ボディガードの皮下脂肪
「唄野さん! そもそもどうして、こんなところにいらっしゃいますの!?」
お約束の言いぐさだ。俺はツッコまないぞ。
「こんな中年男性と二人きりだなんて! 不潔ですわ!」
男にはいつだって、忍耐を必要とされる時がある。
「部活にまったく顔も出さないで! 一体、何をしていらっしゃいますの!?」
「…………たっきゅー、かな?」
「そうではなくて! 真面目にお答えくださいまし!」
「おいおい、困りごとの話はどうした」
「少々お待ちくださいまし! それに、唄野さんにも関係がありますの!」
「それはさっきも聞いた。あとな、由紀奈は俺の
「そうですの?」
「そうですわ」
「そーだよ、センパイ」
「では、卓球がお仕事なんですの?」
「何でも屋だと言ったろ?」
「なるほど!」
「いーのそれで」
うまく場を収めるためなら、多少の犠牲もやむを得まい。俺はさっさと仕事の話に移りたかった。
「由紀奈にも関係があるってのは、何だ。というか、二人は知り合いなんだな?」
「淳ちゃん。センパイはねー、美術部の部長なんだ」
「新部長ですわ!」
「あたしもね、いちおー美術部に入ってんの。行ってないけど」
「幽霊部員ですわ!」
「三年生が抜けて、
「わたくしの目の前で、よくもまあぬけぬけとおっしゃいますわ!」
ということは、優希絵は二年生なんだな。
「つまりあれか、困りごとっていうのは、その美術部の話か」
「その通り! ご明察ですわ! さすが何でも屋さんでいらっしゃいますこと!」
「まあな」
「いーのそれで」
我ながら冴えた推理だと思ったし、それを率直に褒められたのだから悪い気はしない。むしろいい気分だ。この際、何でも屋だろうがチンドン屋だろうが、そんなことはどうでもいい。
「単刀直入に申し上げますわ! 何でも屋さん! ヌードデッサンのモデルになってくださいまし!」
「わかった。やろう」
「うわー軽いわー」
「ああそうだった、電気、つけるか」
俺は照明のスイッチを入れた。
「うわー明るいわー」
明るくなったところで、優希絵は何やら、まじまじと俺の体を凝視してきた。ならば俺も凝視し返してやろう。さっきまで薄暗かったから曖昧だったが、明るい今はよくわかる。貧乳だ。
「ふむふむ……失礼いたします……」
「おふっ!?」
俺の視線を知ってか知らでか、優希絵は急に体を寄せ、服の上からだが俺の全身を撫で回し始めた。何やらオリエントを感じさせる気高い香気が鼻腔をくすぐる。
「あ……いや……ちょっと……
遥かに年下の小娘と知りながら……この香りが、ボディタッチが、俺の精神に直接届く……。
「い、いったい何だってんだ……」
「わーフケツー」
「ふざけないでくださいまし! そういうあれではありませんわ! 身体測定です!」
ま、まあな、お、俺だって、こんなジャリガキを相手にするような趣味は無い!
「……ぱっと見た感じではかなりの筋肉質とお見受けしましたものですから、デッサンのモデルにぴったりかと思いましたのですが――」
やたら難しい顔をして、優希絵は俺から離れて言った。
「不合格ですわ! 体脂肪率が二十パーセントを超えてましてよ!」
「ガーン!」
「……ぷっ」
由紀奈が吹き出した。俺は大ショックだ。そうか、そうなのか。ヌードのモデルは、伊達では務まらんということか。
「ということで、このお話はぜーんぶ、無かったことにさせていただきます!」
そう言って背中を向けた優希絵に向けて、俺は思うより早く叫んだ。
「待ってくれ! 十日でいい! 十日だけ待ってくれたら、俺は必ずや体脂肪率を落としてみせる!」
「あははっ、ちょっと淳ちゃん! あははは!」
由紀奈は大ウケだが、俺は必死だった。ここで引き下がっては、ハードボイルドに申し訳が立たない。
「一週間ですわ! 一週間、七日だけお待ちします。よろしくて?」
「ああわかった。俺をデブと言ったこと、後悔させてやるからな」
「
「まあいい」
「やーいデブ」
「うるさい」
そして、優希絵は事務所を出ていった。血が猛り高ぶるのを、俺は皮下脂肪の内側で感じていた。
「淳ちゃん、今夜から松屋のカレーは封印だねー」
「ああ、そうだな。牛めしだけで我慢だ」
「並にしとくんだよー。あと生野菜食べな。あるいは豆腐」
「わかった。それと由紀奈、いい感じのランニングウェアを頼む」
「走るんだ? 気合いだねー。わかったー」
由紀奈はこの状況を楽しんでいるようだが、俺は本気だ。これは負けられない。何にって? 俺自身にだ。おのれを克服してこその、ハードボイルドだ。
そういう訳で、俺はダイエットに励むことになった。
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