受け入れない
「ケイトの家族は、もう、亡くなってるの」
アリシアは説明した。彼女が知っていることを余すことなく全て。事件の細部に至るまで、事細かに描写した。その言葉は一部冷酷に聴こえて、それでも俺を落ち着かせようとしている風に見えた。だが。
「嘘だ」
そんなものは、デタラメだ。事実じゃない。真実じゃない。
俺が求めているのは、そんなものじゃない。
「本当だよ。全部、残念だけど」
「違うっ! 違う……違う」
「ケイトさん、この名前に聞き覚えはありますか? 七海信広さん、七海朝美さん、七海羽織さん」
「……!」
知っている。当たり前だ。ずっと一緒にいた家族。人界で、行方不明の俺を心配しているであろう俺の家族だ。両親と、それから妹。だから俺は帰らなければならないんだ。だから……俺は……。
「違う、嘘だ! こんなこと、嘘に決まってる! いつまで嘘を吐き続ければ気がすむんだよ。俺はそんなこと聞いてない。だから……本当の……ことを」
「…………」
アリシアは喋らない。悲しそうな双眸で俺をじっと見つめて、視線をそらそうとしない。
「これがことの全容です」
ミィリィさんが沈黙の中で小さく、しかしはっきりと言った。
堪えることが出来なかった。受け入れることが出来なかった。
何か不明瞭な焦燥に駆られて、寄る辺ない不安が押し寄せて、恐怖で泣きさけびたかった。このまま現実から目を逸らし続けて楽をしていられたら、どれほど幸せなことだろう。
突っ立ったままの両足が、もうこれ以上維持できなかった。
二本三歩後ずさり。
それから後ろに踵を返し。
俺は走り出した。
さっきミィリィさんが閉めた扉をまた乱暴にこじ開けて、廊下へと飛び出る。
「うわぁっ!」
見ればそこにはまりしろが尻餅を着いていた。全部、聴いてたのか。
「けいと」
俺はそのまま走り去った。
○
何も考えないようにした。そうしなければ壊れてしまいそうだった。
深層心理に閉じ込めた記憶が溢れ出て、その気持ちを振り払うために全力疾走をした。
陸上部に入っていたのは、走ることが気持ちよかったからだ。走っている間は、嫌な事を何もかもが忘れて無我夢中になれた。それが心地良くてずっと部活にのめり込んでいた。
今俺は走っている。
見たくないものを見ないために。思い出したくない事を思い出さないように。
一心不乱に走ると、いつの間にか図書室の豪壮な扉の前に立っていた。
本棟と繋がっている図書室は円筒の形をしていて、一階から四階、そして屋上へと出られる階層まで吹き抜けとなっている。蔵書数は市民図書館を軽くしのぎ、古本屋が一店舗開ける勢いだ。この部屋があまり使われる事は少なく、利用者は七海敬斗、ミィリィさん、ルーナくらいなものだ。たまにまりしろが昼寝に来るけれど、図書室を利用した、とは言えないだろう。
ナナが設計したロボックリーナーが駆動する以外は森閑としていた。
今いるのは一階だ。埋没した意識で走っていたせいだ。本当は四階の扉から入れば近いものを、随分と遠回りをしたものだ。
三階まで登っていく。今日は目覚めてから二十日目。召喚されてから二十五日目。
俺はその間に帰還する方法を探すため、必死になって図書室に篭っていた。電子デバイスと併用しながら実際に書籍に目を通し、一階から順番に捜索した。
けれど未だ発見には至っていない。中心界の様々な項目についての記述を見つけるが、法律や核心についての本はまるで見つからないのだ。今となっては作為的なものが丸見えだった。
適当に本を選んで床に置く。自分自身も床に這いつくばる。震える手でページをめくり、帰る方法を探す。
もう分かっていた。
意識とは隔離された場所で、もう既に全てを知っていた。
けれどどうしても希望が、絶望が、受け入れる事から目を背けようとする。だからずっと閉ざされてきたのだ。二十五日間ずっと。眠っていた時から、本当は理解していたはずなのだ。
