トラウマ

 目の前にあるのは、いかにも未来的な乗り物。深紅の光沢があるボディに黄金に光るライン。人界の車と異なりタイヤはなく、球形の部品が付いている。ハンドルも見当たらない。全体的にシャープな印象を受ける。中を覗くと、八人が乗るに十分なスペースがあることが分かった。

「これは《スカーレット》と言います。私が製作しました。市販のものとは性能も機能も異なります。その代わり、費用もですが……」

「そんなことしてるから財政危機になるんじゃ……」

 今いるのは車庫だ。玄関から出てすぐ隣にある。アリシアが乗って行ったもの、《スカーレット》、その隣に見えるバイク型の機体。

「まりが一番前乗る!」

 まりしろが走って乗り込んだ。俺たちも続いて乗り込む。俺は真ん中の席に着いた。

 ナナがホロウィンドウを操作する。車が起動して静かな音を立てた。突如浮遊感が襲って、車が浮いていることが分かった。

 向かうのは首都ジオ・セントルからほど近いミスカという街だ。到着まで三十分を要する。

「ロックを解除した素振りが見えなかったけど」

「機体に触れる時に自動で個人認証がされているんですよ。屋敷の者はあらかじめ登録されています。盗難防止ですね。ケイトも登録してありますよ」

 いつの間に。

「個人認証って具体的になんだ? 触れるから指紋か? それとも網膜とか顔?」

「いえ、DNA認証ですよ。これはさすがに誤魔化しが効きませんから」

「へえ。なら機人は? 機械の身体だから遺伝子はないだろう」

「コアですよ、ケイ」隣にいるルーナが言った。

「はい。機械の生物には必ずコアが存在していて、一つたりとも同じではないのです、DNAのように。コアにはそれぞれ独自のコアウェーブがあって、それを読み取ることによって個人の特定が出来ます。これも誤魔化しは効きません」

 コアとは機械生命体にとって魂の入れ物だ。機体が破壊され動力源が停止しても、コアが破壊されない限り死とは判断されない。現在も分からないことが多く研究が続いている。コアには寿命があり、個体差がある。エネルギーが完全に切り離されていて、エネルギー供給がなくても活動を続ける。その性質があるからこそ機人は機体を乗り換えることが出来るのだ。人間の脳はそう簡単にはいかないが、機人は姿を楽に変えられる。

