第11話 王の命令

 夕刻になり、陽が沈むころ部屋の扉が叩かれた。


 バーネット夫人が取次に向かい扉を開くと、大男たちが部屋へずかずかと入ってきた。エデルは午後の間中ずっと立たされていた。


 エデルよりもずいぶんと背の高い男たちは夫となったオストロムの王の近衛騎士立ちだった。揃いの騎士装束に身を包んだ男たちはエデルの姿を見つけると、まっすぐにこちらに向かってきた。


 エデルは一歩足を後ろに引いた。


「人に断りもなく、何事ですか」


 不機嫌を隠そうともしないバーネット夫人は大きな声を出したが騎士たちは取り合わずエデルに向き直る。


「国王陛下からのご命令をお持ちしました。夕食は必ず食するように、とのことです」

「何を勝手なことを! 妃殿下の食事はわたくしが管理をすると申しておりましょう」


 バーネット夫人が金切り声を出した。


「貴殿は国王命令に逆らうおつもりですか。妃殿下はすでに陛下の妻となられたお方。今後、妃殿下の食事は陛下が管理をするとのこと」

「なんて厚かましい! さすがは野蛮人の国だわ!」

「滅多なことをおっしゃると、いくらゼルスからの客人とはいえ不敬罪に処されますことをお忘れなきよう」


 騎士の一人の高圧的で絶対的な言葉にバーネット夫人はぎりりと歯嚙みをする。瞳はめらめらと怒りに燃えているが騎士たちも一歩も引く気配はない。


「妃殿下。食事の準備が整っております。食堂へ」


 近衛騎士の一人がエデルを促した。

 エデルはその場に縫い留められたかのように固まり、足を動かすことが出来なかった。


 昨日の晩から何も食べていない。朝から何も飲んでいない。飢えと渇きに体が悲鳴を上げている。午後の間ずっと立たされていてふらふらしていた。

 バーネット夫人は、いやイースウィアはエデルを殺そうとしている。じわりじわりと昆虫の腕をもぐように、エデルをゆっくりと死に追いやろうとしている。


「ウィーディア様。わかっておりますわね」


 低い声がエデルの耳に届く。


 物心ついたときからずっとイースウィアに虐げられてきた。

 バーネット夫人はその王妃の片腕で、彼女もまた幼いエデルに呪いの言葉を吐き続けてきた。この人の声には逆らってはいけない。


 エデルは汗をかいた。嫌な汗だった。逆らうことなど出来ようもない。だって、彼女の意に染まぬことをすればあとで倍になって返ってくる。


(どうしよう……。どうしたらいいの……?)


 額をつぅっと一筋の汗が伝ったとき、部屋の中にオルティウスが入ってきた。


「ウィーディア。昼食を食べなかったと聞いている」


 ずかずかと大きな足取りでエデルの前にやってきた夫は、青い目をこちらに向けている。


「……ぁ……あの……」


 エデルは視線を彷徨わせた。


「どうして食事を摂らない?」


 エデルは恐怖した。オルティウスは機嫌が悪い。いや、怒っている。


「まあ、陛下。横暴ですわ。最初に申しました通り、ウィーディア様は粗食を常としておられます。それに、オストロム風の食事など……よしんば召し上がられてもウィーディア様のお口に合うはずもございませんわ」


 エデルの言葉よりもさきにバーネット夫人が口を開いた。オストロムを嘲るような声音に部屋の中の温度が一層下がっていく。


「この国の食事は不快だと?」


 オルティウスの声が一層低くなった。


 エデルは顔を白くした。違う。そんなこと思っていない。バーネット夫人がエデルの言葉を盗ってしまう。心の中では悲痛な叫び声をあげることが出来るのに現実ではエデルの喉はからからに乾いてひからびて呼吸しかできない。それに極度に緊張をしていた。この人は、いまとても怒っている。


 エデルはくらくらして、足から力が抜けた。

 ひざから下に力が入らなくなり、つい崩れ落ちるとオルティウスがエデルを抱き留めた。


 オルティウスはエデルを横抱きに抱きかかえて扉に向かって歩きだした。


「どちらにお連れするつもりですか!」

「貴殿には関係ない」


 冷たい言葉にバーネット夫人が金切り声をあげる。


「関係ないですって? わたくしはゼルスの王妃殿下からその娘の躾と教育を申し付かっているのですよ!」


「この娘はすでに私の妃だ。ここはゼルスではない。オストロムだ。私が妻をどう扱おうと貴殿に指図をされる覚えはない。もちろん、ゼルスの王妃にも、だ」


 オルティウスは言いたいことだけ言ってエデルを抱きかかえたまま部屋を後にした。


 エデルはぼんやりとしたまま、事の成り行きを見守っていた。

 連れて来られた部屋の長椅子にエデルは降ろされた。すぐに女官が水を持ってきた。手渡されたそれをエデルはごくごくと飲み干した。本能が水分を求めていた。ほのかに柑橘類の香りがしたそれは、喉に爽やかでエデルの飢餓を満たした。