意識は混乱し感情が錯綜して、思うように調べ物に集中できない。ページをめくり文章を辿っても、全く頭の中に言葉が入ってこない。
どうにか、どうにかして探すんだ。帰る方法を。
あいつらは嘘で嘘を塗り固め、俺を騙そうとしている。そんな手には乗らない。
連中に頼っても無駄と理解した。
だったらもう自力で全てを成すしか選択肢はない。
何冊もの書籍を床に広げて、それぞれの内容に目を通す。
違う。これも違う。
だんだんと虚しさが押し寄せて、恐怖が漂った。今はまだ夕方。取り敢えず夕食までは捜索を続けよう。
「ケイトさん、何をしていらっしゃるのですか」
後ろを振り返ると穏やかな表情のミィリィさんがいた。追ってきたのか。
「何って……、探してるんですよ。人界へ帰る方法が書かれている本を」
「…………」
ミィリィさんは呆れたような顔をしていた。軽蔑してくれたって構わない。何を言うわけでもないようなので俺は本へと視線を戻した。
「その事について書かれている書籍が見つかれば、あなたは満足なのですか?」
「…………」
「見つけたあとはどうするんですか。そのまま帰るんですか? 先ほど言ったことは全て紛れもない事実です。それを知ってもまだ、ケイトさんは目を逸らし続けるのですか。あなたは本当にそれで良いんですか?」
「…………」
答えが出ない。俺だって、理解している。
「……わかりました」
ミィリィさんは図書室のシステムコントローラーを操作した。少ししてロボットが一冊の本を運んでくる。運ばれてきた本をミィリィは拾い上げると、俺の方へ差し出した。
「これがケイトさんが求めている本です」
俺は一度顔を上げてから本を受け取った。
本には召喚士が従者となる存在を呼び出す手順についてやそれの法的措置、法律の観点から見た様子などが記述されていた。従者の人権についても載っている。
そこに書かれていたのは、鴨長が言っていた通りのことだった。
従者を召喚するには資格が必要である。
召喚士は仮契約者の意思を尊重しなければならない。
従者には休暇を取る権利が認められている。
それらの記述は彼女たちが話していたことを真実だと決定付けるには十分すぎる証拠だった。さらに従者は召喚士を介する他に帰還する手段はないようだった。
「もしも本当に帰ることを望まれるのであれば、もう一度アリシア様と対話をしてください。なにもアリシア様は、あなたを絶対に帰さないと言っている訳ではないのです。ケイトさんも理解はしているのでしょう? 受け入れたくないだけで、もう思い出しているのでしょう? だったらもう、するべき事は決まっているのではありませんか」
けれど。
話はそんなに簡単じゃない。
「……どうして」
俺はミィリィさんに言う。彼女に答えられる質問ではないのに。
「どうして、こんなことになってしまったんでしょう」
こんなもの、ただの独り言に過ぎない。
「あの時までは、普通にしていたのに。あの時までは、何もかも上手くいっていて、その先も順調に進んでいたはずなのに。俺はいつから道を間違えたんでしょう」
どうしてこうなった。
「何が悪くて、こんな風にしているんでしょう」
不意に心の底から何かが込み上げてきた。今にも決壊しそうで、慌ててミィリィさんから視線を逸らした。図書室の床を見つめる。こんな姿を見られたくない。
「ケイトさん」
影が延びた暗い図書室で、ミィリィさんは穏やかに言った。
「ちょっとついて来てください」
踵を返して、端麗な人魚はうずくまった若者に促す。
俺は反応しない。身体に力が入らなくて、何をするにも億劫だった。そんな愚か者に溜め息がひとつ。呆れたミィリィさんは俺の手を掴むと、半ば強制的に図書室から連れ出した。抵抗はしなかった。
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