そしてすべてを思い出す

「先ほどは失礼をしました。私もちょっと我を忘れていました」

「大丈夫ですよ。服も乾いたようだし」

 濡れ鼠となった服は瞬間乾燥をされて着心地のよい状態へ戻った。

 ミィリィさんは普通に衣服を着直した。なるべく目がいかないように注意したけれど、実際のところそれが出来たかは不明である。なんちゃら引力の法則という奴の仕業だ。

「私もらしくないことを……」

 先ほどの行動を思い返したようで、ミィリィさんは少し後悔の表情を見せる。陸へあがっているため下半身はすでに脚へと変化している。これが深界の人魚というものか。ミィリィさんが人魚であることは初期の初期から知っていたけれど、実際に目撃して今更ながら驚いた。

 水中では尾びれに、陸上では脚になる優れた特徴が人魚姫にもあったならば、もどかしい想いをせずに済んだのかもしれない。

「らしくなくていいじゃないですか。この場だけの話なんですから。そうじゃなかったら俺だってあんなみっともない姿を晒して。水底に沈めておけばいいんですよ」

「そうですね」

 ミィリィさんは微笑んだ。

「このあとは、どうするつもりなんですか?」

 決めなければならない。選ばなければならない。

 今のこと、そしてこれからのこと。

「私が出来ることはもうこれ以上ありません。ここから先は、全てケイトさんが決断することです。深く考えて、じっくり話し合って、しっかり決めてください」

「……はい」

 あの召喚士と会わなければならない。

 発言を全て嘘だと罵り、好意に対して暴言で返したことについて、俺は言うべきことがある。あの召喚士。華奢で、健気で、それでいて気高い不群の召喚士アリシアに、面と向かって、今できる全力の決意を表するのだ。

 けれど恐れをなしている。

 今まで心で思っていた蔑みや罵り、好意を突き放したことが邪魔をする。

 果たして、彼女に合わせる顔はあるのだろうか。

 優渥な彼女は、おそらく簡単に俺を許そうとするだろう。

 でもそれで許されていいのだろうか。

 今まで考えてきた罪悪に赦しを与えられて、のうのうと生きて良いのだろうか。

「不安、ですか?」

「臆病者なんですよ。……でももう大丈夫です。覚悟は決まりました」

「そうですか。でもアリシア様に会うにしても、もう少し待ってからの方が良いかもしれませんね」

「え?」

「目元、ですよ」

 そう言われて、鏡を見つめた。

「あはは、もっともです」

 こんな情けない顔で、彼女に会うのは格好がつかない。

「あ、それからもう一つだけ」

「……?」

「召喚士と従者は家族です。みんなケイトさんのことを想って過ごしてきたんです。だから、先ほどの話でもう自己憐憫はおしまいです。これだけは覚えておいてください」

 ミィリィさんはひと息置いて言った。


「あなたは孤独じゃありません」


 顔を普段の状態に戻さなきゃいけないのに、余計に崩れそうになった。


 ○


 今日は何故だか夕方が長く感じた。感覚的なことなので実際には何ら変哲もない一日のはずなのに、どこか不自然さが漂う。

 シャウラはそろそろ活動を開始し始める頃合いだろうか。まりしろは自由奔放な奴なので、屋敷内のどこかをほっつき歩いているか、もしくは長い昼寝でもしている。ルーナとナナはそれぞれ研究室とラボで仕事を頑張っている頃だろう。

 だから誰かと出会うこともない。けれど俺は今の情けない姿を見られたくなくて、隠れるようにして屋上へ向かった。

 屋上と言ってもそこで何かが出来るように造られているわけではないので足場が悪い。俺は足元に注意しながら座り心地の良い段差に身を置いた。ちょうどその場所から赤く染まった夕陽が見えて眩しかった。

 空は反対の方角に向かうにつれて青みを深め、徐々に徐々に暗がりを増していく。空色から群青へ。幾つかの星が見えた。この世界にも星座はあるが、詳しく知らないのでどれがどれなのかさっぱり分からない。

 けれどそればっかりは仕方がない。夜空を見上げて「大和の天に出でし月かな」と詠ったところであれは中心界の月だ。六つあるし、模様も違う。

 夕暮れの風が心地よかった。

 ここには四季があり、今は春へと向かう時期。目覚めたばかりに感じた空気よりも、幾分かの過ごしやすさを感じる。花も盛んに咲き誇り、木々も鬱蒼と生い茂る。新たな時期の始まりが近づいているように思えた。

 陽が沈む方向にはフリルの街が見える。

 とても素晴らしい景色だった。この光景が見られるのも、きっとこの場所だけだ。まりしろに屋敷を案内された時のことを思い出す。

 あのとき俺は屋上に行かなかった。「綺麗な景色が見られるよ」と言われたが、それとなく適当な対応をして聞こうとしなかった。だがあの時点でまりしろは既に俺の境遇を知っていたのだ。だから彼女なりに出来ることをしようとした。他のみんなだって同様だった。

 これからみんなに謝らなければならない。

 俺が向けてきた彼女たちへの懐疑を謝罪するのだ。

 差し伸べられた手を突き飛ばし、好意を敵意で返そうとしたことを。

 そう思うと、また胸がズキズキと痛んだ。またもや感情が溢れ出て止まらなくなりそうだった。落ち着きを取り戻すために屋上へ来たというのに。

 今の俺は、全てを思い出している。

 アリシアとミィリィさんから真実を告げられ、閉じ込めていた記憶は溶け出した。二人から説明されたこと以外も全部だ。俺しか知らないことも含めて、何もかもの記憶を取り戻した。

 だからどうも思い返してしまう。

 今はアリシアの元へ行かなければいけないのに、どうしても邪魔が入る。

 あの日のこと。

 それまでは普通の人生を送れていた、あの日までのこと。


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