ボディガードは何でも屋

 どうして俺がダイエットなんかをするはめになったのか。それを話そう。


 彰子あきことの恋に破れた俺は、その日も、由紀奈と卓球をして虚ろな午後の時間を潰していた。冬は秋以上に日の落ちるのが早い。ピンポン球が見えづらくなってきて、そろそろ明かりを点けないとな、と思ったその時、事務所(家)のドアが突然、ガチャリと開いた。

 先にも言った通り、歳末の喧噪とは無縁な我がハードボイルド探偵事務所は、二月以外は年中ヒマだ。お客がそうしてドアを開けてやってくる事など、めったに無い。何せ、看板すら出していないからな。その入口のドアとこのビルの案内板とに、一応そう表示してあるだけだ。本当にウチに用のある人間以外はお断り。当然だ。そして今は、来所のアポなど何も入ってはいない。一体どこの物好きが入ってきやがったのかと睨みつけたその先に立っていたのは、何でもない、ただの顔見知りだった。

「ちょっと淳ちゃん、睨まないでよ。怖いったら!」

 箕浦みのうら美智雄みちお。俺の行きつけの地元のバー『イプセン』のマスターだ。歳は五十は越えている。

「何の用だ」

 由紀奈に渾身のスマッシュをことごとく受けられ、俺は少しばかり苛々していた。

「だから怖いってぇ。驚いちゃうでしょ! この子が!」

「この子?」

「お客さんを連れてきてあげたのよ。どうぞ、入ってらっしゃい? ううん、怖くないから。大丈夫」

 そう促され、一人の女子高生がドアの陰から姿を現した。が、ママ(マスター)がそんな心配をする必要の無いくらい、姿勢良くしゃんと背筋を伸ばして胸を張り、堂々としている。何だこの気品溢れる風格は。由紀奈と同じ学校の制服を着ているが、放つ空気がまるで違う。いったい何だってんだ。

「んげ」

 先に反応したのは由紀奈だった。

「どうした?」

「やっば……」

 由紀奈は、手に持っていたラケットとピンポン球を慌てて背中に隠した。

「あら! 唄野ばいのさんじゃありませんの!」

 堂々JKは堂々JKで、俺よりも先に由紀奈に反応を示した。

「ここで何をしてますの?」

「あー、いやー……」

 由紀奈は明らかにばつの悪そうな顔をしている。これは俺に助けを求めているな?

「卓球だ」

「そうではなくて!」

 違うのか。

 おっとそうだ、言ってなかったな、由紀奈の姓は唄野ばいのという。俺は長谷川だ。

「――と、失礼いたしました。わたくし、はしかみ優希絵ゆきえと申します。年の瀬も押し迫ってまいりました今日この頃、誰もが御多忙の最中とは存じ上げますが、そんな中で大変恐縮なことと憚られつつも、只今こちらにお伺い致しましたのは、偶然この方より紹介いただいたご縁に預かりましてのことでもありながら、その点につきましては感謝の意を表させていただきますとともに、そのお言葉に甘えさせていただきまして、せっかくのこの機会なればとばかりに率直に申し上げますと……」

「淳ちゃんあのね、この子、なんか困りごとがあるみたいなの。聞いてあげて?」

「おおう、おう」

階下したでね、看板出してたらこの子がね、『困りましたわ……困りましたわ……』なんて言いながら歩いてたのよ」

「ええ、わたくし、困っておりますの!」

 由紀奈がこっそり「あたしもね」と形だけ口を動かすのが見えた。

「だから私、どうしたのって声掛けてね? それで、ここに連れてきたってわけ。はい! 淳ちゃん、あとはよろしくね! バーイ!」

 そう言うだけ言ってママ(マスター)は去っていった。

「いったい何だってんだ」

「何でも屋さんでいらっしゃいますのね?」

「なんだその呼び名は」

「先ほどの方に、そう伺いましたわ! 何でも屋さん!」

「ちがう。俺は探偵だ。ハードボイルド探偵事務所とそこに書いてあるだろう」

「ハードボイルド何でも屋さんでいらっしゃいますのね!」

「もう勝手にしてくれ……」

「それでですね、只今こちらにお伺い致しましたのは、偶然先ほどの方より紹介いただいたご縁に預かりましての――」

「あーあー、わかったわかった、それで何を困ってるんだ」

「それが、実を申し上げさせていただきますと――」

 由紀奈がこっそり忍び笑いを洩らすのが見えた。

「唄野さん!」

「んげ!」

「これは、唄野さんにも関係のあることですのよ!?」

 突然、由紀奈に矛先が向けられた。そんな訳で、今回の依頼人はこの女子高生、はしかみ優希絵だ。由紀奈と優希絵で紛らわしい。

 そして、俺がダイエットに励むはめになったのも彼女の依頼のせいだ。詳しくは次で話そう。






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