ハードボイルド探偵事務所

 雨上がりの十一月の朝というのは、とてもすがすがしいもんだ。なんて言って深呼吸するような体調じゃあなかった。俺はガンガンする頭を引きずって(引きずって?)松屋に入り、牛めしとカレーを腹に入れ、少し元気になった勢いで総武線に飛び乗った。日曜だけあって空いてたのは幸いだった。こんな早い時間に電車に乗るのは、いつ以来だろうか……一週間ぶりか。俺のホームグラウンド、高円寺に着くまでの間、例のストールを握りしめ、彰子について思いを巡らせた。

 しきりに帰りたがるマスターを制して、彰子のことを根掘り葉掘り聞き出しておいてよかった。敵を知るには己を知れ、なんて言うからな。依頼人の情報を収集する事は、ターゲットのそれ以上に重要だ。決して個人的興味なんかじゃあない。俺は公私混同はしないタイプだ。これはビジネスなんだからな。マスターは、彰子が次に歌うのは金曜日だと言っていた。予定を空けておこう。こっちはプライベートだ。

 ああそして、マスターの言うところによれば、彰子が歌いに来るのは週に一回あるかないかくらいのペースで、普段彼女が昼間何をしているのか、本業は何なのかは不明である、とのことだった。少なくとも、歌で食ってるわけじゃあない、とも。

 妄想に耽るうちに、また眠ってしまった。何度も乗り過ごし、折り返し、乗り過ごし、ようやく我がハードボイルド探偵事務所に辿り着いた頃には、十時になっていた。電車の七人掛けシートも悪くなかったが、やはりちゃんとベッドで寝る必要がある。そう意気込んで事務所入口のドアノブに手を掛けた。鍵が開いていた。ふうやれやれと、ドアを開けた。

「わー出た! 朝帰り藩次郎ー!」

 テナントビルの一区画である俺の根城は、すでに高一のガキに占拠されていた。

「……来るのが早すぎる。俺は寝るぞ」

「えー何でよ、依頼人に会ってきたんだよね? どんな仕事ー? 教えてよ!」

 セミロングの黒髪で清楚っぽく見せてるが口の悪いこいつ、従姪いとこめいの由紀奈は、この近くの高校に入学して以来、ウチにしょっちゅう入り浸るようになった。俺としても手が足りないと思ってたところではあったから、アルバイトとして雇い入れたのだが、こう日曜の朝にまで勝手に押し掛けられては、ちょいと頭が痛い。しかも今日は二日酔いとのダブルパンチだ。本当に頭が痛い。

「まだ受けると決まった訳じゃない」

「えーそうなの?」

 嘘だ。知っての通り、俺は二つ返事で引き受けた。だが今は、こいつには黙っておくことにした。シャワーを浴びてひと眠りしたいんだ。

「……女の人のニオイがするんだけどー。なんなの? まーいっか。さっさとシャワー浴びてきなよー。寝るんでしょ? あれ、何持ってんの? ストール? なんでそんなの持ってんの? あーもしかして依頼人って女? わースケベ! じゃあ本当はもう依頼受けたんでしょ! どんな仕事ー? ねー教えてよ!」

 プロ顔負けの見事な推理だった。俺はバスルームに逃げ込んだ。






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