「あっ、ドラゴンだ!」

 まりしろが上空を指差した。窓を覗くと、黒いシルエットが見えた。

「霊界かな、魔界かな?」

「あれは霊界だね、しかも南方の龍だ」とルーナ。

 召喚士が従者として呼び出して使役しているのだ。中心界では一種の乗り物として認定されている。馬車や犬ぞりの仲間だ。ドラゴンは屈強な姿をしていた。

 スカーレットが走行しているのは一般空路。道路標識が空中に浮いていて、その案内通りにオートドライブしている。車通りは割と多い。

「そういえば、ルーナは何の用で街に行くんだ?」

 ワクワクしながら車窓を覗くとまりしろを見てから、ルーナに視線を移す。

「研究器材を買うためです。本当は近所でも事足りたんですけど、みんなで行くならミスカの方が活気があって良いんですよ。ケイの観光も兼ねられますね」

 気遣って目的地を変えてくれたのか。ちなみにナナは引きこもってばかりでは精神に悪いとの理由で来たのだそうだ。この四人で《スカーレット》を運転できるのもナナだけだ。

「あと先日レンタルしたグレムリンを返却するのも理由の一つです。フリルの妖精貸し屋と同じ会社なので利用できるんですよ」

 フリルというのは屋敷がある街の名前だ。

「グレムリンか……。半ばトラウマ化してるんだよな。もう脱獄されたりしないでくれよ」

「お騒がせしました……」

 あの事件の話を持ち出すと、ルーナ一気に弱気になる。

「次やったら修理の刑ではなく無期懲役か千五十年地下行きですね」ナナが嘯く。

「ひぃぃぃ!」

「本当に気を付けてくださいね。ほとんどがロボットクリーナーに憑依していたから良かったものの、戦闘用の機体にでも取り憑かれていたら……。思わずぞっとしますよ」

「すんまそん」

「はい? 電気流しますよ」

「ひっ、お許しをぉ……」

「身分が狭いなルーナは」

「その分反省すれば良いんだよ。ね、ルーナ」

「ありがとうまりぃぃ!」

「うわぁ! くすぐったいってば」

「ところで肝心のグレムリンはどうしたんだよ。まさか忘れてきたんじゃ……」

「いえいえ、ご心配には及びませんよ? しっかりと持ってきました。この中に」

 ぽんぽん、と肩から斜めに掛けているポシェットを叩いてみせる。

「ポシェット?」

「はい。これは魔法のポシェットです。見た目そんなに入らなそうに見えますけれど、実際は倉庫のように所持品を収納出来るんですよ。取り出し収納自由自在です」

 魔力が込められた特殊なポシェットか。

「へえ。て言うか、俺は知らないことだらけだな。自分が田舎者のようで落ち込むよ」

 するとルーナは笑う。「人界は割と都会な方ですよ。深界といい勝負です」

「あ、そうだ。ちょっとケイト」

 今度はナナが話してきた。「ん?」

「これ持っといてくれますか? 可能性は低いと思いますが、待った時の為に一応」

 渡されたのは金属でできた指輪とコンタクトレンズが一つ。レンズには電子チップのようなものが埋め込まれていて模様が出来ていた。

「リングを利き手の人差し指にはめて、レンズは利き目につけて下さい」

 右手人差し指と右目、コンタクトをはめるのは初めてだったので苦戦した。それを見ていたナナは《スカーレット》のモニターをいじって俺の右側にある窓を鏡に変えた。このくらいではもう驚かない。ありがとうと一言掛けてレンズをはめた。

「それは通信デバイスです。緊急の際に使ってください。使い方は……、まず指輪をはめた指を空中で振り下ろして、ディスプレイが表示されるのでマニュアルをタップしてください。そこを読めば、まあだいたい分かります」

「凄いですねケイ、初めて触った電子機器をそんな簡単に扱えてしまうだなんて。私は何年経っても使いこなせないんですよ……。と言うかむしろ月日を重ねるにつれてますます理解出来なくなっているような」

「けどその代わり魔法が得意だろう」

 実際のところ、ルーナが電子機器を苦手としているのには理由がある。通常、科学が得意な者ほど魔法が苦手で、魔法が得手なほど科学が不得手という性質が世界にはある。だからルーナは科学が苦手なのだ。一方ナナは魔法を一切扱えない。どちらも得意という存在は極々少数である。

 様々な技術を目の当たりにして、まだまだ知らないことだらけだと思い知らされた。中心界は興味深い。六つの世界の特色を全て持っているのだ。可能な限り楽しんで帰ろうか。そんなことを考えた。


 会話をしている内に海が見えてきた。ミスカに行くには湾の上空を通るのが一般的であった。陸路もあるが、わざわざ遠回りするのは時間の無駄だ。

「海だあ!」はしゃぐまりしろ。

 俺も外の景色を眺めていた。陸地はだんだん遠くなり、その代わり対岸が見えてくる。下に目を移すと、海上を船が行き交っていた。

 蒼い海を見つめる。深く深く、吸い込まれるような青。

 ふと、頭痛がした。

 あれ。

 急激な下降の感覚。全身に寒気が襲う。息が詰まる。呼吸が安定しない。

「ぐぅ……はぁ、う、あぁぁぁぁぁ!」

 耐えられずに絶叫する。

「え、どうしたんですかケイ!」

「けいと?」

「あああああぁぁぁぁ!」

 怖い。怖い。怖い。

 苦しい。苦しい。苦しい……。

 嫌だ。イヤダイヤダイヤダ。……死にたくない。死にたくない……。

「降ろしてくれ!」

 両腕で頭を抱え、身体を丸くする。なんとか発した声はか細く、自分でも何を言っているのか判然としなかった。記憶が曖昧で、現実と夢との区別がつかない。

「降ろしてくれ、降ろしてくれ……」

 恐怖で震えが止まらない。両眼から涙が溢れ出る。

「ナナ、急いで陸地に!」

「ケイ、深呼吸してください」

 誰かが背中をさすってくれている。声の主が誰なのかもハッキリと分からない。脳が働かない。轟音が頭の中で響いている。

 いやだ。死にたくない、死にたくない。

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