エピローグ
アリシアに忠誠を誓った夜、俺はこれまでにないくらいの幸福を感じた。団欒とした食事や、何気ない一言・行動のすべてに温かみを感じ、大切な居場所を認識した。
寝る直前になって寝室へ行こうと廊下を歩いていたところで、まりしろにばったりと出会った。大きな白い枕を持っていて、下ろした髪をなびかせていた。
「ねえ、……今日けいとの部屋で一緒に寝ていい?」
思いも寄らぬ発言に驚いたが、まりしろが珍しい行動に出たときには必ず理由がある。
まりしろは獣人の感覚ゆえ、人の気持ちの変動に敏感だ。俺が子どものように大泣きしたこともバレているのではないだろうか。俺の感情から寂しさを読み取った子猫は、心配を掛けてくれているのだ。
自分にできる精一杯の力で、従者として、仲間として。
なら俺も、これから全力でそれに応えていこう。
「ほら」
扉を開けて、入るように促す。ナナに知られたら変態扱いされてしまいそうなのが不服だが、知られないことを祈ろう。もちろん、よこしまな意図は一切ない。
まりしろは駆け足でやってきた。
その晩、多機能コントローラー「スフィアグラフ」を使ってまりしろとボール遊びをしたり、二人でベッドを飛び跳ねたり、ワーワーギャーギャー騒いでいたのがナナにばれた。
こっ酷く叱られて謝罪し、なんとか慈悲をいただいた。すぐに寝るように命令され灯りを消した。ナナが部屋から出て行くと「いった?」「いったかな?」とまりしろと眼を合わせた。軽い修学旅行気分である。
その後夜更かしをしたかどうかは、想像を委ねる。
○
翌朝目覚ましで起きると普段通りに身支度をした。朝にめっぽう弱いまりしろを抱きかかえて左の首筋を甘噛みされながら廊下へ出ると、ナナとシャウラに合流する。
「がぶり」
予想通り、後ろから右の首筋を噛み付かれた。
シャウラ、まりしろ、グレムリンと、こちらに来てから噛み付かれることとが多い。
だからきっと、今の俺は神に憑かれているのだと思う。これは縁起がいい。シャウラに噛まれるのは未だに慣れないけれど。
二方向から噛まれながら食堂に行くと、他のメンバーはすでに席についていた。
何気ない会話。いつも通りの風景。
俺はすでに、アリシア家の一員なのだった。
○
食後ルーナに研究所に来るように言われた。
屋敷の裏口から向かおうとしたところでナナに呼び止められる。
「ケイト、これを」
ナナが手に持っていたのはスマートフォンだった。
「これって……」
「ケイトが身につけいていたものです。海水に濡れてほとんど駄目になった状態だったのですが、なんとか修理してみました。どうぞ」
スマートフォンのホームボタンを押すと画面が光った。
「直してくれたのか」
「いかがですか?」
「最高だよ。ありがとうナナ」
「お褒めにあずかり光栄です」
ナナは微笑んだ。
「しかしケイト、あなたは正真正銘の変態ですね」
「え?」
「データの復元作業をしている時、とあるフォルダを見つけましたよ。タイトルは確か……、紳士の嗜み」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
見られた……だと!?
「まさかあんな趣味をお持ちだったなんて……。本気で軽蔑します」
「あぁぁぁぁぁぁー、軽蔑されたー! しかもマジなやつだー!」
○
ひどく憔悴した心で研究所に行くと、ルーナはロッキングチェアに腰掛けていた。
「来ましたかケイ、ですが少し遅かったですね。何かあったんですか?」
「……ちょっとあってな」
あれはマジでヤバいやつだ。俺の全性癖を掌握されてしまったんじゃないか? 弱みを握って脅す……。詰め寄られたら俺は抵抗できないじゃないか! あ、いや逆に、俺の喜ぶことはやってくることはないのか……。って、何を残念がってるんだ俺は!
「そうですか、ちょっとよく分かりませんが……、さっきナナがなんか言っていたような……。紳士がどうのこうのと」
めちゃくちゃ吹聴してるじゃーねかよあの野郎ぉぉぉー!
