無知と嘘
店を飛び出すと立てかけておいたジェットボードに乗り動力を入れた。小型な乗り物の一種だ。免許はいらない。不安定な格好でそれに乗ると、最大出力で邸へと飛び戻った。
今日は休日。アリシアの学校は休みなのでミィリィさんもいるはずだ。リング状のデバイスを動かし、屋敷へ到着する時間を現在時刻から推算する。最短ルートを割り出しながら、もっと速く走れないのかともどかしくなる。信号に待たされて焦れ込む。
フリルの街の端っこに屋敷がある。だんだんと家々が減っていったところで屋敷への一本道に入った。道脇に生い茂る木々の葉を揺らしながら門まで急ぐ。
道すがら、様々なことが脳裏をよぎる。
一番初めに見知らぬベッドで目覚めたこと。
アリシアとミィリィさんの説明。中心界のこと。そして嘘。
知らない星空に向かって必ず帰ると誓った夜。
俺にだけインターネットのアクセス許可が制限されていたこと。
いくら尋ねても口を噤んで開かないまりしろのこと。
帰る方法について記述されている書籍を必死になって探している時、ときたまやってくるルーナやミィリィさんのこと。彼女たちが俺の姿を見て何を思ったのか。
玄関でシャウラと話した時のこと。
ナナと交わした何気ない言葉のこと。
彼女たちは俺を見て、いったい何を考えていたのだろうか。
食卓を囲んで談笑したのは。
危険を共有して乗り越えたのは。
いったいなんのために。俺はなんのために中心界に閉じ込められている。
ナナが製作した門番「ガードマン」と「ゲートキーパー」の通行認証を終わらせて敷地内へ行く。またしばらく道が続いてようやく建物が見えてきたところで動力を切らずにジェットボードを乗り捨てた。
少しでも信じた自分が情けない。
初めに言った通りだった。俺は被害者で、あいつらは善良な一般人界人を拉致したのだ。
そしてあまつさえ、虚偽を刷り込んで諦めをつけさせようとした。
今、心の中では様々な感情が交錯している。喜怒哀楽が混同し、色んな想いが溢れでる。
憤慨。悲痛。苦渋。懐疑。不審。期待。
あの笑みも、嘘だったと言うのか。
扉を煩雑に開け、階段を駆け上る。
二階。焦燥。三回。狼狽。そして四階。動転。
途中でナナとすれ違ったが話している暇はなかった。俺が切迫する相手はあの召喚士だ。それからいつもその少女の隣にいる、海のような瞳をした女性だ。
俺は扉を乱暴にこじ開けた。
ここはアリシアの書斎。予測した通り、召喚士はいた。ゆったりと奥の椅子に座りかけて読書をしていた。そしてさらに、ちょうどノック音がした。振り切ると立っていたのはミィリィさんだ。
俺の心はかつてない懐疑に満ちていた。
○
「どうしたのケイト! ……そんなに怖い顔して。何かあったの」
召喚士が立ち上がって言った。ミィリィさんがアリシアの側へと移動する。
何も信じられない。目の前にいるのが誰なのか。敵か味方か。こいつは一体誰なんだ。
「おいアリシア」
声が震えていた。心臓の鼓動が加速し続けていくのを感じる。
「お前、何か隠していることがあるんじゃないのか」
「……!」
幼さの残る銀髪の召喚士は目を見開く。白波の瞳にも動揺が見える。
「そ、そんな。隠し事なんて……」
胡散臭さが溢れ出て止まらない。懐疑心。猜疑心。不審感。不信感。
「ふざけんじゃねーよ!!!」
召喚士が身をすくませる。部屋の空気が引き攣っていく。我を忘れて、無我夢中で、俺は感情をぶつけたかった。愚かしく、無差別に、馬鹿馬鹿しく、汚らしく。七海敬斗は、まさしく下衆だった。
「言ったよな、お前言ったよな! 召喚されて、従者になったら、もう元の世界には帰れないって。ミィリィさんも、二人して!」
あの時の顔を覚えている。神妙そうに、真剣そうに、慈悲深く、憐憫に満ちた表情をして、やすやすと戯言を吐いていた。今思えば何もかもに合致がいく。俺が馬鹿だった。単純に騙される俺の不用心さが愚かだった。
