ボディガードの想い人

 銀のロールズは、野方女学院ノガジョを出て北の方角へ向かっていた。俺が幹彦を乗せて校門を出た時には、すでに見えなくなっていた。しかし、俺はその位置と動きを把握している。由紀奈はしっかり、自分のスマホで例の探偵アプリを起動させていた。カブの手元にセットした俺のスマホに、由紀奈の相対位置と移動速度が表示されている。今は通話はさすがに無理だが、他にも諸々の情報をこれで共有できるし、緊急アラートなんかも鳴らせる。つまり、俺が由紀奈を見失う事は無い。あとは、土地勘に従って最適ルートを選べばいい。俺にとって、この辺り一帯は庭みたいなもんだ。

「師匠……」

 幹彦が何やら呟いたのを背中に感じた。

「何か言ったか? 聞こえない。声を張れ」

「師匠!」

「何だ」

「寒くないの?」

「お前はどうだ」

「うん……平気だけど」

「ならいい」

 信号待ちなんかしてると、通行人やら対向車やらの視線を感じる。そりゃこんな美少年、じゃない、美少女を2ケツしてるんだ、注目の的になるのも仕方ない。

「由紀奈ちゃん大丈夫かな……」

「じゃないと困る」

「追いつける?」

「それは大丈夫だ」

 今日も環七は流れが悪い。ロールズは二百メートル先で詰まってるようだ。カブなら、すり抜けでも何でも小回りが利く。レース場やハイウェイならいざ知らず、二十三区はカブのが有利だ。

「僕なんか連れてきたって、足手まといってか、意味無いんじゃ……」

「ああ、邪魔だ」

「じゃあなんで!」

「お前は俺の弟子だ。あんな所に放っておけるか」

「!…………」

 俺のカブは由紀奈の親父に頼んでボアアップしてもらった。高速だって乗れるし、その気になれば給油無しでロシアまで行ける。なもんだから、ロールズを目視できるところまで追いついてしまった。

 が、今ここで逆に捕捉されてはまずい。幹彦を乗せていては目立ちすぎる……少し、距離を置いて様子を見ることにした。いずれ環七を降りるに違いない。熱くなっていた俺だったが、幹彦のおかげで、こうして冷静になれた。

「……幹彦。お前、どうやって敷地に入ったんだ」

「え? なんて?」

「どうやって野方女学院ノガジョに潜り込んだんだ」

「ああうん、塀から。よじ登って」

「へー!」

「面白くないよ」

「誰にも気づかれずにか。やるな。探偵の素質がある」

「そうなの……?」

「ああ、そうだ。ま、ジョギングをさぼるようじゃあ見込み無しだが」

「う……」

「どうしたんだ、何かあったのか」

「…………」

 ロールズが側道に入った。間にいる車が減る分、こっちも見つかりやすくなる。距離をさらに多めに取った。まあこっちにはナビがある、見えるか見えないかくらいで十分だ。

「……親がさ」

 幹彦がぼそりと呟いた。

「聞こえん」

「親が! ……うちの親が、ダメだ、禁止だ、って急に言い出して……それで行けなくなった」

「それは何でだ」

「僕が師匠といるとこを見た人がいたんだって。近所の人。で、それをうちの親が聞いたらしくてさ……」

「なるほど、そうか――」

 ご近所なら、幹彦が女だってことは知ってるしな。それがこんな俺と夜中に一緒にいたら、何事かと思うわけだ。そもそも、あんな夜中に女子を一人で……まあいい。

「それは悪かったな。すまん」

「どうして師匠が謝るの! 違うよ! 僕が、僕が勝手に……さっきだって、僕が勝手に押し掛けただけなんだから……」

「何も逃げることも無かろうに」

「あ、うん……ごめんね、あんないっぱい人がいると思ってなかったから、びっくりしちゃって」

「止まった」

「え?」

 由紀奈を示す赤い点が動かなくなった。

「この先だ。もう着く……あそこだ」

 赤い点の止まったそこは、古びて荒れた、大きな整備工場だった。いかにも不釣り合いな銀のロールズが傍らに停められているのが見えた。俺は少し離れた路上にカブを停め、幹彦を降ろした。手を引いて恐る恐る工場に近づき、その敷地内の様子を伺う。幹彦は俺の腕にしがみついてきた。何か知らんが、急に女の仕草に早変わりだ。

 建屋の外には人影は見当たらなかった。由紀奈の信号の位置を確かめてみると、果たして、発信源は停められたロールズの中だった。しかし、人は乗ってはいなかった。となると、由紀奈と謎の賊どもは建屋の中だろう。入口はどこかと視線でサーチしていたところへ、ふいに背後から声を掛けられた。

「そこのお前、そんな格好でそこで何をしている。猥褻物陳列罪だぞ」

「君は中学生か? 変態につかまってしまったんだね、かわいそうに」

 見ると、それは二人組の警官おまわりだった。

「職務質問といこうじゃないか」

「覚悟はいいかね? この変態」

 非常事態とも知らずに呑気なもんだ。ああ、説明が面倒だし、そんなのにかまってるヒマは無い。ならいっそブチのめしてやろうか。

「君はそいつから離れるんだ」

「こっちに来なさい、危ない」

「し、師匠!」

 幹彦に手を出しやがった。俺の中でゴーサインが出てしまった。ぐっと腰を下ろし、重心をつま先に移動させ、体の芯を纏め上げる。よし、できた。俺の怒りを、食らいやがれ――

「あなたたち、何をしているの!」

 その時、女が一人、警官おまわりの背後から現れた。色気の無いパンツスーツに身を包んだその中身は、色気たっぷりの知った顔。耳をくすぐるその声は、魂を震わす甘い音色。

「あら、探偵さんじゃない! どうしたの? そんな格好で――ふふっ」

 髪を後ろでひっ詰めて、まったくもって似合ってない。断固として抗議しよう。この、我が愛しの想い人、柏木かしわぎ彰子あきこに。






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