両手両足、口を塞がれたこととなる。抗議は虚しく、言葉は紡がれない。

「ああ、全く」ナナさんは溜息をついた。「お見苦しいところをお見せして本当にすみません」

「いえ、そんな」

 謙虚さを見せようとするも、確かにあのひと噛みは衝撃的だったと思い出す。

「ところで、自己紹介が遅れましたね。私の名前はNSーM7《ブレイクスルー》です。気軽にナナとお呼びください。N7のナナです」

 奇想天外な名前だった。機人の命名センスはとてもメカメカしいもののようだ。

 見た目は完全に人のなりをしているが、説明によると人工の皮膚で全身を覆っているとのことだった。指先に至るまで精巧に作り込まれていて、動きも機械だとは気づけないくらいだ。薄めの色をした服を纏っており、スタイルが良いことが分かる。ただ瞳を注視するとやはり機械で、無機物的な光を放っている。

「あー、それじゃあよろしくお願いします、ナナさん」

「いえいえ、そうかしこまらなくても良いのですよ? 敬称は要りませんし、敬語も要りません。そんな目上なわけでもありませんし」

「……そう?」

「はい」

「じゃあよろしく、ナナ」

 ナナは優しく笑った。俺が遠慮をしていたのは彼女が大人びた風貌をしていた為である。しかし思えば、機人はその性質上見た目をカスタマイズできるのであった。見た目で判断するのは止すべきだろう。ただでさえアリシアの年齢を間違えた俺だ。人を見た目で判断する能力など持ち合わせていないので、大人しくするのが賢明だ。

 今度はこちらの番だ。俺は軽く自己紹介をした。出身と名前と年齢、その他諸々。

「そうですか、よろしくお願いします、ケイト」

 よろしくしてしまったわけだが、自分が馴れ合いをしてこの世界に居座ってしまうことが何よりも怖かった。危ない、肝心なことを忘れては成せるものも成せなくなる。

「えー、あちらに縛り付けてあるのはシャウラです。吸血鬼とサキュバスのハーフです」

 ハーフなのは既に聞いていた。しかし名前はシャウラか。素直に似合っていると感じた。

「んーんーんんー!」

「あれ? なんか抗議してるみたいだけど」

「はあ、仕方ありませんね。自己紹介くらいさせてあげましょうか」

 ナナは轡となっていたドローンを外した。

「シャウラ・ブラッドファング・リリンリリス・アッシュ・ミッドナイトメア!」

「はい?」聞き返すと、もう一度同じことを繰り返した。

「それがあたしの名前。全くナナってば、省かないでよね、重要なんだから。わかったケイト?」

「シャウラ……、え?」

「シャウラ・ブラッドファング・リリンリリス・アッシュ・ミッドナイトメア!」

「シャウラ・ブランドバッグ・リンスシャンプー・アット・ミットないキャッチャー?」

「ちがぁぁう! もう何度も言わせるな。あたしはブランド品じゃないし身体を洗う石鹸でもないしミットを失くしたキャッチャーでもない! 呼び名はシャウラで良いから、もう訊くな!」

 怒涛の突っ込みラッシュが決まった。勢いが素晴らしい。それにしても個性的過ぎる名前だ。それと同時に声に出したい響きでもある。いつか覚えて、すらすら言ってみたい。目標は名前の暗唱である。

「ああ、よろしくなシャウラ」

「はぁ、名前が長いとなかなか辛いよ……」

「変態は苦悩が多いんだな」

「あたしは変態じゃないし」

「人の寝室に忍び込んで噛み付く奴は明らかに変態だろう」

「ふんっ、そう言うケイトだった肌の密着を喜んでいたのを知ってるんだからね。寝てるところを噛もうとしたつもりだったけど、途中から起きてるの気づいてたから。心音大きくさせちゃって。ケイトは変態だね!」

「ばれてたのかっ! あ、いや、俺はしっかり寝てたぞ! 言いがかりはよせ!」

 明らかに声が震えていた。隠し事が下手なのは長きにわたる悩みである。

「それは本当ですか?」

「うん、そいつ、かなりマニアックな変態だよ」

「う、嘘を言うな! 俺は正真正銘潔白の日本男児だ!」

「ケイトさん、軽蔑します」ナナは安定したトーンで言った。

「軽蔑されたっ!」

「この屋敷の変態は二人になってしまったようですね。変態戦隊でも名乗るつもりですか」

「隊を名乗るほど増えるのは恐ろしいな」

「あたしは変態じゃないしっ! 変態なのはケイトだけ」

「俺も変態じゃねーよ」

 うむ、断じて否。俺は変態ではないのだ。

 ふと窓の外を見る。真夜中よりも日の出に近づきつつある空は、自室で眺めた時よりも明るくなっていた。吸血鬼に襲われ機人に助けられ、メイドさんから逃れたという突拍子のない夜であったが、意外にも上手くやっていけるような気がしてしまったのは愚かしい。彼女たちの勢いに取られて、危うく我を見失うところだった。

