ハードボイルド嘘つかない
マスターがカウンターの奥でごそごそやって、店内にまた、湿っぽいジャズが流れ出した。ブラシで撫でるドラムスに、ウッドベースとしゃがれた金管だ。
「貴方が探偵さんなんでしょう?」
女はなおも、俺が探偵だと決めてかかってくる。
「違いますが」
まあ、そうなんだが。
「面白いこと言うのね。濡れ鼠になってまで時間通りに来といて。せっかく私が歌ってるってのに、まるで聴いてなくて。ね?」
そう言って女は、カウンターの下で足を組んだ。大胆すぎるスリットから、太腿以下が露わになった。これで白状なさい、と言わんばかりの白さだった。
「……隠しても無駄、か」
「バレバレなんだけど?」
「俺は目立つのが嫌いなんだ」
後ろを振り返らなくてもわかる。女が俺の隣に来たもんだから、すっかり客のオッサンどもの注視の的だ。だから言ったんだ。最悪だ。帰りたい。
「マスター、この人のと同じのを頂戴。この人のおごりでね」
「おいおい」
「嘘ついた罰。あと、私の歌を聴かなかったのも、ね? 重罪なんだから」
「……鼻につく歌い方だ」
俺は少しばかり苛々してた。
「何よ、ちゃんと聴いてるんじゃない」
「あざとすぎる」
「わかりやすくていいでしょう?」
オーダー通り、烏龍茶のロックが女の前に出された。
「ね、乾杯しましょ? 探偵さん」
「ん……ああ」
女に促され、俺はしぶしぶグラスを軽く上げた。
「かんぱーい!」
ずいぶん嬉しそうな顔をする。笑うと目がびっくりするほど細くなるタイプだ。
「……篤藩次郎だ」
無邪気な笑顔にちょっと癒された。俺はそう名乗り、カランと一口流し込んだ。
「彰子。
女は俺を興味深げに見つめたまま、自分のグラスに口をつけた――
ブーッ!
そして噴き出した。
「何よこれ! お茶じゃない!」
バーボンの熱い刺激を期待したところに何でもない烏龍茶が入ってきたのが、よほど拍子抜けだったらしい。全部俺の顔にかかった。
「マスター、おしぼりを」
「はいです」
「ああびっくりした」
「……仕事中だからな」
そう答えておいた。もし俺がもっと酒が強かったなら、仕事中だろうが普通に飲めるんだけどな。おしぼりで顔を拭いた。こういうプレイも悪くない。
「ふーん……わざわざ、ロックグラスで作らせて?」
「格好つけたい年頃なのさ」
「自分で言って恥ずかしくない?」
「ハードボイルドだから」
「頭大丈夫?」
「それで、依頼ってのは何だ」
「不安になってきちゃった」
「仕事きっちり」
「本当に?」
「ハードボイルド嘘つかない」
「さっき思いっきり嘘ついたくせに」
「言葉の綾だ」
「ふー…………。マスター、ターキーちょうだい! この人につけてね! ダブルで!」
女は俺から顔を逸らし、これ見よがしの大きな溜め息をついて、追加のオーダーを出した。
「おいおい(二回目)」
「お茶なんか飲ませた罰! そして、私の依頼をちゃんと受けること! いい!?」
再び俺に顔を向けて言った。
「やっと本題に入ったな」
「あのねえ……ま、いいわ。それでね、依頼っていうのはね……」
そして柏木彰子は、体ごと俺の方に向けて言った。
「私の過去を盗み出して欲しいの」
挑戦的な色も含んだ、だが真剣な目をしていた。肩から首、そして顎のラインが完璧だった。俺は言葉の意味を探りつつ、魅惑の鎖骨の観察を続けた。
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