「……」
「なんだよ……、なんか言えよ! 嘘だったってことかよ。全部嘘だったのかよ! 初めに見せた微笑みも、手を差し伸べたことも、取り繕って、騙してたのかよ」
彼女たちも。
「みんなで口裏合わせて、どういうつもりなんだよ! 少しでもお前らのことを信じちまった俺が馬鹿だったよ。こんなふざけた世界に放り出されて、右も左もわからないときに手を差し出されたら、そりゃあ誰だって掴みたくなるよな、あはは。ただの間抜けだったよ、俺は。なんの理由があってかは知らないが、こうも容易く他人を信用する人界人が可笑しくて仕方なかっただろ! 思えばマッチポンプだよ。もっと早くに気付くべきだった。猜疑心を緩めるんじゃなかった。そうすればもっとマシな心意気でお前と対峙してたのにな」
俺がこんなに憤慨しているのは。
俺がこんなに失望しているのは。
ひとえに信用を持っていたから。信頼を抱いていたから。希望を残していたから。
初めから疑念で心に壁を作って頑丈にしていればこんなに苦しまなくて済んだのに。
他人に甘えて、被害者であることを誇張して、敵に助けを求めるなんて。
所詮は相容れない。異界の思考を持った連中だ。騙された方が悪で、騙した方が正義だ。
だから俺がこんなに叫んでいるのも惨めに見える。
鴨長明との会話を思い出す。
『帰れるに決まってるだろ。召喚してはいあなたはもう帰れませーん! とか、もはやただの拉致じゃねーかよ、お前んとこなんかおかしいんじゃねーのか?』
『……でも、あいつらは』
『そもそもお前が召喚された時の状況はどうだったんだ? 何か不自然なところはなかったのか』
考えるが、自然がわからないので不自然なんて分からない。
『召喚士と主従の契約をした時のことは覚えてるか? 手を結んでやるあれだよ』
『いや、そんなことしてない』
『こりゃあなんか裏がありそうだな』
『もしかしたら、眠っている間にされたのかも知れない』
『いや、それはない。お互いが意識のある中で儀式をしなければ、契約は成り立たない。相対立する意思表示の合致によって成立するのが契約だよ。そうじゃなければ法律じゃない。違法行為だ』
『…………』
『思うに、七海は今仮契約の状態にあるんだ。仮契約って言うのは、召喚士が従者候補となり得る存在を中心界に呼び出した時の保護措置だ。これは同意がなくても行えるんだ。仮契約を行うことで、従者候補を留めることが認められて、契約の交渉へと移る。直ちに候補が帰還を訴えた場合はその通りにしなければならない。仮契約帰還中に中心界について案内をして、悩んだ末に契約を結ぶか決める選択肢もある。どちらにしても、最優先されるのは受け手の権利だよ』
あれは紛れもない真実だった。だから俺は憤慨してここまで疾走してきたのだ。
「今すぐ俺を元の世界へ帰せよ! もういい加減に……」
「待ってケイト、落ち着いて」
「ケイトさん」ミィリィさんも重い口を開くこうとする。
「落ち着いていられるわけねーだろ!」
「お願い! 話を聞いて!」
彼女が必死に叫ぶ意味が分からなかった。言い訳でもするつもりか。けれどその表情は今にでも泣き出しそうで、辛そうで、直視をしたくなかった。でも、どうせそれも嘘だ。
「全部、全部言うから……。ケイトが求めていることを、全部話すから。少しでいいから私に耳を傾けて、お願い……」
荒く殺気立った息が収まらずに、部屋の中には張り詰めた静寂が漂っていた。窓のから入る光に映し出される影は長く伸びていて、空が臙脂色に変貌していく。
なんだよ。何を言うつもりだ。どんな嘘でも、吐いてみろよ。俺はもう騙されない。
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