必ず帰る


 目覚めたときの部屋は二階の階段近くにあるのを覚えていた。ミィリィさんに案内してもらう事もできたのだが、あまり過度にお願いするほどのことではない。俺はひとりで部屋へたどり着いた。

 しかし俺が目覚めた部屋へはまだ入らない。あの部屋は寝室として機能している。普段の生活としての部屋はその右隣だ。まだ眠る気にはなれないので、寝室の扉を通り過ぎてもう一つの部屋へ入った。

 部屋へと向かう途中の廊下には、いくつかの見慣れないものがあった。

 どうやらお掃除ロボだ。廊下を這っている。ルンバの形によく似ている。

 この中心界では魔法と科学が混在し、魔法使いがいれば金属でできた精巧な機械もあるという。今でもあまり受け入れ切れていないものの、六つの世界、霊界、機界、人界、獣界、深界、魔界からそれぞれの文化や特徴を持ち込んでいるのだとしたら、少なくとも不自然なことではなかった。

 機械は機界から、魔法は霊界から持ち込まれたものだと考えるのが妥当だろう。

 俺とあの二人との言語の壁を壊して会話が成り立ったのは、魔法によるものであると言っていた。その点から考えても、この世界では一方が一方を滅ぼす事もなく、上手い具合に均衡を保っているのだと想像できる。

 科学も魔法も、どちらも等しく重宝されているのだろう。

 この予測が当たっているのであれば恐らく中心界の都市部などでは、コンクリートジャングルとも形容できるビルディングが建ち並んでいながら、箒にまたがる魔法使いや、人と獣を足して二で割ったような獣人が共存していることとなる。しかしそうともなると、妄想が膨らんで収まるところを知らない。

 様々な憶測や思考が巡りに巡る。だがまずは目の前のことに従事しよう。俺は高ぶる気持ちを制止した。

 部屋に這入ると、その内装はまるでホテルのようだった。センサーが反応して、部屋の明かりが自動で点灯した。目が慣れず少し怯んだが、すぐさま部屋の全貌が見えた。

 部屋の中央にはソファーが一つ。窓側の壁に沿うように机が一つあって、その反対側にはクローゼットがある。他にも、モニターとスピーカー、本棚、廊下にもあったような装飾などが施されていた。床には這うように円盤型お掃除ロボットがいる。

 余談だが、俺は咄嗟の思い付きで、ルンバに『そらゆき』という名前を付けた。

 その由来は、俺が召喚される以前の生活で『そらゆき』という名のネコを飼っていたからだ。そらゆきは白いネコでよく床で転がっていた。その様子がロボットの這う姿と重なったのだ。

 モニターを点けてみようと思い立ったが、やはり今はそんな気分ではなかったので止めた。そういった興味をそそる物の数々は、おいおい触れていくとしよう。

 次は壁に沿うように置かれている机に意識を向けた。

 机の上には二つの本が置かれている。ハードカバーのように分厚い作りになっており、厳かな印象を持った。書店で買えば結構な値が張りそうだ。

 本の表紙にはタイトルが書かれていた。

 そこには日本語でも英語でもない文字が書かれている。けれど俺はそれを読み取ることができた。アリシアが言っていた魔法というのは、会話に限らず文字にまで影響を及ぼしていた。

 やはり二人が言っていたことは真実で間違いないらしい。

 これが夢であることを証明する手段がないのだから、もはや受け入れるしかない。

 戸惑いはそう簡単に消せはしないが、いずれ何の疑問も抱かなくなるのだろうか。

 本には次のように書かれていた。

『中心界入門編之書』

『一中六界種族図鑑』

 ペラペラと本をめくってみる。一冊目は中心界の成り立ちや言葉、文化などが絵や表などを使って大まかに書かれていた。二冊目はタイトル通り。中心界と六つの世界における生命についての解説がカラーの写真を使って説明されている。パッと見たところ、エルフ、機人、人魚、獣人などいくつもの種族の特徴が記載されていた。

 これはとても好奇心をそそられるものだった。

 新しい知識を得ることの喜びはとても素晴らしいものだ。後で読むことにしよう。そう考えて、俺は机から意識を離した。

 窓際まで近づいて窓を開けた。夜の涼やかな風が部屋へと入り込んできた。そのままバルコニーに出ると少し肌寒いように思った。季節的にはいつなのだろう。初春のように感じる。

 手すりに手を掛けて夜空を見上げた。

 やはり俺の知っていた空とは程遠い。

 月の他にもあまねく星々が瞬き、この空がいかに澄んでいるのかが分かった。

 平生から星空を眺めているわけではないが、やはり知っている星座はひとつも無いみたいだ。

 強い疎外感を心に感じた。

 例えるならば砂漠に持ち物なしで取り残されたような感覚である。

 孤独な窮地にあった俺を至れり尽くせりな対応で迎えてくれたあの二人は、中心界に無知な俺に大きな安心感を与えた。それは否定できない事実だ。

 もしかすると俺が騙されているだけという可能性を排除することは到底できないが、さすがにここまで折り目高に扱われると、懐疑の目を向けている俺の方が申し訳なくなってくる。

 よってなおさら虚しく、さもしく感じてしまう。

 けれど、理解しがたい現実に打ちひしがれていても仕方がない。

 憂うだけでは物事は進まない。

 このまま現実を直視せず、アリシアの言うことを聞かないように振る舞うのは絶対にダメだ。

 心のどこかで、俺は勝手に召喚されたという理不尽さを嘆きつつも面白がっている。まるで新しい環境に希望を抱くかのように、浮かれている。

 それが良いことなのか悪いことなのかは、俺一人には判断がつかない。けれど、そうは言ってもこのまま理不尽を強いる連中に操られるわけにもいかない。俺は家に帰りたいのだ。

 もしも時間の流れ方が中心界と人界で同じであるならば、俺は五日間の行方不明になっているのだ。家族が心配するに決まっているではないか。

 この問題を放置できるはずがなかった。

 何らかの対策を立てて、必ずや帰らなければなるまい。

 俺は知らない星空を眺めながら、そう心に誓った。

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