 やはり違う空なのだ。獅子座もさそり座もなく、何もかもが違う場所なのだ。

「どうされましたか、ケイト」

「いや、思えばいまは夜中だなって」

「ああ、そうでしたね。長々とお話ししてしまいましたが、やはり横になられていた方がよろしいですよね。朝食の時間にでもまた挨拶する機会があるでしょうから、その時にでも」

「ああ、眠気は吹き飛んだけど、眼を閉じるだけでも変わるだろうからな。部屋に戻ることにするよ」

 俺は退室するために廊下へと繋がる扉へと近づいた。

「あ、じゃああたしもそろそろするべき事があるから……」シャウラが言う。

「あなたはダメです」

「ええっ!」

「当然じゃないですか。先ほどの騒動が一時的な拘束で許されるとでも? ミィリィの叱咤は回避しましたが、私が優しいとは限りません」

「何をする気だっ! 身動きの取れないあたしに何をする気だっ!」

 シャウラの瞳から恐怖の色が現れる。

 ナナはシャウラへ接近すると右腕の肘より少し胴に近い腕を変形させた。そして中から小さな物体を取り出した。

「これは私が以前開発したスタンガムと言う殺傷能力のない弾丸です。通常は銃に詰めて打つのですが、そのまま対象に貼り付けても効果があります」

 ナナは声色を変えておかしなことを言い出した。

「スタンガムはその名の通り、ガムのように相手に張り付き良い感じの電流を流します。そもそもは敵の無力化を図るために考案したものですが、このような時でも使えるのが便利です」

「待って、ダメだよそれ! 気絶しちゃうやつだよ!」

「いえ、ご心配には及びません。特別に電圧を落としてありますから。程よいくらいです」

「ほどよくてもビリビリはよろしくない!」

「初めて吸血鬼に噛まれるというのはとても痛いものだと言いますが、あなたは今回それをしたのです。その痛みを理解して、次からは止めるように反省するのが良いかと思います」

「待って待って、もう反省した! 猛反省したから! お願いしますNSーM7様どうかこのあたしをビリビリ電撃ショックからお救いください何でもしますからどうかお救いくだぁぁぁぁぁ! んぐぁっ! ぎゃああああ!」

 シャウラの命乞いもお構い無しにナナは無慈悲な電撃を与えた。拘束された女の子が高圧電流を浴びせられるという何とも拷問まがいな様を見て、俺は見てはいけないものを見てしまったような気分に苛まれた。

「んぁっ! うぐっっ、ぁぁぁ!」

 電流は流れ続けている。シャウラの頬は火照り、口は大きく開かれ、身体はビクビクとうねりを見せる。拷問まがいというよりも拷問であった。それを見てナナは微笑した。

「良い表情していますよシャウラ。ほら、ここにスタンガムを当てたりなんかどうでしょう? ここですよ?」

「いやぁ、もう、むりだからぁぁぁぁぁぁ! んんっ……」

 シャウラにはもう先ほどまでの強気は無かった。しかしそのリアクションを見るナナはとても楽しそうであった。何というか……。

「何というか、変態だな」

「あらケイト、まだいたんですか?」

「なあ、もうそのくらいにしてあげた方が良いんじゃないか? そもそも、シャウラのしたことは首をひと噛みしただけなんだし。まあ確かにあれは痛かったけどさ、何もそこまでする必要は」

「ケイトぉ……」

 シャウラが愛おしそうに見つめてくる。その姿に俺は憐憫の情を抱く。

「ほら、シャウラも反省してるみたいだしさ」

「うーん、そうですか。ケイトが言うならば電撃は無しにしましょう」

 ナナはシャウラから離れた。

「愛してるケイトっ!」とシャウラ。

「ですが朝になるまで拘束は解きませんよ? また寝込みを襲われたら堪ったものではありませんからね」

「そうだな、それがいいよ」

「え! 解放まで話進めろケイトこらぁ!」

「お前ほんと忙しいやつだな」

 愛したり嫌ったり何なんだ一体。しかしこれでひと段落。

「じゃあ今度こそ部屋に戻るから」

「ええ、シャウラの監視はお任せください」

 シャウラは色の違う双眸で「助けて」と訴えていたが、あまり優しくし過ぎるというのも教育上よろしくない。再発の引き金となってしまう。

 しかし驚くことに変態はシャウラだけでは無かったのだ。悲鳴をあげる女の子を見て喜ぶとはナナも相当な変態である。なるほど、この屋敷には二人の変態がいるのか。覚えておかねばなるまい。吸血夢魔の力には勝てないし、機人に高度な技術からは逃れられない。無防備だと言われたのはそういうことだったのだ。普段から注意して生活をせねば、またいつ隙を突かれるか分かったものではない。

 俺は部屋に戻りベッドに横になるが、一睡もできずに朝日を拝むことと相成った。

 その間とても暇だったので、球形のシステムコントローラーで壁当てをして遊んでいた。ホログラフィーはよく弾んだ。色んな機能があるものだ。そしてこういう呑気なところが駄目なのだと思った。

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