「お代わりもございますよ」


 女官長のヤニシーク夫人はエデルの手元から銀製のゴブレットを抜きとり、お代わりの水を注いだ。エデルはほんの少し恥ずかしくなって、今度はゆっくりと口をつけた。


「陛下。お食事はどちらへ?」

「ここへ運べ」


 よく見るとここはオルティウスの私室だった。


 オルティウスはエデルの隣に座っていた。彼の視線をやけに感じる。実際彼はエデルのことを観察するように眺めていた。エデルは背もたれに体を預けていたのだが、急にそわそわして身を起こそうとした。それをオルティウスがやんわりと留めた。


「体に力が入らないのだろう? 昼食を抜くからそうなる」

「……」


 自分の意志ではないのだが、バーネット夫人に昼食を取り上げられたことを言えば二人の関係性を問い詰められる可能性がある。するとなし崩し的にエデルが偽物であることもばれてしまう。そうなればきっと、両国間に溝が生まれる。


 結局エデルは黙り込んだ。

 沈黙がやけに重たかった。


 しばらくすると食事が運ばれてきた。よい香りが鼻腔をくすぐり、エデルのお腹が控えめに主張をした。隣のオルティウスにも届いたようで、うっかり目を合わせてしまったエデルは恥ずかしくて慌てて下を向いた。

 オルティウスはほんの少しだけ目を丸くした。


「王の命令だ。食事を摂れ」


 オルティウスは淡々と命じた。

 エデルは動くことが出来なかった。食事を摂ったことがバーネット夫人に知られれば、必ず彼女はエデルに罰を与える。今日と同じようにエデルに冷たい水をかけるか、見えないところに傷をつけるだろう。


 それでも食事を摂りたいという欲求が体の奥から湧いて出る。

 食事の良い香りが部屋の中に充満をしているからだ。


「ウィーディア」


 オルティウスは立ち上がり、エデルをふわりと抱きかかえた。まるで羽にでもなったかのようだ。彼はとても簡単にエデルを抱きかかえてしまう。


 昨日肌を合わせたはずなのに、どうしてだか妙に意識をしてしまう。エデルはそっとオルティウスの顔を窺った。間近で見ると、まだ年若い青年だと思った。怖いはずなのに、なぜだか怖くない。


 王の部屋の片隅にある丸テーブルの上に食事が用意されていて、目の前の椅子にエデルは優しく降ろされた。


 まだ温かいそれは煮込み料理で、エデルはごくりと喉を鳴らした。


(おなか……すいた……)


「……あの……でも……」

「なんだ?」

「……食べたら……」


 怒られる。続く言葉は出てこなかったが、エデルは無意識に扉の方に視線を向けた。


「この国で一番偉いのは俺だ。俺が食べろと言っている。ゼルスの王妃もバーネット夫人も関係ない。食べろ、ウィーディア」


 最後の一言がエデルの躊躇う心を溶かしていく。

 この国の王がエデルに食事をしろと言っている。これは命令だから食べてもいい。


 エデルはゆっくりとフォークを持った。柔らかく煮込まれた牛肉は口の中にいれるとほろほろと溶けていく。食べやすいそれをエデルはゆっくりと口へ運んだ。

 あたたかな食事が喉を通り胃の中へ落ちていく。お腹がじわりと満たされていった。


 肉料理の付け合わせの酢漬けの野菜もつぶした芋料理もどれも美味しかった。

 ゆっくりと食事を続けているとオルティウスも同じように食事を摂り始めた。エデルが目を白黒させていると「たまにはこういうのも一興だ」と言った。


 なんだか申し訳なくなった。王ならばもっと豪勢な部屋で食べるものなのに。


 エデルはお腹いっぱいに食べたのだが、オルティウスはエデルの食べっぷりに不満があるらしい。


「それだけでいいのか? 本当に? まだこの期に及んで制限をしているのか?」

「い、いえ。お腹いっぱいです」

「本当に?」


 何度も聞かれ、さらには女官に命じてお代わりを持ってこさせようとする始末だった。


「恐れながら陛下。食事の量については人それぞれに適量というものが存在なさいますわ」


 ヤニシーク夫人がやんわりとオルティウスを止めてくれてエデルはホッとした。さすがにこれ以上は食べられない。


「そういうものなのか……」


 どこか納得出来かねる、といった風に、オルティウスは渋々返事をした。王とは思えない素の彼を垣間見た気がしたエデルは、何か言いたくなった。


 どうしてだろう。目の前の夫に伝えたい。


「……あの……、美味しかったです」


 その声が届いたかどうか。

 二人はぱちぱちと目を瞬いた。

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