「あはは、それはあれだろ、俺が紳士的だって話だろう。あはは、そうに決まってる!」
必死なのでルーナに戸惑われてしまった。
「それでですね、呼び出した理由なのですが」
ルーナは立ち上がって言う。
「ちょっと魔法を試してみようと思いまして」
「危険なやつはしないからな」
「大丈夫です。安全なやつですよ。この前の、ちょっと作り方を間違えて最悪の場合死に至っていた薬とは違います」
「前のやつそんなに危険だったのかよ……」
それを飲ませようだなんて殺人未遂の域じゃねーかよ。さすがマッドサイエンティスト。
「いやー、褒められると照れちゃうじゃないですかー」
「褒めてねーよ!」
「それじゃあ、早速始めましょうか、目を閉じてください」
狂気研究者の前で隙を見せるなど不安でしょうがないが大切な仲間となった今、信頼してみるのも良い。
「ちょっと失礼しますね」と言って、ルーナは俺の額に手を当てる。「ケイ、あなたの一番幸せな記憶を思い浮かべてください」
俺の一番幸せな記憶とはなんだろうか。少し戸惑って、あれしかないのだろうと思った。これからは前を見て生きていくことにした俺だが、やっぱり人は過去を振り返らずして生きることなど不可能なのだと思う。
「もっと強くです」
想いを馳せる。大切な記憶に。俺があの時過ごしていた、何気ない日常について。みんなのことは当然大切だと思う。どちらが一番とかじゃない。どちらも一番なのだ。そこらへんは区別をしておかなければならない。
「はい、眼を開けてください」
ゆっくりを眼を開けると、そこには予想だにしない物があった。
「じゃーん! どうですケイ、私だってまともに魔法出来るんですよ?」
「え……、これって」
それは、七海家が全員笑顔で写っている写真だった。懐かしい記憶の、欠片だった。
「強く念じた風景を現像する魔法です」
ここ最近涙脆い気がする。昨日泣きすぎて、涙腺が壊れたか。
「ちょっとケイ、そんな顔しないでくださいよ。私が泣かせたみたいじゃないですか」
「違うよ……、嬉しいんだ。ありがとうルーナ」
「あれ? だったらお礼として新薬の被験体を今すぐにでも試していただくという意味で捉えて良いってことですか? ……って、さすがにそれは冗談ですがね」
「あはは……。でも、ルーナの研究の手伝いができるなら、できる限りのことはしたいな。今度何かあったら声かけてくれ。ルーナの研究、応援してるから」
ルーナは微笑みながら頷いた。
○
本棟に戻るとシャウラが寝室に向かうことろだった。
「よお、シャウラ・プラットフォーム・リンダリンダ・ミッドタウン」
「ちがーう! い、い、か、げ、ん、覚えろー!」
眠そうにしながらも怒りを見せるシャウラが少し面白かった。
「寝るのか?」
「うん、吸血鬼は夜行性だからね」
「そ。……あ、そういえば」
「なーに?」
「ありがとな。色々してくれたみたいで」
「ふんっ、なんのことだろーねー?」
吸血鬼はとぼける。彼女の優しさには、本当に惚れ惚れする。
「覚えてないならいいよ。それじゃあおやすみな、シャウラ・ブラッドファング・リリンリリス・アッシュ・ミッドナイトメア」
「あれ、……あたしの名前」
「ん? どうかしたのか」
気恥ずかしかったので、俺は早々と歩き出す。シャウラは口を尖らせる。
「なんかずるいなー!」
後ろからそう声が聞こえた。
○
「おーいケイトー!」
玄関でアリシアとミィリィさんがいた。外行きの格好をしている。
「これから学校か?」
「何言ってんのケイト。ケイトも一緒に行くんだよ」
「ええっ!?」
「あっ、そういえば伝え忘れていましたね」
俺今すごい休日の気分だったんだけど。
「正式な従者となったので、また手続きが必要になったんですよ。それには本人の同行も必要でして。入学するのにも、一緒に行った方が良いかと」
「え、俺入学するんですか?」
「何驚いてんのケイト。ニートにでもなるつもりだったの?」
「申し訳ないですけれど、今すぐに支度してきていただけますか? 時間かかると思いますので」
扉を開けて、外に出た。
外気はとても心地よく、春の匂いを全身に感じた。
これからの人生は、なかなかに楽しそうだ。
境界の召喚士〜目覚めたら従者にされていた〜 ぽかんこ @pokannko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます